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2019年クリスマス・イブ礼拝の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2019.12.24 「静まりから始まる」 望月修治       

◆ 12月1日に京都いのちの電話チャリティーコンサートが同志社栄光館ファウラーチャペルで行われました。毎年この時期に行われているコンサートです。同志社教会は共催させていただいています。「いのちの電話」は1953年にロンドンで、自殺した少女への痛みから、チャド・バラー牧師が組織的な電話相談活動をはじめたのが始まりです。やがて全世界に広がり、現在は100ヶ国、1000を越える都市で活動が行われています。京都いのちの電話は1982年に日本で14番目の「いのちの電話」として開局され、現在も24時間眠らないダイヤルとして活動が続けられています。

◆ 「京都いのちの電話ニュースレター」(第113号 2019.11.7)の最新号に、相談電話の受信件数が掲載されています。2019年2月1日〜9月30日(242日)の相談件数13,097件(1日平均55件)、1982年の開局以来9月30日までの相談件数794,100件、電話をかけてこられた方の思い、そしてそのお一人お一人の声を聞き続けておられる相談員の皆さんの思い、それぞれにかけがえにない命と命が向き合うことの意味の深さを思います。

◆ いのちの電話にかけてこられた方のことをうたった詩がニュースレターに記されていました。

「誰にも聞いてもらえないことば、誰にも言えないことば、そんなことばをいっぱい持っていて、ついでに不安や悲しみ、孤独まで同居して、一人で部屋にいる人/
外に出るのは、コンビニへ弁当買いのときだけ、誰とも話さず、1日が始まり、1日が終わる、こんな人間ではなかったはず、もっと陽気で人と気軽に話せたはず、そのはずを取り戻せずに明日が来る、一人で部屋にいる人/
私は今、聞いている」

そして編集後記にこう記されています。「受話器をとる時、気持ちを落ちつけようと少し深呼吸をする。それなのに、日常の雑音だらけの自分がそこに居る。見知らぬ人からの話を受け止めるには多少の勇気が要るし、自分が発する言葉の影響を思うと不安になる。」

◆ 孤独の中で自分の中に閉じ込めてきた不安、悲しみ、苦しみ、痛み、辛さ、心の底に沈んだ一つ一つの思いを汲み上げ、諦めを少し押しやって、誰かに話してみる、それは他者が思う以上に、その方にとって重たい一歩なのだと思うのです。そしてそのことば、その声を聴く、いのちの電話の相談員の方が受話器を取る時の覚悟を思うのです。

◆ カトリックの司祭であったヘンリ・ナウエン(1996年に63歳で亡くなった)が語った言葉を今思い起こしています。「聴くことなくして語られる言葉は、もはや癒す力がない」人が苦しみ語ろうとするときに望むのは、何か有益なことばを聞くことではなく、自分の思いを受け取ってもらうことです。聞くことは、しばしば、語ること以上のちからをもつのだと思っています。

◆ 命を孤独から、一人ぽっちから、つながりの中に招き、その声を聴く。それは2000年前のユダヤでイエスが神の意思を示す道として担いぬいた生き方に他なりません。イエスは一人ひとりと向き合い、その人の声を聴き続けました。そしてその一番根底にあったのは、神の声を聞くことでした。聖書の中に次のような静かな言葉があります。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れたところへ出て行き、そこで祈っておられた。」イエスの活動は多忙を極めていました。息もつけないような忙しい活動の中から、安らかな息遣いが聞こえてきます。多くの人たちが抱えている孤独や悲しみや痛みに深く関わりその声を聞く、その中心に独り退く時をイエスは持った人です。行動の直中に、沈黙し祈るイエスがいます。人々と語り合った後で、独りきりになるイエスの姿があります。静やかさの中で、イエスは自分の思いではなく、外から届く力、神の働きに委ねて立ち、新たな課題へと歩み出すことを重ねた人です。自分の言葉ではなく、神の言葉を語る勇気を、自分の業ではなく、神から託された働きを担う力を見出して行った人です。

◆ 今宵は、そのイエスの誕生物語を辿る旅をしたいと思います。ユダヤのナザレからベツレヘムに向かう二人の旅からその物語は始まります。直線でも120キロを超えます。徒歩で4日はかかる、この道のりをヨセフとマリアは旅をしたとルカは記します。身重のマリアをロバの背に乗せて、ヨセフがロバの綱を引いて乾いたユダヤの道を歩む旅、それがおそらく誰もが思い浮かべるクリスマスの情景です。しかしルカによる福音書には、マリアがロバの背に乗ってとは一言も書いてありません。身重のマリアが旅をする、それは徒歩ではなくロバの背に揺られながらの旅のはずだと思い込み、読み込んでしまうが故に描かれてきた情景です。ヨセフはナザレの村で大工を生業とし、貧しい生活を送っていた人でした。そのヨセフにロバを購入することなどおそらく出来なかったはずです。だとすればこの二人は歩いてナザレからベツレヘムへ向かったのではないか。身重の女性が120キロを越す距離を4日で歩くのは無理です。6日も7日もかけて旅をしなければならなかったのではないか。それは身重のマリアにとっても過酷な旅だったはずなのです。

◆ 二人はなぜこのような旅をしなければならなかったのか。この時の時代状況をルカは「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」ために、「人々は皆、住民登録をするためにおのおの自分の町へ旅立った」と記しています。その勅令に従って、本籍地から離れて暮らしている人々は皆、自分の本籍地に帰って登録しなければならなかったのです。ヨセフはベツレヘムが本籍地でした。ですから彼は、ガリラヤ地方のナザレからユダヤ地方のベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。その時「身ごもっていた、いいなづけのマリア」も一緒にナザレを旅立ったとあります。当時、住民登録は基本的に成人男子だけがすればよかったし、家族を代表してすればよいことだったことでした。妻も一緒である必要はありませんでした。しかしヨセフとマリアは「一緒に」ベツレヘムに行きました。マリアは身重であり、臨月を迎えていたのに、です。

◆ ルカはマリアが身籠もった経過をこう記しました。ある時、天の使いがマリアに現れ「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げました。しかしそれはマリアにとってあってはならない事態でした。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」。この言葉が身重であったマリアがヨセフと一緒にベツレヘムに旅立った理由を明らかにします。ナザレに二人の居場所はなかったのです。「男の人を知らない」のに身籠もる、それは説明できない事態です。天使が現れてそう告げたという説明で納得など得られるはずはありません。ましてそんなことを信じる村人などいるはずがありません。だから二人はナザレでは心を安んじた生活をすることはできませんでした。そういう状況の中で、ヨセフは、身重のマリアをナザレに一人残して、ベツレヘムまでの長旅をすることはできなかったのだと思います。もし、自分が不在の時にマリアに陣痛が起こっても、親や近所の人たちの好意に彼女を委ねることはできないのです。だからヨセフは「身ごもっていた、いいなづけのマリアと一緒に登録するため」にベツレヘムに行かなければならなかったのです。

◆ ベツレヘムに到着後、マリアは初めての子を産むことになります。出産場所は家畜小屋でした。ルカは次にように記しています。「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」二人は、子どもを産む部屋を用意することはできませんでした。マリアとヨセフにとって、ナザレも安心して暮らせる場所ではなかったし、ベツレヘムでも安心して子を産む場所がありませんでした。イエスは、そういう両親のもとに生まれたのだとルカは物語るのです。

◆ もうひとつ、マリアとヨセフは生まれた子を「飼い葉桶に寝かせた」とルカは記しています。飼い葉桶は羊や山羊や牛がその鼻先を突っ込んで草を食べる桶です。動物のよだれがこびりついている。そういう場所が人間社会にはあります。そして、そういう場所が人間の心の中にあります。救い主はそこに生まれたとルカは記すのです。

◆ そしてこの救い主の誕生を真っ先に知らされたのは、羊飼いたちだったとルカは物語ます。羊飼いとありますが、おそらく自分の羊を飼っていたわけではなかったのです。羊にはオーナーが別にいました。彼らは日雇い労働者であり、いつ雇い止めになってもおかしくない人たちでした。その仕事は過酷を極めました。昼は、照りつける太陽の光を避けることはできず、夜は夜で、しんしんと冷える冷気に身を晒さなければなりません。加えて、羊を襲う野獣を杖や鞭、石投げを使って追い払わねばなりませんでした。羊泥棒もいましたので、夜全員が眠るわけにはいかず、夜通し交代で番をしなければなりませんでした。昼働いて、夜は家族が待つ家に帰ってベッドで休むなどという生活は夢のまた夢に過ぎません。

◆ 当時の羊飼いは、経済的にも貧しい階層の人々の仕事でした。寝泊まりする家もない。町に居場所などない人たちでした。だから、住民登録をすることも求められませんでした。住民の数に数えられていない。皇帝アウグストゥスから見れば、数えるべき人間ですらないのです。ユダヤ社会の中では、律法に定められた生活習慣、例えば安息日に働いてはならない、礼拝をするために会堂へ行くという掟、それすら守ることのできない汚れた罪人だとされ、神からも人からも見捨てられた人々と見なされていました。ルカはそういう人たちを救い主の誕生物語の中に登場させるのです。

◆ いつものように野宿しながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、主の天使が現れ、こう告げました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」

◆ 「あなたがたのためにも」ではありません。「あなたがたのために」です。羊飼いも外れ者にされず加えられますよというのではなく、羊飼いのために救い主が生まれになったと天使は告げたのだというのです。さらに天使は「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と告げました。しかし、安息日に礼拝をしに会堂へ行くこともない羊飼いたちは、別に救い主の到来を待ちわびていたわけではありません。自分の親からは「会堂へ行きなさい」と言われるよりも「羊の番をしておけ」と言われて育ってきたのです。ですから「あなたがたのために救い主がお生まれになった」と言われても、「別に全然待ってなどいませんけど」と思ったに違いありません。

◆ しかし天使の言葉の中で、彼らの心に響いた言葉がひとつありました。「飼い葉桶」という言葉です。もしこれが宮殿の中だとか、裕福な人の屋敷で生まれたと伝えられたら、羊飼いは幼子を探しには行かなかったはずです。いや行けなかったはずです。なぜなら彼らは、羊の匂いが染み付いたボロボロの服を着ていたからです。宮殿や大きな屋敷の中だったら訪ねて行っても門前払いされ、会わせてはもらえないからです。宿屋に泊まれず飼い葉桶の中に眠っている幼子だからこそ、羊飼いたちは会うことができる。当時の社会で汚れた仕事だと見下げられ、罪人だと決めつけられていた羊飼い、そのような者にこそ出会うために、そのような立場に置かれた者の思いを聞き抜くために救い主を贈る、それが神の意志なのだとルカは告げたいのです。

◆ 20節に「羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、讃美しながら帰って行った」とあります。彼らが帰って行った現場、それは厳しいものです。ローマの皇帝がおり、その下にローマの総督がおり、さらにヘロデ大王がおり、彼の家来がいる。そして過酷な税の取り立てがあり、差別と抑圧がある世界です。その世界の最底辺に彼らは帰っていきます。でも、その最底辺から、天にある神の栄光を賛美し、地に到来した平和を宣言するのです。富や名誉によって保証される平和ではなく、神によって保証され、与えられる平和です。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

◆ 家畜小屋を、飼い葉桶を、羊飼いと羊たちの暮らす野を居場所とする救い主、私たちの心の中の汚れた飼い葉桶に神の救いが宿される、聖書が語るこのクリスマスの出来事の意味深さに出会うために、私たちも各々の現場に帰り、新たに歩み出したいと思うのです。

2019年12月29日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2019.12.29 マタイによる福音書2:1-12  「星よ、ひそかに」 望月修治       

◆ マタイによる福音書は、イエスの誕生の次第を物語ったあと、東の方から占星術の学者たちが救い主を拝むためにベツレヘムへやってきたという出来事を語っています。古代の占星術は厳然として動かないように見える北極星を中心に成り立っていました。ところが星が動き出したとマタイは語るのです。「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」占星術の常識が覆されます。当時の世界観では星は動かないはずでした。その動かないはずの星が動いた。そのことで占星術の学者たちは気づかされたのです。星が世界のすべてを定めているのではなく、この動かないはずの星を動かす方がいるのだ。星は規則正しく運命を語るかのように動くのではなく、星自身が予期せぬ方向へ、人間の思いや経験を超えて動き出す。この出来事が学者たちを旅立たせたのです。福音書記者のマタイはこの情景に託してクリスマスの意味を語ろうとするのです。

◆ 占星術の学者たちが知ったことは、星によって「運命」が定められた人生を人は歩むのではなく、星を動かす方に守られ、導かれて生きるのだということでした。これまで世界には自分たちの経験上知らないことは起こらないと彼らは考えていました。だからこそ人々の今日のまた明日の運勢を占ってみせることができたのです。しかし、彼らは予期せぬ方向へと動く星を見てしまったのです。見てしまった後に、彼らはもはや今までの経験に基づいて仕事を続けることはできなかったのです。自分たちの人生は星によって定められた運命通りに刻まれていくのではなく、星を動かす方がおられ、その意志を示し、自分たちを導かれる。学者たちはそのことを発見し、気づかされ、ユダヤに向かって旅立たずにはおれなかったのです。「東の方からエルサレムに来て」とマタイは記しています。「東の方」とはペルシアのあたりを指しているのでしょうか。もしそうならユダヤまでの距離は1千キロを超えます。砂漠や荒れ野を越えなければなりません。野獣や盗賊に襲われ、命を落とす危険もありました。そのような旅を重ねてまでエルサレムに来たのだということをマタイは「東の方からエルサレムに来て」という言葉に込めています。彼らは星を動かす方がおられることに気づかされたとき、その方を信頼して、旅に出たのです。

◆ エルサレムにやって来た学者たちはこう尋ねます。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 当時のオリエント世界で学者たちのいた国は先進国です。その国から、世界の周辺と見なされていたユダヤに王が生まれたというので拝みに来たというのです。これは占星術の学者たちに、それまでの生き方や世界観を捨てて、新しい生き方を始めるという、根本的な方向転換が起こったことを示します。

◆ マタイが記すイエスの誕生物語には、実はもうひとつ大切なことが語られています。星を動かす方がいることを体験した学者たちは、傍観者でいることができなかったということです。具体的にそれは幼子を拝んだ時の学者たちの行動に示されています。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」ことです。このとき学者たちが宝の箱を開けて献げたもの、それは宝ではなく占星術師としての彼らの商売道具であったとする解釈もあります。もしそうだとすれば、それは彼らが占星術師を辞めたということを意味します。今まで自分たちが身を置いてきた占星術の世界では、人間の運命はすでに決められているがゆえに、諦めと安心が同居する日々を歩むのだとされてきました。しかしそういう生き方は無意味だと知った。だから彼らは「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」と語られているのです。

◆ クリスマスの物語が告げるのは、捨てるという経験であり、その一方で献げるという経験です。占星術の学者たちが「宝の箱を開けて、献げた」という、それは彼らが大切にして来たもの、生きる基盤、支えとして来たものを差し出したということです。ましてそれが彼らの商売道具であったとすれば、彼らの生きることの基準がまったく変わってしまったことを意味します。

◆ イエスの誕生、救い主の誕生は十字架で生涯を終えたイエスの命の物語の始まりです。クリスマスの出来事をイエスの十字架の死を抜きにして読むことはできません。神は人間を得るために、愛する者を失いました。後にイエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けたとき「これはわたしの愛する子」と宣言した、そのかけがえのない存在を献げ、失いました。生きることの基準、座標軸が全く新しいものに置き換えられる、この新しさは古いものを捨てることとセットです。古いものを捨てるということは、言い換えれば傍観者でいることをやめることです。ドイツのミュンヘンから130キロほどの距離にある村オーバーアマガウで、10年に一度行われる「受難劇」「パッションズシュピーレン」は有名です。村人たちは総出で受難劇を演じます。そこでは誰も傍観者ではいない。村人の誰もが、何らかの形で役割をもち、受難劇に参加します。マタイ福音書が物語るイエスの誕生物語もまさにそのような出来事なのです。星が動くのを見たのなら不参加はありえない。占星術の学者たちはこの出来事の傍観者でも、報告者でも、研究家でもありません。彼らはこの出来事に関わり、参加するのです。クリスマスの救いの物語は、傍観者のように見ていたら分かる出来事ではありません。味わうことを求めています。体験の輪に加わることを促します。救いは経験されなければなりません。占星術の学者たちはそのために旅立ったったのです。

◆ クリスマスの物語に登場するのは二つのタイプの人々です。ひとつは占星術の学者たちのように、救い主の誕生の出来事と向き合い、受け入れ、自らのこれまでの生き方を捨てて、新しい生き方を得ていく人たちです。もう一つの人々は、これまでの生き方にこだわり、これまでの自分を守りたいがゆえに、新しくなることを拒否する人たちです。それを象徴するのがヘロデです。彼は失うことを拒むが故に不安になります。しかしそれはヘロデだけではありません。圧倒的多数の「エルサレムの人々」も同様です。3節に「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」と記されている通りです。彼らもまた変わりたくなかった人たちです。

◆ ヘロデも、エルサレムの人々も、彼らが願ったことは、クリスマスの出来事があたかもなかったかのように生きることでした。ヘロデはそのために占星術の学者たちに、クリスマスの出来事を調べさせ、その上でこの出来事に関わる全てを消し去るために、ベツレヘム近郊の二歳以下の男の子をすべて抹殺するように命じました。エルサレムの人々も占星術の学者たちのようには生きない。彼らはあたかも何事もなかったかのように生きようとしたのです。救い主の話も、輝く星も、すべてなかったかのように生きているのです。それが上手な生き方だと考えたからです。マタイが幼い救い主に最初に出会ったのは、ユダヤの人々ではなく、異邦人である東の国の占星術の学者たちであったと記した理由はそこにあります。

◆ 占星術の学者たちは、何事もなかったかのようにあくまで生きようとする者に、クリスマスのあと、何をすべきかを示してくれるのです。彼らは救い主の誕生を祝ったあと、自分の国へ、自分の生活の場へと帰って行きます。救い主に出会ったら、そのあとには楽園が用意されているというのではありません。学者たちは「帰って行った」のです。自分たちが今まで生きて来た場所に帰るのです。ただし来た時とは「別の道」を通って自分たちの国に帰って行くのです。自分たちの国に帰って彼らを待っているのは、旅に出るまでと同じ世界です。しかしそれを受けとめる見方、視点を変えられて彼らはそこに帰って行くのです。それが「救い」です。救われるというのは、生きることへの視点を新たにされて、自分が生活している場所、生きている場所にもう一度立ち直すことです。帰って行くことです。それが救い主と呼ばれたイエスが人々に、そして今を生きる私たちに語り続けている「救われる」ということの意味です。視点を新しく変えられ、生活を組み立てなおし、今生きている場で生き直すのです。その促しをこのクリスマスの物語は東の国からやってきた占星術の学者たちの姿を通して私たちに語りかけています。

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