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2022年8月21日(日)の説教要旨 [説教要旨]

エレミヤ書6章16~21節 「時代への眺望」 菅根信彦

★スペインの出身でアメリカの哲学者で詩人のジョージ・サンタヤーナが語った言葉に、「過去の歴史を記憶できない者は、過ちを繰り返すように運命付けられている」という名言があります。過去のヒロシマ・ナガサキの「平和宣言」の中で度々用いられてきたものです。現代社会の「歴史から学ばない」、「記憶に留めない」在り方への警鐘を鳴らした言葉となっています。

★今年の8月6日の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式で広島県湯崎英彦知事は、ウクライナ侵攻と侵略国の核兵器の使用も辞さないと語る現実を前に「力には力で対抗するしかない、という現実主義者は、なぜか核兵器について、肝心なところは指導者は合理的な判断のもと『使わないだろう』というフィクションたる抑止論に依拠しています。本当は,核兵器が存在する限り、人類を滅亡させる力を使ってしまう指導者が出てきかねないという現実を直視すべきです」と語り、核廃絶を強く訴えました。また、小学生6年生のバルバラ・アレックスさんと山﨑 鈴さんの「平和の誓い」では、「過去に起こったことを変えることはできません。しかし、未来は創ることができます」。そして、「被爆者の声を聞き、思いを想像すること。その思いをたくさんの人に伝えること・・・未来を創るために行動することを誓う」との言葉で締めくくりました。さらに、8月15日を起点に戦争の惨禍を「語り継ぎ風化させぬ」との言葉を耳にいたしました。

★考えてみますと、出来事という歴史の事件そのものは風化することはありません。「歴史の風化」とは、語らなくなるから伝わらない、伝わらないから忘れ去られていくものであるはずです。そして、出来事が風化するとは言葉の意味が分からなくなるだけではなく、生きていく私たちの社会の「共通認識」や「共通感覚」を失っていくことでもあるのではないでしょうか。

★旧約聖書申命記6章4節以降は、シェマと呼ばれるイスラエルの民が日毎に唱えていく祈りの原点にあたる個所ですが、そこには「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しなさい」(5節)との命令が記されています。これはイエスご自身も最も大事な掟として引用している言葉です。しかも、この命令を「心に留めて、繰り返し教え、語り聞かせよ」(6節)と指示し、さらに、「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を忘れないように注意しなさい」(12節)と付け加えています。出エジプト以降の歴史を導く神の業を忘れることを戒めていきます。そして、旧約聖書の預言者たちは、その原点を忘れていったことが信仰を形骸化させ、政治を腐敗させ滅びへと向かったとの歴史理解を抱いています。

★エレミヤは南ユダ王国の滅亡前後に活躍する預言者ですが、イスラエルの民の救いの原点、しかも、その民族を形成する一人一人の救いの原点を思い起こし、神の前で深い悔い改めをすることを強く促しています。本日は「主は言われる。『さまざまな道に立って、眺めよ。昔の道に問いかけてみよ。どれが幸いに至る道かと。その道を歩み、魂の安らぎを得よ』」(16節)の言葉に注目したいと思います。特に、「昔からの道に問いかけてみよ」との言葉は自分たちのかけがえのない原点に返ることが促されるものです。もちろん、「昔からの道」は復古的な伝統を言うのではなく、それぞれの「救いの原点」、また、その後の揺れ動き誤った生き方も含めてのイスラエルの民の経験や私の経験も含めて、その歩みを深く見つめることを言っています。言葉を変えていえば、神の前での「自己形成の道のり」を見つめるということです。

★政治学者の神島二郎(1918年〜1998年)は、丸山眞男と柳田國男に師事し、両者の業績(丸山政治学と柳田民俗学)を架橋したといわれ、アジア・太平洋戦争に敗れた衝撃から、立教大学で近代日本の歩んだ道筋を追究した方です。その著書『転換期日本の底流』の中で、過去の軌跡に学ぶことについての言及の中で、南アンデスの山中に住むケチュア族のことを紹介しています。ケチュア族は12世紀~15世紀にかけて隆盛を誇ったインカ帝国を作り上げた民族のひとつです。彼らは独特の歴史理解をもつ民族のようで、彼らは「未来」は自分たちの後ろにあるとの理解をしていると紹介しています。通常、私たちは、歴史の時間を直線的にとらえ、「過去」から「現在」そして「未来」と捉えていきます。未来は自分たちの歩もうとする前に広がっているものと考えます。しかし、ケチュア族は未来が後ろにあって過去は前にあると捉えて、民族の「自己形成」をしていることを伝えています。つまり、ボートを漕ぐような進み方をするということです。後ろを向いて前に進むという具合です。

★日本の近代は西欧の先進諸国をモデルに常に未来からものを考えてきたことを、神島は批判的に見ていたわけです。もちろん、過去の方がいいとか伝統的な文化を讃えているわけではありません。自分たちの「自己形成」の問題をいっているのです。自己形成は、自分の歩んできた道そのものをどうとらえ、受けとめていくか、そしてどう生きるかとの問題です。過去の全てを水に流す、過去に蓋をするような在り方は、これまでの過ちや失敗を忘れて、責任を棚上げしてしまいます。「自己形成」にほど遠いかも知れません。また、前にある幸福だけを求める生き方への警鐘を含んでいます。

★エレミヤの言葉から、私たちは主イエスとの人格的な出会い、罪の執り成しにより生かされてある「原事実」を自分の過去や歩んだ道のりを常に掘り下げながら確認していくことの大切さを教えられます。また、近代日本の歴史の真実を勇気をもって見つめていく必要を覚えます。神の前における「自己形成」の営みを続けていきましょう。

2022年9月4日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2022年9月4日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第14主日
於:栄光館ファウラーチャペル
説 教:「捨てられた石」
             牧師 菅根信彦
聖 書:マルコによる福音書12章1〜12節
招 詞:詩編98編1節
讃美歌:24,51(1・2・3節),441(1・2・3節),524(1・2節),91(1節)
◎聖餐式を行います。

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://www.doshishachurch.jp/home/weekly

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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