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2013年6月9日の説教概要 [説教要旨]

前 週 説 教
聖霊降臨節第4主日 合同礼拝  2013.6.9
説教:「喜びが語り合われるために」
  望月修治
聖書:フィリピの信徒への手紙2章12~18節

◆ みなさんはお手紙を書きますか?わたしには孫が二人います。2人とも男の子です。小学校1年生と幼稚園の年少組です。ときどき手紙をくれます。「じいじへ」「あーちゃんへ」、そこには大きなひらがなで、またあそんでね、とかいつまでも元気でね、とか書いてあって、似顔絵が書いてあることもあります。手紙ってもらうと嬉しいですね。
◆ 今日はフィリピの信徒への手紙を読んでいます。パウロという人が書いた手紙です。
パウロはイエスさまのことをいろんな人に話し、伝えるために大きな旅を3回もした人です。そして旅で出会って、イエス様のことを信じるようになった人たちに、パウロは手紙を書きました。今日読んでいるフィリピの信徒への手紙もその一つです。
◆ 先ほど読んでいただいた聖書の箇所の一番最後に「わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」と書いてあります。「わたしは喜びます」と書いていますが、パウロがこの手紙をかいたのは獄中にいた時なのです。イエス様のことが気に入らない人たちがいて、パウロは捕らえられて牢屋に入れられることが何回もあったようです。牢屋に入れられていたときにパウロはフィリピという町の教会の人たちに手紙を書いたのです。牢屋に入れられていたら、「早く助けにきて」とか「もう辛くてたまりません」とか「いつまでこんな所にいなければならないんだ」とか、そんなことをやっぱりどこかに書くだろうなと思うのですが、フィリピの教会の人たちにパウロが書いた手紙には、そんなことは何も書いてありません。それどころか「わたしは喜びます。あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」と書いています。不思議な手紙だなって思います。牢屋に入れられているのに、なぜ「喜びます」などといえるのだろうかと思います。
◆ 今日読んでいる箇所の一番最初に「だから」とかいてあります。牢屋にいるのになぜ「喜びます」っていえるんだろうか、そのわけは「これですよ」ということで「だから」といっています。喜ぶ理由は2章6〜9節に書いてあります。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで、従順でした。」イエス様は「神の身分」だというのですが、これは全能とか完全、あるいは欠けたところがなく整っている、という意味です。その整っている状態から「僕の身分になった」、つまり整っている状態からそうではない状況へと踏み込んでいくというのです。それが、イエスが救い主である理由だとパウロは言っているのです。
◆ それはどういうことでしょうか。「ちょっとだけ」という絵本があります。「なっちゃんの おうちに あかちゃんが やってきました。なっちゃんは おねえちゃんになりました」という書き出しで始まります。お母さんは赤ちゃんの世話で忙しくしています。なっちゃんはおかあさんと手をつなごうとするのですが、赤ちゃんを抱っこしているので、手をつなげません。ミルクを飲みたいのですが、お母さんは忙しそうなので、はじめて冷蔵庫からミルクを取り出して飲みます。パジャマに着替えるときもお母さんは赤ちゃんを寝かせているので手伝ってもらえません。朝、髪の毛を結ぶときも、おかあさんは赤ちゃんのおむつを取り替えているので、なっちゃんは鏡を見ながら、何とか髪の毛を二つにわけてしばってみました。おうちから見える公園に行きました。お母さんはやはりあかちゃんのお世話で忙しいそうなので、ひとりでブランコに乗りました。公園から帰ると、なっちゃんは眠たくなってきました。そしてお母さんに言うのです。「ママ、ちょっとだけだっこして・・・」 「ちょっとだけじゃなくて、いっぱいだっこしたいんですけど、いいですか?」お母さんはやさしく笑って聞きます。「なっちゃんは ママの においを いっぱい かぎながら、いっぱい だっこしてもらいました。そのあいだ あかちゃんには、ちょっとだけがまんしてもらいました」と絵本は結ばれています。
◆ パウロが牢屋の中にいるのに「わたしは喜びます」と言えたのは、「いっぱいだっこしたいんですけど」「あなたにたくさん関わりたいんですけれど」と言ってくださる神さまのことを知っていたからだと思うのです。

2013年6月23日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年6月23日(日)午前10時30分
聖霊降臨節6主日
説 教:「心が動く」
牧師 望月修治
聖 書:使徒言行録
4章32~37節(新約p.220)
讃美歌:24、171、520、543、27
交読詩編:133(p.147下段)
招 詞:イザヤ記49章14-16節

※ 礼拝は通常通り、同志社女子大の栄光館ファウラーチャペルで行われます。
※ 同志社女子中高生のみなさんへ。いつもたくさんの方がお見えになり感謝です。礼拝に来られようとしている方はなるべく自分の聖書と讃美歌を持参してお越しになって下さい。教会備え付けの聖書・讃美歌もございますが、大勢の方が来られると不足する場合があります。聖書、讃美歌の持参にご協力よろしくお願い致します。

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