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2013年12月15日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年12月15日(日)午前10時30分
降誕前第2主日・待降節第3主日 
説 教:「呼びかけよ」 牧師 望月修治
聖 書:イザヤ書40章1-11節(旧約p.1123)
招 詞:マルコによる福音書1章6-8節
讃美歌:28、207、182、237、91(1番)
交読詩編:85(p.93下段)

※次週の礼拝は、静和館4階ホールにて行われます。どなたでもお越しください。

2013年12月22日の説教概要 [説教要旨]

降誕前第1主日礼拝  2013.12.22
説教:「想像してごらん」 望月修治
聖書:ルカによる福音書2章1~20節

◆ 今年もクリスマス礼拝を迎えました。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」このイザヤ書9章の言葉が、私たちを今年のクリスマス礼拝に招き入れます。

◆ 神のもとに人を招く聖書の言葉は、「さあ、想像してごらんなさい」とわたしたちを促すのです。創世記にしるされたイスラエルの祖先たちの物語の中で、神から子孫を繁栄させると約束されたのに、そのしるしとなる跡継ぎがいっこうに与えられないことへの不安を抱えていたアブラハムを、ある夜、神は天幕の外に連れ出し、天を仰いでみよと促しました。そして満天の星をさして「星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と語りかけたと記されています。神の約束が現実となっていないことに困惑していたアブラハムに、神は満天の星を示して、「さあ、想像してごらんなさい」と呼びかけ、神の約束への信頼と応答を促しました。預言者イザヤは、ひとりのみどりごの肩に権威がある。狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導くと預言し、神による平和をヴィジョンとして示しました。そしてイエスは神の国について、乳飲み子のような者たちのものであると語りました。人の数を数えるとき、未熟なものだとしてカウントする対象とはされていなかった乳飲み子を呼びよせて「神の国はこのような者たちのものだ」と人々に語りました。このような不可思議な語りかけは、神の働きの奥深さと広がりを想像し自覚することを促すのです。

◆ ルカによる福音書は、そのイエスの物語を、マリアとヨセフがいろんな揺らぎとか、戸惑いとか、不安など覚えながら、その誕生の時を迎えたということから書き起こしています。なぜルカはこんなに詳しくイエスが生まれるまでの出来事を書き記していったのか。それは、乳飲み子が、あるいは子供が神の働きを示す大切なしるしなのだということを、イエスの誕生物語を詳しく描くことによって伝えたかったのです。

◆ 赤ちゃんは、生きていくためにすべてを人に委ねています。命は、生まれて放っておかれても、自分で勝手に大きくなっていくのではなくて、いろんな人の支えの中で、いろんな人からいっぱい愛されて、具体的な支えを与えられて、はじめて成長していくことができるのです。それは私たちが大人になって、いろいろな人生の経験を積んで年をとったから、もう誰かの支えなどなくても生きることができるということでは実はないのだとクリスマスの物語は言いたのです。いくつになっても、どんなに知識を積み、多くの経験を人生の中に積み上げたとしても、どんなに社会的な地位があったとしても、でも人は一人で生きていくことは決してできない、そのことを忘れてほしくない、ということを、私たちに伝えようとしています。

◆ 一人で生きているのではないということの深い意味を身にしみて知るのはどういう時か、そのことを告げるために羊飼いの物語をルカは書いたのだと思います。救い主の誕生を最初に知らされたのは羊飼いたちであった、とルカは書いています。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。この「あなたがたのために」というのは、町に住んでいる一般の人たちに向かって語られたのではなくて、羊飼いに向かって、「あなたがたのために救い主は生まれたんだよ」と言っているのです。ということは「救い主」の働き、その意味を一番よくわかるのは羊飼いのような立場にいる人たちなのだ、ということです。当時ユダヤにおいて、羊飼いの置かれた位置は、社会の底辺に位置づけられる人たちの代表でした。その羊飼いに神は、天の使いを遣わして、あなたたちのために救い主が生まれたのだよと伝えたというのです。

◆ 羊飼いたちは「あなたたがたのために救い主がお生まれになった」という言葉を本気で聞いたのです。「主が知らせてくださったその出来事」が本当にあると信じ、「さあ、ベツレヘムへ行こう」と応答し、現場へ急ぎ向かったのです。彼らは、自分たちこそが正しいユダヤ人であると考えている人たちからは蔑視され、汚れた領域に住む人々と見られていました。しかし羊飼いたちは「想像してごらん」という呼びかけに応える、しなやかな心をもっていた人たちでした。まことに無防備な存在でしかない乳飲み子が、神がこの世に示す救いの働きのしるしなのだということを、彼らは本気で聞き、信じ、応答したのです。

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