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2013年3月3日の説教概要 [説教要旨]

復活前第4主日・受難節第3主日 2013.3.3
説教:「従者の条件」 望月修治
聖書:マタイによる福音書16章13~28節

◆ ごく素朴に、人が宗教に求めるもの、期待するものの一つは厄除けです。しかしキリスト教は厄をよけません。よけるのではなく見つめさせ、向き合わせます。福音書にはいずれもイエスの受難と十字架の死という極限の苦しみと痛みが詳しく書かれています。
◆ ある日ペトロは「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とイエスから問われて「あなたはメシア」ですと答えました。これ以上の答えはありません。ところがイエスはこのペトロをサタンつまり悪魔と等しいと叱りました。その理由はイエスが自らの受難と十字架の死そして復活について語ったことに対して、「そんなことがあってはならないのです」といさめ、そんな生き方はキリストにふさわしくない姿だと否定したからだというのです。
◆ イエスが苦しみを受け、十字架に処刑される、それはペトロならずとも、イエスを脇へ連れて行っていさめたくなります。イエスの十字架の出来事は、<救い主というのは栄光に満ちて、天の万軍を率いて力強くやってくる>という、まことにきれいなイメージに神自らがあけた穴であり、破れです。ということは、イエスが人々から侮られ、ムチ打たれ自ら掛けられる十字架を背負い、手足に釘打たれるという受難へと至る道と復活を抜きにして、イエスがキリストと呼ばれることはないと言うことなのです。このイエスの歩みは辛さや苦しみをどう受けとめるかによって、私たちの人生は大きく分かれるのだということを示しています。すなわち破れを作らないように生きることが大切なのではなく、破れをどのように受けとめるかが大切なのです。聖書の信仰は人間のつまずきを前提にしています。イエスの十字架の死に弟子たちはつまずきました。しかし聖書はそのつまずきを抜きにして「イエスはキリストである」という告白はあり得ないというのです。破れから何が見えるか、それが大切なポイント」です。
◆「十字架を背負う」ということから、二つのことを思います。一つはイエスが背負った十字架です。イエスが十字架を背負うとはどういうことか。星野富弘さんの初めての詩画集「風の旅」の中に、なずなの絵にそえて詩が記されています。「神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/母の肩をたたかせてもらおう/風に揺れるぺんぺん草の/実を見ていたら/そんな日が本当に/来るような気がした」星野さんは一番新しい詩画集「いのちより大切なもの」の中に、この詩を再録され、そしてこの詩に込めた思いを綴っておられます。この詩に歌われているのは、大けがをして入院した星野さんをひたすらに介護してくれた母への深い思いです。お母さんは、星野さんが入院し、人口呼吸器につながれ、高熱にうなされていた時、「わが身を切り刻んででも生きる力を富弘の体の中に送り込みたい」と思ったと、あとで語られたといいます。その母の肩を、「神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/たたかせてもらおう」と星野さんは詩に歌い、そしてこう記しておられます。「私は、それほどの愛に応えるすべをもっておらず、何も言うことができませんでした。」イエスが十字架を背負われた、それは文字通り「わが身を刻んで生きる力を人に送り込んだ」ということです。しかし私たちはそれほどの愛にこたえるすべをもってはいません。
◆ 「十字架を背負う」ことのもう一つは、私たちが背負う十字架です。自分の十字架、それは自分の破れであり、至らなさであり、弱さであり、苦しみです。そしてそれを背負うということは自分の破れ、至らなさ、弱さを自覚し、苦しみを味わうということでしょう。つらい思いを味わいます。イエスは、自分が十字架を背負ったのだから、あなたも同じように背負って血を流して私に従えと言うのでしょうか。
◆ イエスが十字架を背負ったということと、私たちに十字架を背負ってついてきなさいと言われることとでは、十字架を背負うことの意味が異なっているのではないか。星野さんは「神さまが私たちに贈ってくださる幸せのほとんどは、最初からいい顔をしては近づいてこない。むしろ私たちにとって、拒みたくなるような姿でやってくる」と語っておられます。これは脊椎を損傷し、手足の自由を失っての入院生活が9年間に及んだ、その体験を経て紡ぎだされた言葉です。私たちが自分の十字架を背負うというのは、眉間にしわ寄せてつらい思いをあえて引き受けて生きることに意味があるのではなくて、そういう体験を通して神が私たちに贈って下さる世界に出会うために、その世界を本当に深く味わい、わが命の糧とするためにイエスは自分の十字架を背負ってわたしに従いなさいと語られたのです。

2013年3月17日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年3月17日(日)午前10時30分
復活前第2主日・受難節第5主日
説 教:「逆向きの願い」
牧師 望月修治
聖 書:マタイによる福音書
20章20~28節(新約p.39)
讃美歌:29、19、298、522、91(1番)
交読詩編:118;1-9(p.129下段)
招詞:ローマの信徒への手紙8章10~11節

※ 同志社女子大学今出川キャンパス栄光館ファウラーチャペルにて、礼拝が行われます。どなたでも、お越しください。

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