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2016年6月26日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨2016.6.26   使徒言行録9:36-43 「かもしかと呼ばれた弟子」 望月修治      

◆ キリスト教会の初期に中核的な働きを担ったのはペトロです。32節に彼の活動ぶりが語られています。「ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。」リダという町の名はあまり馴染みがありませんが、中央パレスチナにあった町です。エルサレムから西に37、8キロほどのところに位置していました。ペトロはそこで、中風のため8年間寝たきりになっていたアイネアという人を、「イエス・キリストがいやしてくださる」と言って癒しました。そのリダからさらに西方向に18キロほどのところ、地中海に面した場所にヤッファという町があります。今日の箇所はそのヤッファという町でおこった出来事の顛末が語られています。

◆ この町にタビタ、訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」、と呼ばれる婦人の弟子がいたとあります。「彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた」とも記されていますので、タビタは積極的な奉仕をしていて教会の中で重要な位置を占めていたことが分かります。これは見方を変えれば、手助けや支援を必要とする人たちが多くいたということです。その中には、当時の社会で不遇な境遇を強いられていたやもめたちも多くいたのだろうと思います。使徒言行録6章には、当時の教会の中でのやもめたちの実情が記されています。「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。」(6:1)とあります。タビタの働きは、このような人たちにたくさんの平安をもたらしていたのだと思います。しかしそのタビタが病気で死んでしまいました。過労からでしょうか。いずれにせよタビタの死は、悲しみと共に、教会の平安が崩れていってしまう不安をみんなに抱かせたはずです。

◆ タビタの身体は、洗い清められてから、上の階の部屋に置かれました。風通しがよいからでしょう。しかしそれだけではなく、おそらく神に少しでも近い所へと置こうと人々が考えたからではないでしょうか。そうした上で、ヤッファから少し離れたリダの町で、中風で苦しんでいたアイネアをいやしたというペトロに「急いで来てほしい」と頼みました。ヤッファの教会のみんなは望みを捨てなかったのです。ペトロが到着すると。やもめたちは一斉に彼の所に寄って来て、泣きながら、タビタがどんなに自分たちのために働き、尽くしてくれたかを語りました。彼女たちはタビタが作ってくれた下着や上着を手に持ってきていて、こんなにも自分たちのために心を尽くして、たくさんの助けを差し出してくれたことを、泣くじゃくりながらペトロに話したのです。

◆ ペトロは皆を退室させました。一人部屋に残ります。いや正確にはタビタと二人きりになりました。そしてひとつの奇跡が起こります。ペトロはひざまずいて祈り、こう言いました。「タビタ、起きなさい」するとタビタは目を開き、ペトロを見て起き上がったというのです。

◆ この情景は会堂長ヤイロの娘の物語と重なります。マルコ福音書は5章21節以下に、またルカは福音書の8章49節以下にこの物語を集録しています。ある日会堂長ヤイロから使いがきて、娘が死にかけているので自分の家に来てほしいという使いがイエスの元にやってきました。しかし途中で再び使いが来て「お嬢さんは亡くなりました、この上、先生を煩わせることはありません」と告げます。しかしイエスは会堂長の家を訪ね、亡くなっていた娘の手を取って「娘よ、起きなさい」と呼びかけると、その娘はすぐに起き上がったというのです。特にマルコ福音書は、このときイエスが語った「娘よ、起きなさい」という言葉をイエスが話していたアラム語のまま書いています。「タリタ、クム」。原始キリスト教、初代の教会の人たちにとって、忘れ難い言葉であったのです。ルカにとってもこのイエスの言葉は印象深いものでした。だからヤッファでの物語の中でペトロに語らせたのです。「タビタ、起きなさい。」 これをマルコ流に表現するなら「タビタ、クム」ということになります。初代の教会の人々にとっておそらくこの言葉は、心に深く刻まれた望みの言葉であったのだと思います。
リダに住んでいたアイネア、ヤッファの町で活動していたタビタ、この癒された二人が抱えていた病状の困難さは、アイネアの場合、病気がすでに8年間と長期にわたっていたこと、タビタの場合は彼女が死んだという描写によって強調されています。

◆ それでは使徒言行録の物語は、そのような二人を癒したペトロの働きを描くことで、何を伝えようとしているのでしょうか。そのことを読み解く上でのポイントは、ペトロがどのような経過をたどってこの状況に関わり得ているのかということにあります。ペトロは弟子たちの中で、いつも1番に名前が挙げられていました。彼はもともとシモンという名前でしたが、ある時に、イエスに向かって「あなたこそ生ける神の子です」と言って、褒められ、そのときに「岩」を意味する「ペトロ」という名前をもらったのです。しかし彼はイエスを裏切りました。「あなたこそ神の子です」と告白し、「どんなことがあってもついて行く」と言っておきながら、イエスの信頼を裏切り、3度も「わたしはイエスのことなど知らない」と彼は言ってしまいました。自分を守り、自分の都合しか考えない。だらしなく、いくじのない男、情けない人物、それがペトロの否定し難い一面です。その彼が、自分の命を懸けてイエスことを語っている。それが今日の箇所に描かれているペトロです。福音書に記されている段階でのペトロとは、明らかに違っています。これは彼の中からの力や決意ではなく、外から大きくて、決定的な力が働いていたとしか言いようがないことです。使徒言行録では、その力を聖霊の力、聖霊の働きと呼びます。いくじのない者、弱い者が、聖霊の力を受けて驚くべき働きをなしていく。その記録が使徒言行録なのです。

◆ 「イエス・キリストがいやしてくださる」と語るペトロは、イエスを十字架につけた張本人は自分だと思っていたはずです。十字架の出来事を思うたびに「わたしはどうしたらよいのか」とうめかざるを得ない時を彼は味わってきたのです。「わたしはどうしたらよいのか」といくら呟いても、自分の犯した過ちは消えません。柱に釘を打ち込んでしまった。その釘を抜くことは出来ます。しかし釘あとは残ります。同じように、イエスを十字架に架けて殺したという事実は消えません。よみがえったキリストの体から手のひらの釘あとも、脇腹の槍のあとも消えてはいませんでした。イエスを十字架につけたことは夢ではなく、事実です。

◆ ペトロは罪悪感に打ちのめされていたはずです。彼が出会った復活のイエスの手の平には釘の跡がありました。イエスはその手のひらでペトロを抱きとめるのです。取り返しのつかないことをしてしまったペトロを「しょうがない奴だな。でもあなたを愛しているよ」と言って抱きしめるのです。だからイエスを裏切ってしまった、取り返しのつかないことをしてしまった自分と向き合っていけたのです。そうであるからこそ「イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい」と語るペトロの言葉は深いのだと思うのです。


2016年7月10日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2016年7月10日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第9主日
説 教:「食事の間合い」
牧師 望月修治
聖 書:使徒言行録
27章33~44節
招 詞:イザヤ書43章1~2節
交読詩編:54
讃美歌:29、120、462、536、91(1番)

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