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2021年11月14日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2021年11月14日(日)午前10時30分
降誕前第6主日
説  教:「過去の記憶」
      同志社大学神学部准教授 中野泰治
聖  書:ローマの信徒への手紙5章1~11節
招  詞:出エジプト記6章5~7節
讃 美 歌:29,531(1・3節),557(1・2・3節),91(1節)

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

2021年11月7日(日)の説教要旨 [説教要旨]

創世記15章1〜18a節 「選び」 髙田 太

◆ 選ばれてぶどうの木である教会に連なることをゆるされているものには、主から託されている使命というものがある。神は人を選び出し、その使命を与えてご計画をすすめておられる。その神の遠大なるご計画はアブラハムの選びからはじまった。今日の聖書箇所はその物語を示していた。彼はまだアブラムという名であった。

◆ 創世記11章の終わりにアブラムはカルデアのウルを出発しカナンの地方に向かう。父テラと一緒であった。ハランにたどり着き、テラが死ぬ。そうして12章からアブラムの物語がはじまる。神の声を聞いて、アブラムはハランを出発する。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。…地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」。これが神の言葉であった。「地上の氏族すべてが祝福に入る」と神のご計画の目的が告げられている。つまり、すべての人が祝福に入る、よしとされる、肯定されるということである。しかしそれが具体的にどういうことなのかはよくわからない。アブラムにとってそれは不思議な語りかけだっただろう。

◆ それでもアブラムはその言葉に従った。その時、75歳。妻のサライ、甥のロトを連れ、ハランで加わった人々と共にカナンに移住していく。神はアブラムにその子孫にこの土地を与えると約束する。しかし11章30節ですでに、アブラムの妻サライは不妊の女で子供ができなかった、と記されている。テラには三人の子がいた。アブラム、ナホル、ハラン。三男であろうハランの子がロトである。ハランは父のテラよりも先にウルで死んでいた。そうだとしたら、父を失っていたロトにとってアブラムは父のような存在、子のいなかったアブラムにとってロトは子のような存在だったのかもしれない。

◆ しかし、13章では我が子も同然だっただろうロトとの間に、家畜を飼う土地をめぐって争いがおこる。アブラムはロトと別れる決断をする。アブラムはロトが豊かな地を選ぶことをゆるした。選択権を与えた。アブラムがロトを愛していたことが現れている。

◆ そんなふうな、我が子同然であったロトとの別れという苦しい出来事のあとに、神の声が聞こえてくる。ハラン出発の時から三度目の声である。最初は「あなたを大いなる国民にする」、次は「あなたの子孫にこの土地を与える」と言われた。そうは言われても子はいないし、サライは不妊である。子孫とはロトの子のことだろうかと思っていたかもしれないが、今やそのロトが去って行った辛いときに、三度目の声はまた「あなたの子孫に見える限りの土地すべてを与える」と言う。子孫を砂粒のようにする、砂粒が数え切れないようにあなたの子孫も数え切れないと言うのである。

◆ そうして話しは14章に入る。その地方で戦争があった。ソドムに行っていたロトがその戦争に巻きこまれる。ロトは財産もろとも連れ去られるが、アブラムはその知らせを聞くと380人の手勢を率いて夜にこれを襲い、ロトとその財産を取り戻す。戦争の勝利、甥のロトの奪還の時に、四度目の神の声が聞こえてくる。それが今日の箇所である。

◆ ここでアブラムはそれまで抱いていたであろう疑問をはじめて神に投げかける。神がアブラムに「恐れるな、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは大きい」と言われると、アブラムは「わたしに何をくださるのですか、子供もおりませんのに」と答える。続けて「家の僕が跡を継ぐことになっています」と言っているから、アブラムがすでにロトへの執着を断ち切っていることがわかる。子もいない、子だと思っていたロトとも別れた、家を継ぐものについてももう決めてしまった。ここにアブラムの葛藤が現れていると思います。その揺らぎがアブラムに疑問を、疑いを語らせた。それに神は答える。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」。そうして神は5節でアブラムに天の星を数えさせ、子孫がそのようになると改めて言うのである。そしてアブラムは神を信じ、神はその信仰を義と認められたと書かれている。

◆ アブラムは最初から神を信じ、その声に従ってきた。しかしなぜ信じたかは記されていない。子孫が増える、それが恵みだと言われはしても何のことかよくわからない、今日の箇所の冒頭の言葉がそれを示していた。それでもアブラムがその言葉を信じることができたのはなぜだろうか。神は揺らいで疑いの声を発したアブラムを外に連れ出された。そしてその目を天に上げさせられた。目を上げた天は、数え切れない程の星の輝きに満たされていた。

◆ イマヌエル・カントという哲学者がこう述べている。「それを考えることしばしばにして、常に新たに、増しきたる感嘆と畏敬の念をもって心を満たすものが二つある。わが上なる星しげき天空と、わが内なる道徳法則である」(『実践理性批判』結語)。無限に広がる星しげき天空は人間の小ささをことごとく自覚させるが、その認識をすがすがしく快の感情、崇高の感情をもって受け入れることのできることが、人間のうちにすべての自然を総括する理性能力があること、自然の因果律を越えた自由のあること、理性が無制約的に与える道徳法則に従うことができるということを示すのだと、カントは『判断力批判』で述べている。道徳法則は神の命令である。これをカントは神学講義では「内的な神の啓示」とも言うし、いかなる制約をも超えて直接上からくる「汝為すべし」の声だとも言われる。

◆ こうしたカントの言葉に現される出来事がアブラムにおいて起こったのではないか。彼はその星しげき天空すらをも創造した神の全能と、人には数えきれぬ星すべてを数え上げる神の全知、そして汝為すべしの道徳法則が示す自らの使命、すなわちすべての因果関係を越えて、つまりは人を「外に連れ出して」、自由の内に道を示す神の命令をすがすがしく受け入れることができたのではないか。

◆ これに続けては、不思議な儀式が描かれていた。三頭の動物を真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置くと、その間を煙を吐く炉と燃える松明が通り過ぎたという。古代にそうした儀式があったことがエレミヤ書にも記されている。神はアブラムの求めに応じて彼を納得させるために、彼が納得できる形で古代の仕方を用いたということである。

◆ 今日のアブラムの物語は、神の選びの形を知らせてくれている。神は、人が道を見失いそうなところで「恐れるな、わたしはあなたの盾である」と語りかけ、その人をそのところから連れ出して目を天に上げさせ、そのことでその人を整えて自らの使命を受け入れさせてくださる。そして、時代の認識や習慣に応じてわたしたちを納得させて、その姿とご計画を示して下さる。「すべてのものを祝福する」、あるいはすべてのものが肯定される世界を実現するというその目的を垣間見させてくださる。

◆ この現代においては、わたしたちは教会に集められ、主の日に礼拝をささげるために選び出されて、神はそこでわたしたちが納得のできる仕方でその姿とご計画を示して下さると信じている。闇の深まるクリスマスに向けての歩みがはじまっている。教会においてそれは慌ただしい歩みであるかもしれない。しかし時に立ち止まり、アブラムのように、そしてまたクリスマス物語の占星術の学者達や羊飼い達のように、目を天に上げて、神からの恵みと選ばれ与えられた自らの使命とを受けとめ直すものでありたい。

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