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2021年11月28日(日)の説教要旨 [説教要旨]

マルコによる福音書13章21~37節 「目を覚ましていなさい」 大垣 友行

◆ 本日から待降節、アドベントに入っています。同志社教会では、毎年この時期になりますと、女子中高にお願いをして、校内のモミの枝を切らせていただき、アドベントクランツの準備をいたします。主イエスキリストの栄光を表す蝋燭を順に灯していくことで、クリスマスまでの道のりが、次第に照らし出されて行くような思いがいたします。

◆ アドベントと言いますと、他にも楽しみなことがあります。一つはアドベントカレンダーです。同志社教会では、主にこどもの教会に出席しているこどもたちに毎年お配りしています。小さなチョコレートがはめ込まれていて、クリスマスまで、毎日ひと粒ずつ食べていくようになっています。

◆ そしてアドベントと言えば、シュトレンも楽しみです。問題はクリスマスまでもつかどうか、速く食べすぎてしまわないかどうかということで、うれしい悩みです。食べ終わるまでのペースをよくよく考えておかなければなりません。

◆ ただ、このアドベントの期間は、元々クリスマスに向けて生活をただすという意義を持っておりまして、悔い改めと断食をする期間でもあります。ですから、講壇掛けの色も、悔い改めを意味する紫色のものが用いられています。本日は改めまして、アドベントのこの時をどのように歩んで行くべきなのかということを、御言葉によって確かめてみたいと思います。

◆ 今朝はマルコによる福音書13章のエピソードを取り上げます。そもそも、この13章は、全体として「小黙示録」、小さな黙示録として、一つの大きなまとまりをなしていると言われます。つまり、この世の終わりの出来事、終末の出来事について語られた部分であるというふうに理解されていることになります。

◆ さて、今朝の聖句は21節からの部分です。ここでは、終末に先立って、偽メシアや偽預言者が現れる、ということが語られています。これは実際に、マルコの属していた教会で、そのような動きがあったということをも意味しています。終わりの時が近づくにつれ、何か不穏なことが起こり、人々は浮足立つ。そのようになることを、イエスは前もって警告しておられるわけです。13章7節では、そうした穏やかならぬことを前にしても、「慌ててはいけない」と言われております。

◆ そして24節からですが、この部分は終末の出来事そのものについて語っています。この部分に先立つ13章4節では、四人の弟子たちが、イエスに次のように問いかけています。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか」と。イエスは、この問いに対して、「人の子が来る」と応えておられます。イエスは旧約聖書のダニエル書のイメージを借りて、苦難の後に「人の子」が現れるということを語っているのですが、その「人の子」が他ならぬイエス自身であることを、わたしたちは知っています。

◆ そして、28節からの「いちじくの木の教え」ですが、この部分は終わりの時が近いこと、そのことを物語っています。そしてこの部分の30節から31節の言葉は、とても重要な意味を持っているように思います。30節で言われている「これらのこと」とは、終末の出来事に至るまでの段階のことを意味しています。つまり、不穏な出来事が起こるということ、そのことです。終末に向かって突っ走るのではなくて、マルコはまるで、それにやんわりとブレーキをかけるように、これらの言葉を挿入しているように思います。つまり、こうしたこと、すべての不穏なことの一切が起こってしまうまでは、今わたしたちが生きているこの時代は滅びることがない、ということです。終わりの時が差し迫ってはいるものの、わたしたちは、あくまでもその前の段階を生きているということに、注意が向けられているわけです。

◆ そして、32節からの部分は、小黙示録の締めくくりの部分になります。イエスに問いかけた弟子たち、そしてそれを聞いたわたしたちは、終末にいたるまでのことと、終末の出来事そのものについて教えられて、今度は、それが一体いつのことなのか、ということが気がかりになってきます。「その時」がいつなのかということがわかれば、それに相応しい備えができようというものです。

◆ ここでイエスがわたしたちに示されたのは、ただ、「目を覚ましていなさい」ということです。イエスは、家の主人としもべのたとえを用いて、このことを説明しておられます。イエスがおっしゃる「その時」に、わたしたちがそれぞれの課題に対して不誠実であったなら、どうでしょうか。「その時」がいつになるかはわたしたちには知る術もありませんが、ただ「その時」のために「目を覚ましている」こと、それぞれの賜物に相応しい仕事に励むこと、このことが本当に大切なのだということを、ここでイエスはわたしたちに教えてくださっているように思います。

◆ それにしましても、主人がいつ帰ってくるか分からず、それまで眠っている暇もないとは、あんまり辛い役目ではないかと思われて参ります。はじめのうちは元気でも、あまり長く待たされて、待ち焦がれてだんだんウトウトしてくることもありそうです。

◆ 不穏な出来事の中を、いつ訪れるとも知れぬ希望を待ち望み、忍耐して過ごす。そうした態度が求められています。でも、神様がわたしたちを救ってくださるその時は、喜びを胸いっぱいに感じながら迎えたいと思うんです。そんなふうにできるかどうかは、たとえて言うなら主人としもべの関係が、本当に親密なものであるかどうかにかかっています。

◆アドベントからクリスマスに向かうこの時、街に繰り出せば、きらびやかな雰囲気が感じられる季節でもあります。キリスト教の習慣としてではなくて、ただ心を楽しませるものとして、クリスマスの雰囲気があちこちに見受けられるようになります。そんな時、わたしたちはついそうしたものに背を向けることもあります。断食や悔い改めを大切にしようとすると、チョコレートやシュトレン、クリスマスのごちそうも、何だか味気ないものになってしまうような気がします。

◆ きらびやかなもの、ぜいたくなもの、楽しいものとの距離感は、適切に取るようにしたいと思います。そうしたものから離れて、孤独に追い込まれるのではなくて、そうしたものも、わたしたちと神様とのつながりを表すものと捉えることはできないでしょうか。堅実にこの日々を生きてゆくことは大事なのですが、神様が約束し、もたらしてくださる救いのリアリティを、しっかりとつかまえていることができるように、きらびやかなツリーも、おいしい食べ物も、それはそれとして、心静かに楽しむことができればよいと思います。そしてそうしたアドベントやクリスマスの体験は、たしかに、神様の救いにつながるものに違いないのです。

2021年12月12日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2021年12月12日(日)午前10時30分
降誕前第2主日・待降節第3主日
説  教:「共にいるイエス」
        同志社女子中高教諭 平松譲二
聖  書:マタイによる福音書1章21~23節
招  詞:イザヤ書40章4~5節
讃 美 歌:242(3節),231(1・4節),465(1・3節),91(1節)

(オンライン礼拝視聴申請フォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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