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2013年4月28日の説教概要 [説教要旨]

復活節第5主日    2013.4.28
説教:「その道」 望月修治
聖書:ヨハネ福音書14章1~11節

◆ イエスとの別れが近づいていました。弟子たちは不安を広げ始めていました。イエスは弟子たちのそういう状況を見据えて「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と語りかけます。弟子の一人トマスは不安をぬぐいきれず「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません」と言葉を返します。信頼して歩めといわれても、どこへ向かってどのように生きたらいいのか分からないというのです。このトマスいう人物は、十字架で処刑され息絶えたイエスが、復活して弟子たちのいる部屋に姿をあらわしたとき、その場に居合わせず、仲間からいくら復活したイエスに出会ったと言われても、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言ったというエピソードで知られているあのトマスです。
◆ イエスは復活したと言われても、いまひとつ現実感がない。その距離感をトマスという存在は表しています。それが今日の箇所では、未来を見通せない不安を語るという形で述べられています。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうしてその道を知ることができでしょうか。」イエスの歩む道が理解できない、見通せないというのです。
◆ この問いかけに対して、イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である」と答えました。今あなたが見ているわたし、イエスの生き方こそ、たどるべき道、いのちをもたらすものなのだというのです。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。わたしを知った者は、父をも知る。今、あなたたちはもう父を知っており、すでに父を見ているのだ。」とイエスは語っています。未来への不安から解放し、生きることと向き合わせる手がかりは、過ぎ去った過去や、まだ生きてはいない未来のどこかにあるという漠然としたものではなく、今わたしと向き合っているその現実の中にあるとイエスは答えました。
◆「わたしは道だ」とイエスは語ります。道は歩くことで目的地へと人をいざないます。今置かれている所から歩みを起こす、その踏み出しを促すのがイエスという方なのです。

2013年5月12日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年5月12日(日)午前10時30分
復活節7主日
説 教:「気づきへのいざない」
牧師 望月修治
聖 書:ルカによる福音書
24章44~53節(新約p.161)
讃美歌:29、204、409、337、91(1番)
交読詩編:93(p.103下段)
招 詞:エフェソの信徒への手紙 4章1~3節

※礼拝は、同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行われます。どなたでもお越しください。

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