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2019年4月28日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨21019.4.28 ルカによる福音書24:13-35 「気づけばそこにイエスがいた」 望月修治 

◆ ルカによる福音書は物語に満ちています。24章には「エマオ途上」で起こったイエスと二人の弟子の、小さなしかし深い旅の物語が語られています。この日はイエスが復活された日でした。その日の明け方早くには、イエスの遺体は墓の中にありませんでした。すでにこの時イエスの復活は出来事となっていました。その出来事をすでに知らされていたふたりの弟子が登場します。エマオの村に帰るふたりは「暗い顔をして」いました。このふたりにいつの間にか同行していた人があったとルカは記します。その人は二人に「歩きながら何を話しているのかですか」と尋ねます。旅人の一人クレオパはこう答えています。イエスを「神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者」だと理解していたこと、それどころか「あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と語ったというのです。そのイエスが十字架に架けられ殺された。暗い顔をしていたのも当然です。

◆ ただ、それならば、イエスの死の直後にエマオに帰ってもよかったはずです。帰郷の足を遅らせたのは、イエスが復活したと女性たちが報告するのを聞いて驚いたからでした。クレオパは女性たちから聞いた報告を詳しく繰り返します。22-24節です。「何人かの女たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻ってきました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、女たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした」と。イエスが復活された、そのことを二人の旅人は疑っていたわけではなさそうです。ただ大きな困惑を覚えざるを得なかったのです。「イエスは生きておられる」と天の使いから聞いたと女たちは言った、しかし「あの方は見当たらなかった」のだとも言った。では復活したイエスはどこにおられるのか、どうしたら復活したというイエスと出会えるのか、全く見当もつかないことだったからです。

◆ 自分たちにいつの間にか同行していた人がイエスだとは気づかないまま、ふたりはエマオに帰ってきました。なおも先に行こうとするその人を「もう夕方ですから」と無理に引き止め、自分たちの家に招きます。夜の食事の席でその事は起こりました。「ふたりの目が開け、イエスだと分かった」という体験が突然起こるのです。この時の「分かった」と表現された気付きの深さを、ルカはこう描写しました。イエスの姿が見えなくなった後、ふたりは戸惑うのではなく「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った、そう記しています。この感覚は信仰の源流から湧き上がってきたオアシスのようなものだと思います。信仰の深い味わいが納得となって命に宿り広がって行く感覚だと申し上げても良いかもしれません。

◆ エマオに向かっていた時には暗かった二人の弟子たちの表情は、エマオで喜びへと変わりました。この暗さから明るさへの転換はどうして起こったのか。それが今日の物語のメインテーマです。「心は燃えていた」(カイオメネー)とは実に印象深い表現です。「心は燃えていた」これを「不思議な仕方で暖められた」と訳した人がいます。二人の弟子たちの心が暖められたのはエマオの村に着いて、イエスと一緒に食卓についていた時でした。イエスがパンをとって讃美の祈りを唱え、パンを裂いて二人に渡すと、彼らの目が開け、その人がイエスだと分かったと書かれています。復活のイエスに対して、理解や知識によってではなくて、食事を共にするという具体的な体験によって、二人の目が開かれた。そこで初めて彼らは「そう言えばエマオへ下る道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えたではないか」と、悲しみが去り喜びを感じ取っている自分に気付き、そのことを確認し合うかのように語り合ったというのです。

◆ 今日お届けした月報4月号に、二人の中学生が書いてくださった文章が掲載されています。先月3月17日の午後、こどもの教会のD.J.C.グループ、これはDoshisha Junior churchの頭文字ですが、小学校5年生〜中学生のグループですが、スタディーツアーを企画し、柳原銀行記念館(被差別部落民の方たちが地区内に設立した唯一の銀行)を見学し、その後、洛南教会でSさんから在日韓国人が受けてこられた差別や東九条での生活についてお話を聞かせていただきました。参加した中学生は三人、そしてスタッフが三人の六名で現地に出かけ、話を聞き、体験するスタディーツアーが行われました。その時の感想を今回はお二人の中学生に書いていただき、月報に掲載させていただきました。

◆ K・Hさん:今回の勉強会は私にとって衝撃的なことばかりで、よい学びのときとなりました。特に印象に残っているのは、洛南教会でSさんから伺ったお話です。例えば、Sさんは、在日韓国人だということをずっと隠すように生きてきたそうです。名前も韓国の名前から日本人と同じような名前に変えていたり、学校でふいに出てしまう韓国語にも注意していたとおっしゃっていました。それは、在日韓国人だということが、他の人にばれないようにするためだったそうです。そのような話を色々と伺っていて、私はとても悲しくなりました。在日韓国人の方は何も悪いことはしていないし、人種が日本人と違うだけで人間であることは変わりないのにどうして差別を受ける必要があるのか、とも思いました。私はこの差別についてあまり学んだことがありません。しかし、この勉強会で差別について学び、朴さんの思いも伺うことが出来てよかったです。
 勉強会の後の夕食もとても楽しくて、あっという間の1日でした。ありがとうございました。

◆ T・Nさん:三月十七日にDJCでは東九条に学習に行きました。今回の活動は前回のDJCの課外活動の続きでイエス様が山上の垂訓の後、町におりていかれたのでDJCでも吉田山の後は町に行くことにしました。Y先生のつながりで洛南教会で在日韓国・朝鮮人差別のことについてお話をしてもらいました。当日は天気もよく京阪七条駅から歩いて柳原銀行と洛南教会に行きました。柳原銀行では部落差別について学習しました。部落は今はなくなってきているけれども、なくなったからといって差別があったことを忘れるのではなく知っておくことが大切だなと思いました。洛南教会ではSさんにお話をしていただきました。何をするにも差別があり仕事にもつけなかったりと多くの差別があるということを知りました。しかしSさんは差別に対して裁判をしたりとすごい人だなと思いました。
 最後はDJCで韓国料理と焼肉を食べました。今まで知らなかった差別のことを知れたのでこれからは差別などをできるところから無くなるようにしたいなと思いました。また焼肉でみんなで楽しめたので良い活動になりました。

◆ お二人の言葉は生きています。読んでいてお二人の心に深く動いた思いが響いてきました。「心が燃える」とはこういうことだと思いました。
「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」この出来事を「心が燃えたではないか」と語る出来事として味わえるように、神は、そしてイエスは私たちが出会うこと、体験することに寄り添い、宿り、働いて下さるのです。

2019年5月12日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2019年5月12日(日)午前10時30分
復活節第4主日
説 教:「そのパンは心を動かす」
牧師 望月修治
聖 書:ヨハネによる福音書6章34〜40節
招 詞:出エジプト記16章13〜15節
交読詩編:81;1-11
讃美歌:28,289,416,56,91(1番)

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