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2013年6月2日の説教概要 [説教要旨]

聖霊降臨節第3主日   2013.6.2
説教:「偶像の町」  望月修治
聖書:使徒言行録17章22~34節

◆ 使徒言行録では13章からパウロの使徒としての歩みが綴られています。パウロは3回にわたって伝道旅行を行うのですが、17章には2回目の伝道旅行の途上で起こったある出来事が記されています。ギリシアの首都アテネでの出来事です。当時、ヨーロッパ世界の政治の中心がローマだとすれば、アテネは文化の中心でした。アテネの町を一巡して、二つのことにパウロは気づきました。一つは、アテネには立派な神殿や礼拝所やその他の建物がたくさんあるということ。もう一つは、この町の至る所に、金や銀などで作られた神々がまつられているということです。町中偶像だらけであるのをみて、パウロは憤慨し、ユダヤ人が集まっている会堂とか、広場に居合わせた人々と毎日のように論じ合い、キリストの福音について語ったとあります。アテネの人たちは毎日のように町を巡って論じているパウロの語ることに興味を覚えたらしく、アレオパゴス(アレスの丘の意)という評議所に彼を連れていきました。
◆ 評議所でパウロはアテネ市内を歩き回って感じたことをはっきりと述べます。そして、神はアテネの町に建てられているような、人の手で造られた神殿などには住まないし、また金や銀で造った偶像とも何の関わりもないこと。さらには、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません、と言い切りました。パウロが問題にしていることは16節に「この町の至るところに偶像があるのを見て憤った」とあるように偶像のことではあるのですが、これは多くの別々の神がいるということではないのです。数多くの神々がそれぞれ別々に存在するという考え方は、ギリシア人たちの間では既に以前から否定されており、この世界を支配している神は唯一であると彼らも考えていたのです。
◆ ではなぜ多くの偶像がアテネの町にあるのか。それは人々が神の住まう場所は立派な建物でなければならないとか、神が宿る像は金や銀など高価な材料で作られていなければならないと考えていたからです。 パウロがアレオパゴスの評議所で問題だと言ったのはこの点です。唯一の神、それはいいのです。しかし、その神を人間に見える神にしようとする、人間の手の内に収めてしまおうとすることは明らかに間違いです。29節「神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません」とパウロは明言しています。神は私たち人間の理解しうる範囲を遙かに超えて在るという意味で、あくまでも「知られざる神」であり続けます。
◆ しかしこの「知られざる」ということは時に大きな揺れを私たちの中に生じさせます。人は未知なるものに対して、あるいは先が見通せないことに対して不安や不気味さを感じます。それが多神教となって現れたり、アテネの人々のように多神教ではなく唯一の神なのだけれど、「知られざる神」をとにかく自分たちの手の内に収めてしまおうと神殿や沢山の偶像を造るという形で現れたりします。偶像は人間の不安の裏返しです。かつて、モーセと共にエジプトを脱出したイスラエルの人々が、長く続く荒れ野の旅の中で、モーセがシナイ山にのぼったまま、なかなか帰ってこなかった時、金の子牛の偶像を刻んで「これが我らの神だ」と言ったという出来事は、人間が偶像を刻む心理を象徴的に示しています。
◆ また偶像は人間が神の働きを勝手に決めつけてしまうことの現れでもあります。人は神の働きを人間の可能性の範囲に押し込めたり、決めつけたり、思いこんだりしてしまいます。知られざる神の働き、知られざることとどう向き合うか、そこが信仰において問われ続けるのです。パウロはアテネの人たちに、神は人間の手の中に収まる方ではなく、人が神の手の中にある者なのだと語りました。神の手の中に生かされている、それがアレオパゴスの評議所でパウロが人々に訴えたことでした。
◆ 神の手の中に生かされている、それは、私たちは、どんなことがあっても、最後には守られるということです。人には頑張っても出来ないことがあります。その時は悔しいし挫折を味わいもします。しかしその時に、もし私たちが神の手の中に生かされていることを思えるならば、「出来ないところを引き受けて下さい」という祈りが生まれてきます。そして、出来るところを一所懸命にやっていこうという思いを与えられていくのです。
◆ イエスは野の花が咲き乱れるガリラヤの丘で「野の花、空の鳥を見よ。彼らはまかず刈らず倉に収めない。ただ自然からの装いを受けて今日を生きている。だから明日を思い煩うな」と語りかけました。野の花、空の鳥は大きな神殿も作らず、金や銀で神の形も造りません。神を自らの手の内に収めようとはみじんもせず、ただ神の手の中に生きています。このような野の花、空の鳥を見よとイエスは語りました。このイエスが、もしアテネに行ったならば、立派な神殿や金や銀の像に目をとめず、それらの大きな建物の石の柱の隙間に、風で運ばれた種から生え出た、小さな草や花に目をとめよと語りかけたに違いないと思うのです。

2013年6月16日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年6月16日(日)午前10時30分
聖霊降臨節5主日
説 教:「分かち合う理由」
牧師 望月修治
聖 書:コリントの信徒への手紙Ⅱ
8章1~15節(新約p.338)
讃美歌:28、201、361、512、91(1番)
交読詩編:14(p.15上段)
招 詞:申命記26章1-2節

※礼拝は栄光館ファウラーチャペルで行われます。暑い日が続いておりますが、みなさまの健康が今週も守られますように。

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