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2015年2月8日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2015年2月8日(日)午前10時30分
降誕節第7主日 
説 教:「癒された理由」
         牧師 望月修治
聖 書:ルカによる福音書
 5章17~26節(新約p.110)
招 詞:使徒言行録3章6~8節
讃美歌:27、8、355、508、91(1番)
交読詩編:103;1-13(p.111下段)

2015年1月25日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨2015.1.25   ルカによる福音書4:16-30 「故郷からの追放」            

◆ イエスの伝道活動はガリラヤ地方の各地の会堂、そして故郷ナザレの会堂で説教をすることから始まりました。その活動は一見順調のようにも見えます。会堂で預言者イザヤの言葉が記された巻物を読み、語るイエスの言葉を聞いて、「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いた」と記されているからです。しかしこのとき人々はイエスのことを「この人はヨセフの子ではないか」と言っています。この言葉のニュアンスは、同じ内容の記事が書かれているマタイによる福音書13章、マルコによる福音書6章を見ると明確になります。マタイ福音書では「この人は大工の息子ではないか」、マルコ福音書では「この人は、大工ではないか」と人々は言っています。今日の箇所で「この人はヨセフの子ではないか」とあるのは、「この人は、大工の息子ではないか」あるいは「この人は、大工ではないか」という意味合いを込めて言われているということです。

◆ 「大工ではないか」という言い方には蔑(さげす)みが込められています。「大工」と訳されている言葉は「テクトーン」という言葉ですが、当時は、いわゆる大工ではなく石切りの仕事のことでした。山から掘り出してきた岩を、たがねと金槌でコツコツと削ってブロックに仕立てる。それがテクトーン、石切の仕事です。石を切る仕事というのは、朝から晩まで石の粉を吸い続けるしごとであり、そのために職業病として塵肺になる、肺が固まり呼吸困難を起こして早死にする、そのような命の危険を伴う仕事でした。ですから当時の一般のユダヤ人たちがもっとも避けていた職業のひとつなのです。

◆ ヨセフはそのような仕事を生業としなければならなかった貧しい階層に属していたということです。そしてイエスもテクトーンであったいうことは、30歳頃になって伝道活動を開始するまでは、ヨセフと同様、石切りの仕事をして家族を養っていたということです。「ヨセフの子ではないか」という人々の言葉には、同じ故郷に暮らして来て、イエスの生い立ちと仕事をよく知っている立場からの蔑みが込められていると読むことができます。「あの石切りのヨセフの子が、会堂で聖書を読み、我々に教えを垂れるとは、いったい何様のつもりだ」という人々の舌うちが聞こえてきそうな場面です。

◆ イエスの故郷ナザレの人々は、伝道活動を始めたイエスのことを気に入りませんでした。自分たちの知らないイエスが現れてくるからです。自分たちがよく知っていると思っていた相手が違った姿をとり始めると、気に入らぬと思うことが人にはしばしば起こります。人の心は見えません。他人の心を百パーセント理解することはできません。それなのに、全部見えてこなければ承知しない、しかも自分の気に入った姿の中に相手がすっぽりとはまることを求める、そこに問題が生じます。

◆ ナザレの人々はイエスのことをはじめから嫌っていたわけではないと思います。石切りという仕事を一所懸命にこなして家族を養っているイエスを人々は好意をもって見て来たのではないかとも思います。けれど伝道活動を開始してガリラヤの各地で教え、そして故郷に帰って来て会堂で語るイエスの姿は彼らの気に入る姿にはあてはまらなかった。そこからはみ出していました。そのことを人々に決定的に自覚させたのは、おそらく、イエスが旧約時代の預言者エリヤとエリシャ、そしてシリア人ナアマンのことを語ったからです。エリヤは紀元前800年代中頃、エリシャはエリヤの後継者として何れも南王国ユダで活動しました。イスラエルを干ばつが襲い、数年間雨が降らなかった時に、神はエリヤにイスラエルから見れば異邦人の地であるシドン地方のサレプタに行って一人のやもめに会うようにと命じました。エリヤは神の言葉通りサレプタの町の入り口で一人のやもめが薪を拾っているのに出会います。しばらく後に彼女の息子が病気になり息を引き取ってしまうのですが、エリヤはその子の命を元に返すようにと神に願い、神はその願いを聞き入れて子供は生き返ったというのです。またエリシャの物語には、当時イスラエルと敵対していたアラムの軍司令官ナアマンのことが出てきます。彼は勇敢な武将でしたが、重い皮膚病を患っていました。イスラエルにいるエリシャという預言者の所に行けば皮膚病を治してもらえると聞き、会いにやってきました。そしてエリシャから、ヨルダン川に7回身を浸せば病気が治ると言われ、その通りにすると病が癒されたというのです。イエスはこの二つの物語を、イスラエル以外の異邦人にも神の救いと癒しの働きが与えられたという意味合いで引用したのではなく、異邦人にだけ救いと癒しが与えられたという意味合いでこの二つの物語を引用したのです。エリヤもエリシャも、ユダヤの人たちにとってイスラエルを代表する預言者としてその働きが語り継がれていました。その二人がよりによって神の恵みを異邦人だけに与えたとイエスは語ったのですから、人々が激しい反感を抱くのは当然だったと言えるかも知れません。

◆ イエスはなぜ、このような形でエリヤとエリシャの物語を会堂にいた人々に語り聞かせたのでしょうか。それを解き明かす鍵は23節のイエスの言葉にあると思いました。ナザレの人々に向かってイエスが語った言葉です。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」 ナザレの人たちは「この人はヨセフの子ではないか」と言ってイエスを見下げています。会堂で偉そうに話しているが、聞く所によればカファルナウムでいろいろ奇跡を行ったというじゃないか。ひとつあんたの故郷であるここでもそれをやってみせてくれないか、そうしたらわれわれも信じてあげましょう、とナザレの人々は言うにちがいないというのです。しかしイエスはナザレの人たちのそのような要求に応じて、人々の気に入る救い主になることを退けました。「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」というのは、イエスがその意志を貫くがゆえにもたらされる事態です。

◆ カファルナウムは、イエスが伝道活動の拠点とした町です。マタイ福音書4:13には、イエスが「ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」と記されています。「住む」という言葉は、そこにイエスの生活があったことに私たちに思いを広げさせます。福音を宣べ伝え始めたイエスの姿を私たちは福音書の物語に見出します。しかし、そこには日々の糧を得るために働き、疲れて眠る日々の生活もあったことを「イエスはカファルナウムに住まわれた」という言葉は私たちに想像させるのです。石切りを生業とする、社会の下層に生きてきたイエスにとってカファルナウムでの生活は厳しかったはずです。しかしそのイエスのもとに人々は集まってきました。病を抱えて身も心も疲れ切った人、言葉にできぬ悩み、心の重荷を人知れず背負い続ける人・・・長い間、世の中で尊いものとされてこなかった人たち、その人たちがイエスと出会って、初めて、生きることが喜びへと変えられていく。「あなたたちは世の光だ」などと語ってくれた人は、おそらくイエスが初めてだったはずなのです。社会の下層に生きていたイエスが語ったからこそ、その言葉は重荷を負って生きていた人の心を動かしたのだと思います。神は人の力や富のあるところにイエスをゆだねることをしませんでした。小さくされて生きている人たちと共に住み、「あなたも、隣の人も、かけがえのない存在として神は支え、守り、生かして下さっている」とイエスは伝えつづけたのです。
 

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