SSブログ

2017年6月25日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2017.6.25  フィリピの信徒への手紙2:12-18「見えないものを語る言葉」 望月修治  

◆ パウロが小アジアのキリキア州の首都タルソで生まれたのは紀元前後のある年です。彼が歩んだ時代は、イエスがこの地上に足跡を残した時代とほぼ重なり合っています。イエスが向き合った時代の風をパウロもまたその身に受けながら、波乱に富んだ生涯を送ったのです。

◆ 救い主としてのイエスの道は全く新たに神が拓いた道です。それはイエスの十字架の出来事を通して新しく与えられたものであり、今まであったけれども気づかなかったということではないのです。その新しい事態をパウロも神から投げ込まれました。キリスト者を捕えるためにダマスコに向かう途上で、思いがけない形で示され明らかにされたのです。ユダヤ教徒からキリスト教徒へのパウロの180度の方向転換は、事前の準備期間とでもいうべき時期があって起こったのではおそらくありません。律法に忠実に生きる、それ以外に神との正しい関係を持つことが出来る道はないという確信が揺さぶられて、思い悩む時期を経て、回心したということであれば、私たちも納得しやすいのかも知れません。しかしパウロが書き記した手紙の文面は、そのような可能性を退けます。人が変わる時、その力は外から届くのです。そのことを13節で次のように書いています。「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」

◆ フィリピの信徒への手紙は獄中書簡(エフェソ、コロサイ、フィレモンと共に)と呼ばれているものの一つです。パウロが獄に監禁されている時に書かれた手紙です。フィリピの信徒への手紙を書いたときパウロが監禁されていた場所はおそらくエフェソです。時代は紀元54年〜56年頃です。この手紙を読んでみますと、パウロにとってフィリピの教会の人たちとのつながりは深く、大切なものであったことが伺われます。今日の箇所のすぐ後にはパウロが獄中にあって、フィリピの教会を訪問できないので、テモテとエパフロディトを派遣すると述べられています。その一人テモテについて20節に「テモテのように親身になってあなたがたのことを心にかけている者は他にいない」と記し、また続く21節で「他の人は皆、イエス・キリストのことではなく、自分のことを追い求めています」という状況を引き合いに出しながら、それに対して「テモテが確かな人物であることはあなた方が認めるところです」と述べていますので、彼がいかに卓抜した働き人であったかを伺い知ることが出来ます。

◆ 獄中にあるパウロにとってこのような信頼のおける同労者がいることは大きな支えであったはずだと思いますが、その彼をパウロはフィリピの人たちのもとへ送るというのです。その目的は19節にありますように、獄中にあるパウロがフィリピの人々の様子を知って力づけられたいと願ったからだというのです。パウロは、自分に信仰がありさえすればそれだけで喜びに満ちあふれるとは考えていないのです。信じて歩むことの喜びを味わうためにはフィリピの教会の人たちとの具体的な関わりを抜きには出来ないということをこの手紙で書いています。

◆ 今日の箇所でパウロはフィリピの信徒の人たちに勧めの言葉、勧告の言葉を書き次々と記しています。「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」(12節)「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」(14節)「あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。」これらの「〜しなさい」という勧告の言葉は、パウロがフィリピの人々と一緒にいることが出来ないが故にあれこれと心を配り、書き記したものではあります。しかしそれよりも、投獄されているにもかかわらず何故このような勧告を書くのか、その根っこにあるものをフィリピの人々が受けとめてくれることを願ったのだと思います。それは次のようなイエスの生き方に自分が押し出されているからだというのです。「キリストは、神の身分であるながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。」(2:6-9)辛くて苦しい時に、自分と同様の体験をしている人がいて、辛さを語る自分の言葉が「自分だけのものではない」と感じられるとき人は慰められ、救われます。悲しみは消えるものではありません。けれど悲しみをもつ自分を見つめる見つめ方が変わることで生き方が変わり始めます。この変化は「私だけではない」という思いを持てたときに生まれます。

◆ ある年文藝春秋に、作家の柳田邦男さんが、歌手の今井美樹さんと思わぬ接点があったことを書いておられました。今井美樹さんは、精神的に行き詰まった時がありました。32歳のときでした。精神的にパニック状態になりました。「この苦しみは誰にも分かってもらえない、世界に何十億人という人がいるけれど、私はたった一人ぽっち」だと気持ちはどんどん落ち込んでいく。そんな時に、手にしたのが柳田邦男さんの書いた「犠牲」(サクリファイス)という本でした。ある読者雑誌の表紙に、この「犠牲」の本を持っている今井美樹さんの姿が載っているのを見て、柳田邦男さんは驚きました。なぜ自分の本が読まれたのかという驚きではなく、むしろ、なぜ「犠牲」の本が選ばれたのかという驚きです。なぜなら、「犠牲」は、25歳で自らの人生に終止符を打った、柳田邦男さんの次男洋二郎さんのことを綴ったものだったからです。今井美樹さんは、「犠牲」という本のなかにある、次のような文章に思わず引き込まれました。「息子が抱いていた究極の恐怖とは、一人の人間が死ぬと、その人がこの世に生き苦しんだということすら、人々から忘れ去られ、歴史から抹消されてしまうという、絶対的な孤独のことだった」。今井さんはこの言葉に号泣しました。そのときの心境を、こう語っておられます。「もちろん、息子さんと私は、苦しさの情況も深さも違う。でも、孤独に対する絶対的な恐怖は一緒だった。そして、父親である柳田さんは、身を切ってそれを理解しようとした。そういう人がこの世に一人は存在するんだと思えただけで、すごくラクになれたんです。心のフタがパカッと開いた感じ。向かう方向が見えて、歩き出す勇気が持てた」。今井さんは、この本に出会って、もしかすると自分の歌に光を見つけてくれる人がいるかもしれないと思うようになれたのだといいます。

 このことについて柳田さんはこう述べておられます。「私の息子・洋二郎は生きる意味と力を求めつつ、自ら命を絶ってしまった。自死を選んでしまった若者の記録であるにもかかわらず、命をかけて生の意味を問い続けた言葉であったがゆえに、自分の存在意義を見失いかけていた苦悩する一人の女性の心に激しく響くものがあったのであろう。自らは死に向かいながらも、その状況のなかでこそ見出した言葉には、他者をして、生に向かわせる力が秘められているのかもしれない」。
 今井美樹さんは洋二郎さんと出会ったことはありません。しかし父が書き綴った命の記録を通して、身を切って息子に寄り添い理解しようとした一人の父の生き方を知った。そういう人がこの世には一人は存在するのだと思えた。その事実が今井さんを新しく生きることへと向かわせました。

◆ パウロが生き方を変えられたのは、イエスが人の孤独、苦悩、悲嘆に身を切って寄り添い「生きよ」と語り続けたことの深い意味に気付かされ、納得させられたからだと思うのです。

2017年7月9日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2017年7月9日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第6主日
説 教:「神から与えられたものなのだから」
牧師 望月修治
聖 書:使徒言行録4章32-37節
招 詞:イザヤ書49章18-19節
交読詩編:133
讃美歌:24、155、361、363.91(1)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。