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2013年3月10日の説教概要 [説教要旨]

復活前第3主日・受難節第4主日 2013.3.10
説教:「対話への介入」 望月修治
聖書:マタイによる福音書17章1~13節
◆ イースターの日曜日から数えて46日前の水曜日はアッシュウエンズデイ(灰の水曜日)と呼ばれ、この日からレント=受難節に入ります。レントとは「ゆっくり進む」という意味です。元来は季節がゆっくり春に向かって進むという意味です。イースターの前の40日間、正確には6回の日曜日を含めて46日間という長い期間をレントの時として過ごしますが、それは、このレントの季節を足早に通り抜けてしまうのではなく、「ゆっくり進み」ながらイエスの受難について思いを巡らすためだと思っています。人の苦しみは時間をかけてゆっくりと向き合わねばなりません。またゆっくり向き合ったとしても苦しみのすべてが分かるわけではありません。場合によってはほんの表面をなぞるだけということもあります。だからこそ、レントはゆっくりと歩んでイエスの受難を思う時なのです。
◆ 東日本大震災から丸2年がたちます。被災地に暮らす人たちへの思いが遠のいていく、その現実が広がっている今ですが、だからこそこのレントのもつ意味、足早に通り過ぎるのではなく、時間をかけゆっくり歩みながら被災された人の苦しみを思うこと、向き合うことに自覚的でありたいと思うのです。
◆ マタイ福音書17章1節以下の箇所には 「イエスの姿が変わる」という見出しが付いています。ある時イエスが弟子の中の3人、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを連れて山に登りました。その時イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝き、さらに旧約聖書を代表する人たちの中の二人、モーセとエリヤがイエスと一緒に話し合っていたというのです。不思議な出来事です。この場面をどのように受けとめたらいいのでしょうか。近くにいたペトロたちはどう受け止めたのか。4節のペトロの言葉にそれは示されています。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです。」高い山の上で起こったこの不思議な出来事を「わたしたちがここにいるのはすばらしいことです」という具合に受けとめたというのですが、この受けとめ方は人が素朴に抱く神のイメージを象徴しています。近寄りがたく、光り輝き、栄光に満ちていることが神であることを納得する理由となる。あるいは人間には出来ない超自然的なことを行えることこそ神の神たるゆえんであると考えるということ。これは、よくあるパターンです。
◆ 確かにモーセとエリヤ、この二人はイエスの時代の人々にはよく知られていた歴史上の人物です。しかしこの二人の歩みを振り返ってみるならば、決して光輝くヒーローとは言えません。まずエリヤについてですが、12節に「エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。」と語られています。つまりエリヤという人は人々から勝手にあしらわれ、翻弄された悲劇的な人であったということなのです。同様のことがモーセにもあてはまります。モーセは、遠い昔イスラエルの人々をエジプトから導き出した指導者です。しかし彼はジプト脱出後、パレスチナの地に至るまで40年間荒れ野を旅します。その旅を通して、人々からは絶えず裏切られ、目的地に入ろうとしたとき、それが許されず、約束の地を目の前にして、生涯を終えたと伝えられています。彼は決してヒーローにはなれなかったのです。そしてこの二人と共に語るイエスもまた、人々からあしらわれ、十字架にかけられて殺されるのです。その三人が語り合う場面は、視覚的には服が真っ白に光り輝いていると見えます。しかしよく見ると、むしろ人々から勝手にあしらわれ、あしざまに言われ、この世では悲しい最後を遂げた人たちの会話なのです。
◆ そうであるならば、神を単に栄光に輝く存在、天にいます神として理解して来たとするならば、それは違うのだということではないのか。山の上でイエスの姿が変わるという出来事に出会ったとき、ペトロは、ここに仮小屋を三つ建てましょうと語ります。しかしすぐ後の物語を読みますと、イエスは山を下り、けいれんを伴う病気に苦しむ子供に向き合ったと記されています。イエスの本来いる場所は、三つの庵を建ててよい気持ちになって山の上にいることではなく、平らな所、人間の日常の生活が営まれている所なのだということです。このイエスの姿は、私たちに価値の転換を迫ります。神が偉大であるのは、高い所にいるとか、栄光に輝く存在であるというのではなく、人間の苦しみや悲しみにこそ関わり、慰め、生き方を変える力、支えとして働きかけるからこそ偉大なのです。神が偉大であるとはどういうことかをとらえ直すことを問いかけているのです。
◆ レントの季節の中にありますけれども、この時をすこしゆっくりと歩みながら、神が偉大であるとはどういうことかをとらえなおし、心に留めていきたいと思います。

2013年3月24日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年3月24日(日)午前10時30分
復活前第1主日・受難節第6主日
説 教:「神への罪状書」
牧師 望月修治
聖 書:マタイによる福音書
27章32~56節(新約p.57)
讃美歌:24、16、306、303、27
交読詩編:118;19-28(p.130下段)
招詞:ゼカリヤ書9章9~10節

※次週の礼拝は、通常通り栄光館ファウラーチャペルで行われます。どなたでもお越しください。

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