SSブログ

2013年12月8日の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年12月8 日(日)午前10時30分
降誕前第3主日・待降節第2主日 
説 教:「巻物を読みなさい」 牧師 望月修治
聖 書:エレミヤ書36章1-10節(旧約p.1245)
招 詞:テモテへの手紙4章1-2節
讃美歌:27、59、52、241、91(1番)
交読詩編:19:8-11(p.21上段)

※礼拝は、同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行われます。

2013年12月1日の説教概要 [説教要旨]

降誕前第4主日礼拝  2013.12.1
説教:「奮い立て、とこしえに」 望月修治
聖書:イザヤ書51章4~11節

◆ 新島襄は1890年1月23日、徳富蘇峰、小崎弘道らに10か条の遺言を託して46年の生涯を閉じました。最期の言葉は「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」でした。遺言の中で新島は「同志社に於ては俶儻不羈(てきとうふき)なる書生を圧束せず、務めて基本性に従い、之を順導し、以て天下の人物を養成す可き事」という言葉を残しています。「俶儻不羈」すなわち型にはまりきれない個性をもち、一筋縄ではいかない学生を学園から排除したり、押さえ込んだりするのではなく、よろしく導き「天下の人物」にまで育て上げることを新島は願ったのです。「俶儻不羈」、それは幕末期に日本から鎖国の禁を破って脱国した新島襄自身がそうであったのですし、アメリカでその得体の知れない東洋人を受け入れ、大切に扱い、向き合ってくれた人たちがいた。その体験が「人一人は大切なり」と新島をして言わしめたのでしょうし、「俶儻不羈なる書生を無理に押さえ込むことのないように」という遺言となったのだと言えます。

◆ 1874年明治維新後の日本に、新島はアメリカン・ボードの準宣教師に任命され、日本伝道のために派遣される形で、帰国しました。1875年に京都に移ります。新島が京都に来たときの最初の仕事は、安息日に自分の家で礼拝を開始し、男女から成る小さなグループにキリスト教を宣べ伝えたことでした。キリスト教を宣ベ伝え、その信仰を基盤にすえるという姿勢は新島の基本であり続けました。

◆ イザヤ書の40〜55章は、第2イザヤと呼ばれる預言者の言葉が記されています。第2イザヤは、捕囚の地で神の無力さを嘆く人たちに、イスラエルの信仰の父とも呼ばれたアブラハムのことを語りました。彼も最初はたったひとりであり、無力な、弱々しい存在でした。そのような「ひとりであった」アブラハムを神は呼び出し、祝福して子孫を増やした。神が働くとき、神が向き合う現実や人間が孤独で、無力な存在であったとしても、それは問題ではない。どのような存在であれ、その人を神が用い、命に溢れさせ、そして生かすことに重点があるのだと第2イザヤは捕囚の地の人々に語りかけ、解放の日の訪れをつげ、希望を失わずに歩むことを人々に語った預言者でした。

◆ 新島がボストンで出会った聖書の信仰は、一つの型にはめられて教義や教えをかたくなに守ることによって受け継がれて行く信仰ではありません。もっと自由に聖書に聞き、聖書の言葉を受けとめ、自分が今置かれた状況の中で、そこに語られている意味を深く味わって生かして行く。そういう信仰の自由さに新島は深く打たれました。そして京都の地にやって来て、その自由さを命とする信仰に育まれる心を若い人たちが学ぶ知識を生かす道として伝え、育みたいという思いをもって、同志社をまた同志社教会を車の両輪として生み出した人であったと思うのです。

◆ 私たちはその伝統の中に受け継がれて来た信仰を分かち合う同志社教会という群れの中に身を置いています。聖書の言葉、聖書の世界に神が宿したこと、その自由さ 自分の命が躍動する体験をたくさん味わいながら、そして昨年のクリスマスから1年間、いろいろな体験を重ねて新たにクリスマスの出来事に向き合い、あのベツレヘムで生まれた神の独り子の誕生の出来事に、新たな思いをもって出会い直し、あらたな喜びを皆で分かち合うためにこのひと月を共に歩んで行きたいと思います。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。