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2013年2月24日の説教概要 [説教要旨]

復活前第5主日・受難節第2主日 2013.2.24
説教:「悪霊論争」 望月修治
聖書:マタイによる福音書12章22~32節

◆ 「霊に対する冒瀆は赦されない。聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」このイエスの言葉はわたしたちに深い戸惑いを覚えさせます。イエスが十字架にかけられ死んだという出来事は、すべての人の罪に対する赦しの宣言ではなかったのか、よりによってそのイエスが「赦されない罪がある」と語るのは、どういうことなのか。
◆ 悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、ある日イエスのところに連れてこられ、イエスによって癒されて、ものが言えるようになり、目も見えるようになりました。この出来事を見ていたファリサイ派の人々がイエスにいちゃもんをつけてきました。イエスは悪霊の頭であるベルゼブルの力を借りて、悪霊を追い出したのだというわけです。彼らがイエスに反発するのは、自分たちの立場が揺すられ、危うくなると思ったからです。ファリサイとは「分離する」という意味ですが、律法を熱心に守ることこそ神の思いにかなう生き方だと考え、誰よりも厳格に律法を守っている自分たちこそ神に近いのだと自負していました。
◆ 先週の礼拝説教で工藤弘志先生は「神の名を振りかざすと、人間が見えなくなる。神の名を叫ぶとき正義の権化となり、人が見えなくなる」と語られました。ファリサイ派の人々は、自分たちほど神の掟を守っている者はいないといって神の名を振りかざし、他の人たちに「罪人」というレッテルをはって切り捨て、そして自分たちはそのような者たちから分離された存在なのだと自負していました。イエスが癒したのは、ファリサイ派の人々が「罪人」だと見下し、切り捨ててきた人たちの一人です。当時は、例えば羊飼いのように、日常的に律法を破らざるを得ない仕事に就いている人たちを「罪人」と呼んでいました。そのような「罪人」とみなされていた人に癒しが起こるということは、神がそのような人に働きかける方であることを示すしるしです。それはファリサイ派が維持してきた権威を覆すことです。自分こそ正義だという立場、自分たちのもとにこそ神はともにいて働いておられるのだと言ってきたことが覆されてしまうことです。だから彼らはベルゼブルの名を持ち出したのです。当時、社会的な意味で人を徹底的に抹殺するためには、「この人は悪霊の仲間だ」というレッテルを張ることが早道でした。それが抹殺ための一番効果的な方法でした。
◆ ファリサイ派の人々がそのように神の名を振りかざして保身をはかろうとすることに対して、イエスは挑戦的とも言える論争を展開します。悪魔でさえも自分たちの国を大切にする。もしもわたしが、悪霊の力によって悪霊を追い出しているということになれば、わたしは悪霊の国の中に内乱を起こした反逆者ということになる。そんなことがありえるかとイエスは切り込みます。ファリサイ派の人々は、悪霊を追い出し、人を癒すイエスの働きが神の力によるものでること認めようとはしませんでした。自分たちの目の前で起こった癒しの出来事の理由はあくまで他にあると抗弁するのです。人が自分の立場や権威を守り保身をはかるために、神の働きを悪霊の業だと言い張るのは、神を退けることです。それは生きることの土台をなくしてしまうことを意味します。だからイエスは「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」と厳しく語ったのです。
◆ 「悪霊に取り憑かれている」といってイエスを非難するファリサイ派の人たちの立ち位置は、神の働く領域を否定し排除して,自分たちの判断を優先させ、関係をはかろうとする生き方を象徴しています。ルカ福音書17:20-21で「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」とイエスは語っています。人と人との間、そこに思いを注ぐ。それは神が働く場を、いろいろな人との関係において留意する、用意するということです。人の業はどんなに優れていても、そこに人の思いだけではなくて、外からの力を取り次ぎ、重ねて働きをなして行く、そのことこそ私たちが忘れてはならないことであり、イエスと出会い、神を知って生きることの具体的な形なのだと思います。神の働く場をどんな人との間にも用意し,そこに神を迎えながら関係を作り、いろいろなことに一緒に取り組んで行く。そこにこそ信仰を持って生きる者の独自性があり、豊かさがあるのです。人と人との関係の凝りを解きほぐすためには、神の働く領域をお互いの間に備えることを聖書は促すのです。

2013年3月10日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年3月10日(日)午前10時30分
復活前第3主日・受難節第4主日
説 教:「対話への介入」
牧師 望月修治
聖 書:マタイによる福音書
17章1~13節(新約p.32)
讃美歌:28、209、300、285、27
交読詩編:145;1-13(p.158上段)
招 詞:出エジプト記24章3~4節

※ 礼拝は通常通り、栄光館ファウラーチャペルで行われます。どなたでもお越しください。礼拝後に、ジェームス館203で風の会による歓送迎会が催されます。

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