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2014年8月3日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨 2014.8.3平和聖日  コリントの信徒への手紙Ⅱ 6:1-10「いのちの座標」   

◆ 「綾瀬はるか『戦争』を聞く」という本が岩波書店から出版されています。綾瀬はるかさんは広島市の出身です。綾瀬さんの祖母は1945年8月6日、広島に投下された原爆で被爆されました。2005年戦後60年の年に、綾瀬さんはふるさと広島の実家に半年ぶりに帰って、祖母に原爆の話を初めて直接聞きました。祖母は初めて、被爆死した姉のことを語って聞かせてくれました。 口に出したくなかった記憶、でもそれはちゃんと伝えておかなければならない、大切な記憶でした。「もう私も長く生きとらんから、あんた忘れんようにね。戦争なんか起こさんように、女性がしっかりせにゃダメなんよ。ね。女性の力で戦争を起こさんように。まあ、よう聞いてくださってありがとう。まあ、もう話さんからね。よう覚えておいてね」。このとき祖母から聞いた戦争の話、それが一つの起点となって、2010年から、綾瀬さんの「戦争」を聞く旅が毎年続けられています。「綾瀬はるか『戦争』を聞く」はその旅の記録です。広島、長崎、沖縄、ハワイ、そして東北にも出かけ原爆と津波を体験した人を陸前髙田、そして避難先の秋田県に訪ねた旅の記録です。

◆ 過去に受けた深い傷や痛手は、いつまでも消え去ってくれません。傷や痛手は過去のある時に受けたものであっても、なかなか過去になってくれません。それは、いくら時間を経ても、ふとしたはずみで首をもたげ、よみがえってきます。被爆された方たちに話を聞く旅は、「思い出すのは辛い」と言葉を失う姿と向き合う旅でした。綾瀬さんも本当に辛くて、「これ以上お話を伺うのは、もう・・・」とインタビューを中断することもたびたびありました。そんなおばあちゃんのむくんだ足をさすり、車椅子を押し、おじいちゃんのみかんの皮を剥いて、時に3時間、4時間もかけて少しずつ、被爆された方に寄り添いました。その寄り添いの中で、相手の方はポツリポツリと、今まで胸にしまっていた体験を語り始めるのです。ひとが心身ともに砕けて、その場に倒れそうになっているとき、つっかえ棒になれる人がそばにいるのは、とても大事なことだと思います。その場を去らずに「荷物半分もってあげるからね」とずっと傍らにいてくれる人の存在に、人は救われます。

◆ 1945年に被爆した人たちは歳を重ね、次々と亡くなられています。失われてゆく戦争の記憶を語り継ぐ責任を私たちは引き受けなければなりません。戦争の記憶を継承して行くために必要なのは教育だと思います。教育とは、ある世代が痛い思いもする中で、止むに止まれず編み出した知恵を次の世代に伝えることです。だれにでも適用するかどうかは分からないけれど、私たちの世代はその時代のなかでこのように生き、このようなに考えた、そのなかからこれだけは守らなければならないと思うようになった、そのような経験を次の世代に伝えること、それが本来の教育です。

◆ 今日はコリントの信徒への手紙Ⅱを読んでいます。パウロが書いた手紙の一つです。彼はイエス・キリストの福音、イエスを通して明らかにされた神の働きと御心を語り伝えることに後半生を捧げつくしました。とくにキリストの十字架の出来事と復活に絞り込んで福音を語りました。1節に「わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません」と語っています。「神からいただいた恵み」とは「和解」ということです。新約聖書では、「和解」という言葉は、パウロの手紙の中にしか出てこないのですが、しかしキリストの福音、イエス・キリストを通して明らかにされた神の意志、神の御心を表す重要な言葉なのです。パウロは「和解」という言葉で二つのことを示しました。18節です。「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」 少し噛み砕いて言いますとこういうことです。人間は造り主である神の意志に反して、身勝手に的を外れた生き方をしている。そのように生きることを聖書は「罪」と呼ぶのですが、罪を犯して神から離れている人間に、神の側から手を差し伸べて、キリストを遣わし、その十字架の死をもって和解を実現したのだということ。それが「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させた」ということです。そしてそのことを人々に伝え、知らせるのが使徒の役目であるということをパウロは深く自覚していました。それを「和解のために奉仕する任務をわたしたちに与えた」と表現したのです。

◆ そしてその任務を熱心に担っているのは「キリストの愛がわたしたちを駆りたてているからです」と5:14で述べています。駆り立てるとは「エクスタシス」という言葉です。迫る、支配する、強調する、という意味ももっています。当時の人々は、誰かが常人とは異なる現象を見せたとき、この「エクスタシス」という言葉を用いて驚きを表しました。コリントの人々はパウロが福音を伝える務めに熱心になっていることを「エクスタシス」という言葉で悪口を言ったことがうかがえます。和解の福音を伝えるという務めは多くの困難にパウロを出会わせました。その苦難のカタログとでも言うべきリストが6:4-5にあげられています。「苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓」・・・・これら数々の苦難を味わってきた、そのことを「ぜひ知ってほしい」とこの手紙の冒頭で述べています。それは「苦難」と「慰め」とは切り離せないことだと彼は知ったからだと思います。中国の格言に「禍福は糾える(あざなえる)縄の如し」という言葉がありますが、パウロは自らの体験を通して、苦難があってこそ慰めを与えられることを伝えようとしています。苦難抜きの信仰によって、人々に信仰の何であるかを教えることは困難だということを、パウロは強く思っていた人です。イエスの生涯のなかにパウロが学び取ったことは説教を聞いたとか、奇跡を見たからということではなく、多くの人のために苦しみ、死ぬイエスでした。だからパウロが書いた手紙は、イエスの十字架の出来事と復活に集中しているのです。

◆ イエスは語りました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ福音書14章27節)。人の世は武力で守る平和論を盾に戦いを繰り返してきました。今またその道を歩むことが声高に述べられています。しかしイエスが示した平和は、相手を打ちのめすことで守る平和ではありません。逆に自らが十字架に死ぬことさえも引き受けることによって他者への執り成しと和解を生み出そうとする道です。

◆ 今日は平和聖日です。敗戦から69年目の夏を迎えています。戦争の時代を生きた人たちが痛い思い、辛い思い、悲しく苦しい思いをなめ尽くし、「戦争なんか起こさんように」と語る。しかしその過去を語ることは痛い、そのような思いを人の心に刻み残すのが戦争です。その体験を聞くことができる時間はそんなには残されていません。語り継ぐことが断ち切られてはなりません。過去の事実を知り、過去の過ちを素直に受け止め、そしてそれを語り継ぐことに誠実でありたいと思います。それがこの国に生きている私たちにとっての「和解のために奉仕する任務」ではないのかと思います。イエスが示した平和への道を一緒に歩むお互いであり続けたいと強く思う8月です。

2014年8月17日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2014年8月17日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第11主日
説 教:「こんな石ころからでも」
牧師 工藤弘志
聖 書:マタイによる福音書
3章1-9節(新約p.3)
招 詞:申命記10章12-13節
讃美歌:28、127、91(1番)
    第1編236、第1編300
交読詩編:90:1-12(p.100下段)

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