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2015年12月13日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2015年12月13日(日)午前10時30分
待降節第3主日 
説 教:「昇る義の太陽」
         牧師 髙田 太
聖 書:マラキ書3章19~24節
招 詞:ヨハネによる福音書1章25~26節
讃美歌:242(3番)、243、237、233、
91(1番)
交読詩編:19;8-15

※次週の礼拝は、同志社女子大学静和館4階ホールにて行われます。お間違えの無いようお願い致します。

2015年11月29日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨2015.11.29   イザヤ書52:1-10 「伝令者の足」   望月修治           

◆ アドべント・待降節を迎えました。現在は、12月25日の前の4つの日曜日を含む期間がアドベントとされています。待降節はキリストの誕生という過去の歴史的な出来事を記念するだけではなく、未来に向かって、神の支配がやがて世界にもたらされるという希望を抱いて歩むという信仰者の姿勢を象徴的に示す期間でもあります。ただし、クリスマスが定められ全世界的に祝われるようになったのは、教会の他の祝祭日と比べて、かなり後の時代になってからのことでした。キリスト教会が生まれてから最初の300年〜400年間、紀元4世紀ころまでは、クリスマスはまだ祝われていませんでした。アドベントの設定は、当然さらに遅い時期ということになります。

◆ アドベントは救い主の誕生という大切な神の出来事に対して心の備えをする時期であり、その内容は待ち望む、待望するというところに最大の特色があります。日本語で「待降節」と呼ぶのはその意味からです。私たちが過ごすアドベントは4週間ですが、ユダヤの人々が救い主の誕生を待ち望んだ期間は数百年を超えます。その背景にはユダヤの人々が歩んだ苦しみの歴史があります。

◆ 紀元前587年に、イスラエルは大国バビロニアの王ネブカドネザルの率いる軍隊によって滅ぼされました。エルサレムの神殿が破壊され、400年あまり続いた王制は廃止され、主たる指導者たちや技術者は遠くバビロンの地まで連れ行かれ抑留されました。この時から50年以上にわたって、いわゆる<バビロン捕囚>といわれる時期が続きます。イスラエルの歴史の中で最も困難な時代でした。
この捕囚の地に、一人の預言者がいました。名は記録に残されていません。しかし彼の預言は語り伝えられ、書き残されました。それがイザヤ書の40章以下に納められています。この無名の預言者を<第2イザヤ>と呼んでいます。預言者イザヤは紀元前700年代中頃から40年以上にわたって活動しましたが、第2イザヤが活動したのは紀元前500年代後半、バビロンの捕囚の末期です。預言者イザヤの時代から約200年後のことです。

◆ イザヤ書52章にも第2イザヤの預言が記されています。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は」と第2イザヤは語っています。この言葉はパウロによってローマの信徒への手紙の中(10:15)に引用されていますので、大変印象的な言葉であったのだろうと思います。ただ聖書の中で足が高い評価を受けているのかと言えばそうではありません。この箇所を引用したパウロも、コリントの信徒への手紙Ⅰでは「頭は足に向かって、おまえはいらない、とも言えない」(12:21)と記していますので、足は頭より劣ったものだと見されていたことがうかがい知れます。私たちも足にどれ程の関心を払っているかといわれれば、ほとんど気にも留めずに毎日を過ごしていると思います。小学校1年生の女の子がこんな詩を書いています。「おかあさん、おかあさんは いつもかがみをみてて きれいやけど あしのうらをみたら まっくろやねん あしのうらも、かがみをみいやとゆうてん」顔に比べてあまりにも不当に扱われている足の裏にかわって、抗議をしているという感じの詩です。

◆  第2イザヤは「足が美しい」と言っています。それは、その足が「「良い知らせを告げる者の足」だからというのです。「良い知らせ伝える者」とは、例えば戦いに勝利したことを知らせるために祖国に向かって走り伝える人のことです。マラソン競技の原点はこの勝利を伝える者にあります。紀元前490年にギリシアのマラトンで、ペルシャとアテネとの戦いが起こり、アテネが勝利したことを知らせるために、兵士がマラトンからアテネまで42.195キロを走ったことからマラソン競技は誕生しました。 あるいは世継ぎとなるべき人が生まれたことを国中に告げ知らせる人のことを意味してもいました。彼らは一刻も早く良い知らせを伝えるべく選ばれた人たちでした。その際に求められたのは速い足であり、強い足でした。ですから知らせを伝える時の彼らの足は汗とほこりにまみれ、傷だらけの真っ黒な足だったはずですが、それが「良い知らせを伝える」足であるかぎり、それは美しい足なのです。
「美しい」と訳されている言葉は、もともとは「時にかなう」という意味の言葉です。コヘレトの言葉(p.1037)3:11に「神はすべてを時宜(じぎ)にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」口語訳聖書では「神のなされることは皆その時にかなって美しい」とありますが、神のなされることこそが美しいのであり、この神のなされる美しいことを告げ伝える足こそ「いかに美しいことか」と称えられているのです。

◆ この箇所が待降節の最初の主日の聖書日課としてあげられているのは、第2イザヤが「いかに美しいことか」とのべていることの根底に神の働きを待つということが含まれているからです。捕囚の地にあってこの預言者が人々に語った神の力強さは今、既に見ることが出来ているのではなく、まだ待ち望むものとしてあります。「平和を告げる、良い知らせ」はまだ具体的な形を取って届いてはいないのです。「彼らは目の当たりに見る、主がシオンに帰られるのを」とうたっていますが、それはいつのことか人々にはまだ分からないのです。

◆ そのような状況に置かれた人たちに向かって「いかに美しいことか、山々を行き巡り良い知らせを伝える者の足は」と語った預言者が、その根底に宿していたのは「待つ」ということであったと思います。神の働きを待つ。信仰において大切なのは「待つ」ということです。それは人間が自分の判断を優先させて、神の働きを邪魔しないこと。捕らわれ人としての自分たちに、今はまだ具体的には何ら手をさしのべて下さっているとは思えない神を好きだとか嫌いだとか、ということを抜きにして、神の働きを待つ、いや正確には神が働いてくださっていることが分かる形で表されるのを待つ、それが信仰なのだということです。心の中に何かをたくさん蓄えて信仰を養うというのではなく、むしろ心を空けて、素朴に神の働きかけを待つという備えが出来ていくときには、神は思いもかけないような形で来たりたもうのだということが、第2イザヤの思いの根底にあったことなのだと思います。

◆ 私たちのお互いの関係に何か意味深いことが起こるとき、それはこちらの側の能力によるのでも、相手方の力によるのでもなく、また両者の力が合わさることによってでもなく、それらを超える何者かの力がそこに共にいる人たちの上に働いたからだと思わせられることがあります。人間が背負う神ではなく、神が人間を背負って下さることを、そしてその恵み深さを味わい知るのはそんな時です。
人はとかく自分の言葉や業や能力に依り頼んで生きようとしています。ですからそれが破れたり、失敗すると、挫折感に打ちひしがれます。真面目な努力家であればあるほど、この危険は大きいのです。しかしわたしたちと共にいて下さって、人間を背負って下さるのは神です。その神の働きを美しいと感じ、味わい、受けとめるために聖書が提示するのは「待つ」ということです。待降節は「待つ」という、信ずる者にとって一番基本となる姿勢を取り戻し味わい直す時として備えられている期間でもあるのです。神が待降節の歩みの先に示されるのは、本当に小さなしるしです。無力な、親の世話を受けなければ、何もすることが出来ない小さな命の誕生を、アドベントの旅の終わりに神は示すのです。わたしたちは命の誕生を10ヶ月間「待つ」ことを経て迎えます。

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