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2014年9月21日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2014年9月21日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第16主日
説 教:「あきれた乗り換え」
牧師 望月修治
聖 書:ガラテヤの信徒への手紙
1章1-10節(新約p.342)
招 詞:マルコによる福音書12章41-42節
讃美歌:28、127、394、512、91(1番)
交読詩編:119;73-80(p.135上段)

※礼拝は、同志社女子大学栄光館ファウラーバザーにて行われます。どなたでもお越しください。

2014年9月7日の説教要旨 [説教要旨]

使徒言行録13:44-52 「語られるはずだった言葉」

◆ パウロはイエス・キリストが大嫌いでした。熱心なユダヤ教徒であったパウロは、律法を守ることこそが神の道、神の御心に応えて生きる道だと信じていました。ですからイエスの言葉、イエスの行い、その全てが気に入りませんでした。全ての者が救われるとか、敵を愛せよなどという教えは許し難い、神を冒涜するものだとパウロは考えました。それ故そのような教えが広まってゆくことは断固阻止しなければならないというので、彼はキリスト教会を片っ端からつぶし、キリストの名を地上から完全に消し去ろうとしたのです。しかしある時、ダマスコに、やはりキリスト教会をつぶすために向かう途中で、復活のイエスに出会うという体験をし、彼の生き方は180度変わりました。イエス・キリストこそわが命という生き方へと方向転換をしました。

◆ 誰もが驚いたこの方向転換が起こる伏線となったできごとがあったはずです。それはおそらくステファノの事件だったと思います。この事件は7章に記されています。キリスト者としての最初の殉教者となったのがステファノです。彼は人々に説教し、キリストのことを語りました。その内容は、イスラエルの歴史を、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフという祖先たちの足跡から説き起こし、その後の旧約の時代にイスラエルの人々が歩んだ歴史を語りました。そしてその各時代に人々が預言者たちを迫害したと指摘し、加えて先祖の人たちだけではなく、今のあなたがたも救い主であるイエスを十字架につけて殺す者になったと言い切りました。聞いていたユダヤ人たちは怒りをあらわにします。それは本当のことを言われたからです。誤解されて批判されるのも腹立たしいものですが、本当のことを言われるとき、しばしば人は自分を見失うほど憤ります。ユダヤ人たちはステファノの言葉に歯ぎしりして、一斉に彼を襲いました。

◆ 実はその時、ステファノへのリンチの様子をじっと見ていたのがパウロでした。そしてパウロは聞いたのです。石打たれながらなお「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫ぶステファノの声を確かにパウロは聞いたのです。この体験はパウロにとって衝撃でした。そしてこの時から彼の回心への序曲は始まっていたと言えるのです。パウロはステファノの姿を忘れることは出来ませんでした。その生き方と死に方に強い衝撃を受けました。そしてこの出来事はパウロの生き方をの問い続けたのです。それはステファノを捉えていたイエス・キリストからの問いかけであったといえます。パウロの心の中にキリストに惹かれる思いが宿り始めたのはおそらくこの時からです。

◆ カトリック司祭の井上洋治さんが若い時のフランス留学での体験を書いておられます。大学を卒業してフランスに渡り、カルメル会という修道院で生活をはじめた井上さんは、ファリサイ派にも似た生活を送りはじめました。全身の努力で、罪を犯してはならない、人はかくあらねばならないと毎日懸命でした。しかし時がたつにつれて、何かある空しさというか、精神的な息苦しさというか、うまく言葉では表現できないが、何かそういった鈍い痛みのようなものが井上さんの心をとらえていきました。それはちょうど、走っても走っても追いかけてくる自分の影法師からのがれようとする努力にも似ていました。井上さんはさらに自我との戦いへの努力に拍車をかけます。それでもなお何か、向こう側からどかんとぶつかってくる壁に出会わないといったような空しさに追いかけられていたというのです。

◆ パウロが味わったのはこの井上洋治さんと同じ質の体験だと思います。掟を破ってはならぬ、罪を避けねばならぬ、そう努力すればするほど精神的な息苦しさがつのり、律法に違反しているのではないかという恐怖の影に追われ続けることになります。この気分をローマの信徒への手紙8:15で「人を奴隷として再び恐れに陥れる霊」という表現で彼は語っています。この言葉に、<律法を踏み外しはしないか>という恐怖の影からただひたすら逃れようと頑張っていたパウロの姿が浮かんでくるようです。

◆ そこからの解放はパウロを変えました。イエス・キリストの福音を伝える使徒として歩み出したパウロは、今度は自分が同胞のユダヤ人から軋轢(あつれき)を受けることになりました。使徒言行録の13章からはそのパウロの歩みが物語られています。ピシディア州のアンティオキアにやってきたパウロは、安息日に会堂に入り、集まっていた人たちに向かって語り始めました。彼の説教を聞いたユダヤ人やユダヤ教に改宗した異邦人たちは非常に感銘を受け、次の安息日にもまた同じことを話してほしいとパウロに頼みました。そして次の安息日になると、町中の人たちがパウロの語る主の言葉を聞こうとして集まって来ました。

◆ しかし「ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した」というのです。ユダヤ人とあるのは、会堂長や役人やユダヤ教の指導的立場にあった人たちのことです。彼らは「イエスを救い主として信ずる信仰によって、人は神に受け入れられる」と語るパウロの信仰理解は、律法を守ることによって救われるというユダヤの伝統的な信仰理解と違うことに気づき、反発したのです。これに対してパウロは、本来ならユダヤ人にまずもたらされるはずの神の恵み、語られるはずだった福音が、ユダヤ人たちのねたみの故に、異邦人にもたらされることになると語ります。このことを語るパウロは、ねたみを抱くユダヤ人を「あなたがたはもうダメだよ」と言っているのではないと思います。むしろパウロはこの時のユダヤ人たちをみて、かつての自分をそこに重ね合わせたのではないかと思うからです。

◆ 内側から人を押し出すような躍動感、自由さ、あるいは喜びがなく、ただ外側の形式やしきたりに依り頼んで自分を支えようと守りに入った時、人は排他的になります。自分の型を崩されまいと必死の守りにはいり、異なる者を排斥し、押しつぶそうと躍起になります。律法に熱心であればあるほど、忠実であればあるほど、ある種の不安にも似たむなしさが、意識の奥からはい上がってくる気配をパウロは感じていたにちがいありません。そしてダマスコに向かう途上で、熟した柿があるとき突然、地に落ちるように、パウロもそれまでの人生が、いっきょに足もとから崩れていく時を迎えるのです。突然天から光がさして、パウロを照らしたと使徒言行録は記しています。そして目が見えなくなったというのです。パウロは人に手を引かれてダマスコに行きました。意気込んでエルサレムからダマスコに向かった時とは大違いです。全くの敗北者の姿です。しかし、それがパウロの本当の姿でした。その彼に一つの声がかけられます。「そこであなたのなすべきことが告げられるであろう。」

◆ パウロが自分の力ではなく、手を引かれて歩き始めたときに、新しい人間としての彼の歩みが始まりました。アンティオキアでねたみからパウロとその一行への迫害をあおるユダヤ人たちに、かつてのそのような自分を重ねながら、「地の果てにまでも」とは、いつかそのユダヤ人たちも、「手を引かれて歩む自分」への気づきが起こることをパウロは願ったのだと思うのです。

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