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2019年1月27日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨 2019.1.27  ルカによる福音書 21:1-9 「神の場所」 (髙田)         

◆ 妻が11月半ばから入院し、ここまで様々な局面を通り抜けてきた。病院での年越しも体験した。普通であれば、紅白歌合戦を鑑賞して、初詣に出かけて行けば、新年の気分を十分に味わうことができるだろう。しかし、入院しているものは、そのような年越しはできない。なぜ人びとは神社を訪れるのか。そこに神がいると信じているからであろう。しかしそのような神々に対して、イエス・キリストがわたしたちに教えて下さった神は、主の祈りの「天にまします我らの父」であり、その場所は天である。たとえ病の床にあっても、たしたちは神に呼びかけ、祈ることができる。

◆ しかし、わたしたちの神の場所がどこであるのかに着目して聖書を読むならば、いろいろ複雑なことに気付かされる。それを示すのが今日の聖書箇所でも言及されていた神殿の存在である。イエスの時代、エルサレムには神殿があり、お賽銭箱のようなものがあった。人々は、祭りのおりには方々から神殿を訪れ、献げ物をし、罪の赦しを祈った。そうして祭りに加わることで、一年に区切りを設けてこれを味わってもいたはずである。そうすると、日本の神社とそんなに変わらないのではないかと思わされるが、神社と違う所は、神殿はただ一つ、エルサレムにあったことである。

◆ 紀元前1000頃、ダビデがエルサレムの町を王国の首都に定め、その子のソロモンの時代、エルサレムに最初の神殿が建築される。この神殿の建築が終わった時に、ソロモンがこの神殿でささげた祈りが記されている。「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。わが神、主よ、ただ僕の祈りと願いを聴いてください。‥‥ここはあなたが『わたしの名をとどめる』と仰せになった所です。このところに向かって僕がささげる祈りを聞き届けてください」(王上8.27-29)。ここには神殿を巡って生じる、二項対立が現れている。一方で神は神殿に住むはずもないといいながら、しかしその住まいとして、大変な労力と資金を用いて神殿の建設がなされているのである。

◆ そもそもイスラエルの神は定まった場所を必要とする神ではなかった。カルデアのアブラハムに語りかけ、彼をカナンの地へと移住させて、そうしてシナイ半島でモーセに現れた。その神はエジプトでその力を示し、イスラエルの民を奴隷状態から解放して、再びカナンの地へと導いた。今やカナンの地に定住を許され、王国の建設までしたそのところで、そのどこにでも移動できる神がイスラエルにいることのしるしとして、神殿が作られた。神殿は国家の象徴として、民の統合のために機能しもしただろう。国家がそれを必要としたともいえる。

◆ このソロモンの神殿は、それが建てられてから350年程後に破壊される。バビロニアとの戦争の結果、神殿は焼き払われ、宝物も奪い去られた。王国の人々はバビロンに囚われていく。国は滅び、その象徴も失われた。通常であれば、その神殿に祭られていた神もまた消滅する。しかし、イスラエルの神はそのことで生命を取り戻した。その神はかつてエジプトから先祖を救い出した神であった。そもそも神殿に住むのではない、どこにいようとも共にいて下さることのできる神であった。囚われの地、バビロンにあって、イスラエルの人々はその神に祈りを捧げることができた。

◆ そうして、50年程の時を経て、バビロン捕囚が終わりを迎える。バビロニアを滅ぼしたペルシャによって、イスラエルの人々はエルサレムへの帰還を許される。帰還の目的はエルサレムに神殿を建てるためであった(エズ1.3)。国家として、民族としての体を失いつつあったイスラエルの民を再び一つにまとめるため、神殿の建設という大事業が行われた。紀元前520年頃のことと考えられている。5年程の工事の末に神殿が完成し(エズ6)、これを中心にして祭儀が整えられていく。そうして紀元前450年頃、神殿と律法を中心にするユダヤ教が成立した。エジプトにおいて、またバビロンにおいても人々に希望を与えた神は、再び神殿に住むものとされ、規律や祭儀といった宗教のシステムを通じてこそ近づきうるものとなってしまった。

◆ その後、他国の支配のもとでユダヤ教は存続して行くが、この神殿をリニューアルしよういう動きが生じてくる。クリスマス物語に悪者として登場するあのヘロデ大王がその作業に着手した。紀元前19年頃から始まって、最終的にこれが完成したのが紀元64年。80年以上、改築の工事が続いた。イエスが生まれ、活動し、死んで復活したのは、まさにこの神殿の改築の最中ということになる。本日の聖書箇所には「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していた」とある。見るものを感嘆させるものであったことがわかる。ところがこの神殿は長くはもたなかった。紀元70年、ローマ軍がエルサレムを包囲して攻撃して、神殿には火が放たれて瓦礫となるのである。

◆ イエスの活動はそのような神殿と密接に関係するものであった。神殿に行かねば祈りを捧げて、罪の赦しを願うことのできない人々に対して、イエスは自ら歩み寄り罪の赦しを告げた。まさに病の床にある人、差別により神殿から遠ざけられた人々にイエスは歩み寄って行ったのである。またいずれの福音書においても、イエスが初めてエルサレムの神殿を訪れた際には、祈りの家であるはずの神殿が強盗の巣になっていることに憤り、そこで商売する人々を追い出している。

◆ そうして本日の箇所、おそらくはヘロデ王の壮麗な神殿のために、金持ちが賽銭箱に献金を入れるのに対して、貧しいやもめが銅貨二枚を入れるその信仰を評価した。壮麗な神殿を褒め称えるものに面して、その「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」と、神殿の無意味さを説いた。「天にまします我らの父」を教えて下さった主の祈りに現れている通り、イエスはそのような宗教の枠を越えて働く神の真の姿を示そうとされたのである。そしてその十字架での死こそが、神殿に終わりをもたらした。まさにイエスが死ぬその時に、神殿の垂れ幕が真ん中から真っ二つに裂けた。

◆ ヘロデ王の神殿は紀元70年に瓦礫と化したが、その時すでに神殿はその役目を終えていたということだろう。パウロがすでにこう述べている。「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(Ⅰコリ3.16)。本日のルカによる福音書は、その神殿の崩壊の後に記されているが、その出来事はまさにイエスの十字架と復活が、神を神殿から、ユダヤ教から解き放ったということを深く確信させた。

◆ 新たに生まれた教会もまた同じような歴史を辿った。パウロが語るように、わたしたち一人一人が神の住まい、その神殿でありながら、時を経て教会が成長すると、その教会が神殿、神との出会いの場とされるようにもなった。エフェソ書や第一ペトロ書にそれが現れている。教会はまたその結束のため、宗教の枠組みを必要とし、それに相応しい建物を求めた。これを維持するために献げ物を必要とした。壮麗な教会建築こそが神の住まいであると勘違いされることもあったかもしれない。そうした行ったり来たりというのは、人間には避けようがない事柄なのだろうか。しかしこれを繰り返して、教会は見える形をとりながらも、そこで見えないその精神を、信仰を保ち育んでここまで来た。

◆ わたしたちは、そうした行ったり来たりを自覚しながら、この見える同志社教会に集いながらなお、見える神殿を必要とせず、わたしたち一人一人こそを神殿として下さる神にも目を向けたい。

2019年2月10日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2019年2月10日(日)午前10時30分
降誕節第7主日
説 教:「安息日が安息となるために」
牧師 望月修治
聖 書:ルカによる福音書6章1〜11節
招 詞:出エジプト記20章8〜10節
交読詩編:42:1-11
讃美歌:28,58,204,401,91(1番)

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