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2013年5月19日の説教概要 [説教要旨]

復活節第7主日    2013.5.12
説教:「気づきへのいざない」 望月修治
聖書:ルカ福音書24章44~53節

◆ ルカによる福音書は、旅をするイエスに焦点をあてて、その生涯を描き出しています。 イエスの歩みは、故郷であるガリラヤの各地を行き巡る旅として始まり、やがてガリラヤからエルサレムへと向かう旅へと続いて行きます。ルカ福音書が記すイエスの旅路の物語には、他の福音書には出てこないユニークな物語が、いくつも登場します。例えば、「善いサマリア人のたとえ」「放蕩息子のたとえ」、マルタとマリアの姉妹の「もてなし」をめぐるイエスとの問答や、エリコの徴税人の頭であるザアカイの物語など、よく知られた物語,こどもたちに聖書の話を物語る時の定番と言ってもよい数々の話の舞台は、いずれもイエスがエルサレムに向かう途上での出来事として描かれています。
◆ しかし旅はいつか終わります。イエスの旅もやがて終わる時がやってきました。イエスの旅の終着点はゴルゴタの丘に立てられた十字架でした。ルカは、福音書に続いて、イエスの十字架の死と復活が起こった後、弟子たちはどう生きたのか、そのことを記した使徒言行録の著者でもあります。彼は、弟子たちの伝道活動の旅を語るにあたって、一つのことを確認しています。49節です。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都に留まっていなさい。」 ルカはこのイエスの言葉を福音書の終わりに書き記し、さらに使徒言行録の冒頭で、このイエスの言葉をもう一度、念押してから、弟子たちの新たな旅の物語を語り始めています。使徒言行録1:3-4です。「イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。『エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。』」 伝道活動に歩み出す前に、エルサレムに留まるときをもつようにとイエスから弟子たちは求められたことをルカは強調しています。
◆ エルサレムはユダヤの都です。弟子たちの新たな活動は、やはり都であるエルサレムから始まったのだという意味でルカは語っているのではありません。イエスの十字架の出来事より後、弟子たちにとってエルサレムは都、つまり皆が1度は行ってみたいとあこがれる場所というのではなく、全く違った意味を持つことになりました。エルサレムの町はイエスが捕らえられ、死刑の判決を受け、処刑された所です。だから弟子たちにとっては、とてもつらい場所です。この場所は忌まわしい所、出来れば1日も早く立ち去りたい所です。さらに言えば、弟子たちがイエスを裏切り、見捨てて、逃げ去った場所でもあります。弱さと醜さと不信仰をさらけ出してしまった場所、それが弟子たちにとってのエルサレムです。
◆ しかしこのエルサレムから離れるなと言われたのだというのです。それは何を意味し、何を示しているのか。弱さと醜さと不信仰が露わにされた所、そこから弟子たちのあたらたな旅は始められなければならないということではないのか。正しさとか立派さとか見事なことから何か新しいことが始まっていくのではなくて、人間の弱さ、醜さ、情けなさ、不信仰があらわになって、打ちひしがれるほかなくなった時に、不思議な風が吹いてきて、新しい生き方へと押し出されていくのだとルカは言いたいのです。教会は弟子たちの弱さとみにくさと情けなさと不信仰が露わになった場所であり、イエス・キリストを邪魔者として排除し抹殺した場所から始まりました。イエスが一生懸命語った愛と正義を拒絶した場所から始まりました。教会は弟子たちの熱心さと勇気と努力と信仰によって始められたのではないのです。

5月26日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年5月26日(日)午前10時30分
聖霊降臨節2主日
説 教:「明かされる計画」
牧師 望月修治
聖 書:エフェソの信徒への手紙
1章3~14節(新約p.352)
讃美歌:28、54、448、398、27
交読詩編:99(p.108上段)
招 詞:イザヤ書6章6-8節

※礼拝は、同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行われます。また礼拝後には、風の会主催の新入会員歓迎会があります。どなたでもご参加ください。

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