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2017年8月20日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2017.8.20 使徒言行録2.42-46  「バラバラでいっしょ」   平松讓二    

◆ 歩く遅さで生きると、いろんなものが見えてきます。普段見落としているものが見えてきます。以前、京都駅から歩いて家に帰りました。すると、車やバスに乗っていたら絶対に目にとまらないものを見て、えらく感動しました。それは、東本願寺というお寺の前に並んでいた幾つかの言葉の看板でした。そのひとつの言葉に感動したのです。さて、その看板には「バラバラでいっしょ」という言葉が書かれていました。単純にその言葉に感動しました。

◆ この「バラバラでいっしょ」の意味は次のとおりだそうです。私たちは一人の例外もなく、人とのつながりの中で生きています。しかし、そのつながりを滑らかに維持することにずいぶんと神経をすり減らし、息を詰まらせています。人と意見が違うとき、一人ぼっちになるのが恐くて、自分を表現することをあきらめていませんか。たしかに、どこかで自分を抑えなければ関係はギクシャクします。だからといって、その場にあわせた役割を演じていてもつらくなるばかりです。それでも心の片隅では、「自分らしく生きたい」と願い、何か理想の自分や別の世界を夢に見る、そんな私がいませんか?その間で揺れ動く心の戸惑いによっていつしか人間の尊さを見失い、表面だけのつながりを維持する世界に自分や他人を閉じ込めてはいませんか?私たちが求めているのは、みんな一人一人違っているその差異(ちがい)のままでつながりあえる豊かな関係です。差異は役割でもなく、優劣でもありません。私たちがそれぞれに固有のいのちと歴史を持って一人の人間として生きていることの証しです。

◆ 異質なものを武器や爆弾で排除することを優先している社会(世界)の中にあって、私たち一人一人が平和を求めることからはじめたいと思います。私たちの周りに、違いを理由に差別や暴力、いじめが起こっているとしたら、それは間違っています。「バラバラでいっしょ」な身近な社会、教会を築き上げていくことが今求められていると思います。

◆ キリスト教はみんなが一つになる宗教です。今朝お読みした聖書には、「一つに」とか「共有する」とか「一緒に」という言葉が次から次へと出てきます。これは、初代教会の人々の時代の話です。イエスの弟子たちによって一つの小さな共同体が生まれました。これがキリスト教です。イエスの教えが生々しく語り継がれていた時代であったにもかかわらず、彼らは一つになることを求め続けられます。そして、イエスを救い主であると信じた人々が、使徒たちのもとで一つになってゆくのです。それは、この時代だからこそ思いを一つにする必要があったのではなく、このイエスの教えがイキイキとしていたこの時代でさえ彼らは一つになる必要があったのです。初代教会の使徒も信徒も、みんなバラバラな一人一人が、一つになることで信仰生活を強めていったのだと確信します。

◆ 別に、現代に生きる私たちはいつも一緒にいる必要はないのかもしれません。すべてのものを共有にする必要はないのかもしれません。しかし、私たちこそ、この初代教会の使徒や信徒たちが生きた、その生き様から学ばなければならないのではないでしょうか?この混沌とした現代社会を生きる私たちキリスト者こそ、心を一つにして、もう一度あの2000年前に神から光が与えられた出来事を思い起こす必要があるのではないでしょうか。私たちが聖書の時代に、イエス・キリストに、そして初代教会の時代を生きた使徒や信者に思いをめぐらすとき、私たちは今の時代にこの教会で一つになって生きることの意味を見出すと思います。

2017年9月3日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2017年9月3日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第14主日
説 教:「きみの行く道は」
牧師 望月修治
聖 書:ローマの信徒への手紙 8章18-25節
招 詞:マタイによる福音書13章31-32節
交読詩編 :90;1-12
讃美歌:24、15、361、397、524、第1編352(1番)、91(1番)

◎聖餐式を行います。

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