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2015年1月11日の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2015年1月11日(日)午前10時30分
降誕節第3主日 
説 教:「洗礼者と受洗者
         牧師 望月修治
聖 書:ルカによる福音書
 3章15~22節(新約p.106)
招 詞:ヨシュア記3章7~8節
讃美歌:27、16、481、277、91(1番)
交読詩編:104;24-30(p.114上段)

※礼拝は同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行います。どなたでもお越しください。

2014年12月28日の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨 2014.12.28  マタイによる福音書2:1-12 「東の国から」

◆ 日本で最初のクリスマスが祝われたのは、フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝えられた3年後、1552年12月25日であったといわれています。ザビエルの後継者である宣教師コスメ・デ・トルレスが山口の司祭館に日本人信徒を招いて、イエス・キリストの誕生を祝ったという記録が残されています。では世界で初めてのクリスマスを祝ったのは誰であったのか。

◆ マタイ福音書によれば、それは同胞のユダヤの人々ではなく異邦人、遠く東の地から、おそらく2千キロを超える旅をしてユダヤにやってきた占星術の学者たちでした。マタイはこの誕生物語によって何を明らかにしようとしたのでしょうか。あるいは何を確認したかったのでしょうか。「占星術の学者たち」と記されているは、原文では「マゴス」です。これは、もともとはペルシアの祭司のことでした。やがて賢者、学者、魔術師、占い師など広い意味を持つ言葉として使われるようになりました。 その学者たちが、はるばるユダヤにやって来ます。その次第を福音書記者のマタイは次のように記します。「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」 この「ユダヤ人の王」とは、ただ「ユダヤを治める支配者」というだけの意味ではありません。ユダヤの民が長く待ち望んできた、神からの救い主を意味する言葉です。

◆ 彼らはまず、ユダヤの都エルサレムに向かい、ヘロデ王の宮殿を訪れます。ヘロデ王とは紀元前40年にローマでユダヤ王に任命され紀元前37年から紀元前4年に亡くなるまで33年間ユダヤを統治したヘロデ大王のことです。 福音書記者のマタイが、ユダヤに着いた学者たちがまずエルサレムを訪れたというふうに描いたのには理由があります。ルカによる福音書は救い主イエスの誕生を最初に知らされたのは野宿をしていた羊飼いたちであったと語っています。羊飼いという職業は当時、評価の低い仕事であったことを考えますと、ルカは救い主の誕生を密やかな出来事、ほとんどの人が救い主が生まれたことなど知らなかったこととして描いています。しかしマタイはむしろ逆なのです。東方の学者たちがはるばる旅をしてやって来た、それは「ユダヤ人の王」を拝むためなのだということがエルサレム中に知られ、ヘロデ王にも知られ、センセーションを巻き起こすのです。決して密やかな出来事ではないのです。マタイにとって、学者たちが誰にも知られず、ひそかにベツレヘムを訪れて礼拝を捧げることなどありえないのです。なぜならユダヤ人たち自身が新しい王の誕生、救い主の誕生をよく知っているということをクリスマスの出来事を物語る前提としているからです。そしてその上でその救い主をどう受けとめるのかを決断しなければならないのだというのがマタイの思いなのです。後にイエスは弟子たちに問いかけます。「それでは、あなたたちはわたしを何者だと言うのか。」 学者たちの来訪によってユダヤの人々はこの問いを突きつけられるのだということ、それがマタイのクリスマスの描き方です。

◆ このことをマタイは東方からやって来た占星術の学者たちと、ユダヤの指導者たちとを対比させながら、物語りました。キリストに関する知識から言えば、東方の学者たちは星の指し示すことしか知りません。彼らが知っていたのは2節の言葉から判断すれば、星が特別な輝きを見せるとき新しい王がユダヤに生まれたしるしであるという程度のことであったと思われます。これに対してエルサレムにいた祭司長や律法学者たちは、それとは比べものにならないほど多くの知識と情報をもっています。そのことはヘロデから「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問われて、即座に預言者の言葉を引用してそれがベツレヘムであることを即答していることからも分かります。ちなみに6節に記されている預言者の言葉はミカ書5:1(p.1454)「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」を引用したものです。祭司長や律法学者たちは預言を正確に知っており、その預言の言葉が意味していることもきちんと分かっているのです。

◆ マタイが強調しているのは「にもかかわらず」ということです。にもかかわらず彼らユダヤ人の指導者たちは救い主を拝まなかった、キリストを礼拝するという信仰的な決断と行為をとらなかったということです。彼らはエルサレムからわずか8キロしか離れていないベツレヘムに行こうとはしなかったのです。東方から占星術の学者たちが2千キロもの旅をしてやってきて、「ユダヤ人の王としておうまれになった方はどこにおられますか」と尋ねて、新しい王が誕生したことを彼らも知ったのに、そしてその王はどういう形でどこに生まれるのかも正確に知っていたのに、そしてエルサレムからわずか8キロ程度しか離れていないベツレヘムで起こっているはずの出来事であったのに、彼らは出かけていこうとはしなかったのです。

◆ 礼拝を捧げたのはユダヤ人ではなく異邦人である学者たちでした。知ることと生きること、知識をもつことと礼拝することとは同じではないということです。知っていることが受け入れること、信じることに結びつくわけでは必ずしもないのです。大事なことは、いかに多くを知るかではなく、どのような礼拝を捧げるかです。イエスを救い主と告白し、礼拝することは私たちの日々の暮らしの単なる延長線上に生まれるものではありません。あるいは知識をたくさん積み上げた結果としてもたらされるものでもないのです。そうではなくて、救いとは生きることへの視点を転換させられること、新しい視点を与えられ生きることを受けとめなおすこと、イエスが救い主であるということは、イエスが自らの生き方を通してその視点の転換を具体的に示したからです。そのような生き方を知らされたときに、それを選び取っていこうとするとき、人は礼拝者、礼拝を守る者となるのです。

◆ 占星術の学者たちは彼らの国で常の天には見ることのなかった星を見ました。その星の輝きを彼らは自分たちが持っている知識で解釈し、その意味する所を確かめたいと旅に出ました。そうすることで彼らは生き方を変えたのです。知識によってすべてを見通していこうとする生き方を変えたのです。出かけて行って会うことによって彼らは証しをすることができる者になっていったのです。知識で読み解いたことを語るということを証しとは言いません。実際に自分が体験し、味わい、受けとめるという体験があって、そこから紡ぎ出されていく言葉こそ証しなのです。私たちが伝えるべきことは単なる知識としての聖書ではありません。私たちが出かけていって、救い主に出会って、心動かされて生き方を変えられていった、その体験を語ること、伝えること、分かち合うことが証しであり、その証しをなしていくことこそが信仰者としてなすべきことです。東方の学者たちの物語はそのことを告げてくれているのです。今の生活の安泰を維持するために信じるというのではなくて、生き方を変えていく、あるいは変えてもらうために、クリスマスの出来事に新たに出会い直し、新しい歩みを起こしていってみたいと思っています。


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