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2013年5月7日の説教概要 [説教要旨]

復活節第6主日    2013.5.5
説教:「聞き手の所在」 望月修治
聖書:マタイ福音書6章5~15節

◆ 祈りについてイエスは次のように語っています。「あなたがたの父は、願う前から、あなたに必要なものをご存じなのだ。だからこう祈りなさい。」神は私たちが祈る前から必要なものが何かを知っている。ということは、祈りとは、神に私たちの必要とするもの、願っていることを、求めているものを伝えるための手だてではないということです。言わなければ分からないから必死に訴えるというのが祈りではないということです。あるいは熱心に祈ったから思いが通じて願いが叶うということでもないと それは違うのだとイエスは言います。
◆ しかしイエスは「祈れ」と言います。「あなたがたの父は、願う前から、あなたに必要なものをご存じなのだ。」だから祈らなくてもいいよというのではなく、「だから、こう祈りなさい」と言うのです。
◆ イエスが弟子たちに「こう祈りなさい」と教えた祈りは驚くほど簡潔なものでした。その祈りは「天におられるわたしたちの父よ」と神を呼ぶことから始まっています。この呼びかけに続くのは「御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも」という祈りです。御国とは神が支配し働かれる領域を意味します。「御国が来ますように」とは、神の働きが世において行われるようにという意味です。すなわち祈るとは、神の働きを自分たちの間に迎えること、自分と相手との間に神を迎えることなのだということです。言い換えれば、人と人との間に交わされる言葉、行い、働きかけは、ただストレートにわたしからあなたに届くのではなくて、その間に神が働き、整えて相手に届ける。その神の働きを受けとめ意識して迎えていくことが祈ることの基本にあることです。神の働きこそが人と人との関係を整え、育み、豊かにする、そのことを求めていくことが祈ることの大きな理由であり意味です。
◆ イエスが教えた祈りは具体的です。「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」糧を「わたしに」ではなく「わたしたちに与えてください」という祈りになっています。つまり。自分以外の誰かと一緒に生き合う、自分も生かされその相手も生かされる、そのために今日必要なものを神に求めよ、ということです。

2013年5月19日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年5月19日(日)午前10時30分
聖霊降臨節1主日 ペンテコステ
説 教:「福音の旅人たち」
牧師 望月修治
聖 書:使徒言行録
2章1~11節(新約p.214)
讃美歌:24、343、346、524、91(1番)
交読詩編:51;12-19(p.56上段)
招 詞:ヨエル書2章23-24節

※礼拝は通常通り、栄光館ファウラーチャペルにて執り行われます。共にペンテコステをお祝いいたしましょう。
どなたでもお越しください。

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