SSブログ

2013年4月14日の説教概要 [説教要旨]

復活節第3主日 2013.4.14
説教:「神が見せるしるし」 望月修治
聖書:列王記上17章8~16節

◆ 本日の礼拝にはこの春同志社女子大学に入学されてみぎわ寮での生活をはじめられた新入生のみなさんが出席して下さっています。初めて聖書に出会い、そして教会の礼拝にも初めて出席するという方も少なからずおられると思います。戸惑いを感じておられるかもしれません。みぎわ寮に入られたみなさんは、毎年4月の始めにこうして同志社教会の礼拝に来てくださいます。自発的にというよりも、寮生としてこなさねばならないスケジュールの一つとしてというのが本当の所かも知れません。京都市内のある教会の牧師は「強いられた恩寵」ということをしばしば語ってくれます。強制されたこと、これはあなた役割だといやでも引き受けなければならなくなったことを通して、大切なことに気づかされることが起こる、そのような不思議さを意味する言葉です。
◆ 見えないもの、特にそれが「神」という形で表現されるとき、人は反発します。自分には遠い世界だと感じます。なぜ関わらなければならないのだと反発し、何度か形だけは礼拝の場に身を置いても、心は閉じたまま、早く終わることを念じている、そんな向き合い方を人はします。はじめて教会に行き始めた、いや行かされた中学生の頃の私はそうでした。しかし見えないものに生かされ、支えられているのだという気づきの時が人には訪れます。失敗した時、傷ついた時、人を傷つけた時、悩んだ時、不安になった時に、優しさ、思いやり、いたわり、心配してもらうこと、心にかけてもらうこと、目に見えないそれらのことが、生きることを見守り、支えていてくれること気づかされます。それらの見えないひとつひとつのことなしには、これまで生きてくることは出来なかったこと、今を生きることは出来ないこと、そしてこれからを生きて行くこともできないことに気づかされます。この気づきは不思議な訪れ方をします。自分の人生はうまく行っている、自分は人の世話になどならずに生きている、そんなふうに思っている時には訪れてこないのです。挫折のとき、失敗したとき、後悔に打ちのめされるとき、この気づきは訪れます。
◆ 生きることにおいて“何を大切にするか”、それがその人やその家族の生き方、あるいは学校のあり方の方向を決めます。学校あるいは大学で学生のみなさんに向き合うときに大事なのは「生きることにおいて大切なのは何か」をきちんと提示しうることです。
◆ では同志社女子大学の土台は何か。キリスト教主義、国際主義、そしてリベラル・アーツ、これらが同志社女子大学の教育理念です。これはキリスト教の理念に基づく人間形成を目標として教育を行うということです。リベラル・アーツは本来、日本にはない教育システムなので、日本語に的確に訳しきれないのですが、直訳すれば「自由な学芸」、もう少し内容を表すとすれば「真に人間を自由ならしめる教養の教育」と定義されています。女子大のホームページでは「物事の本質を捉える力を身につける」ことを目指して教育を行うのがリベラル・アーツであると記されています
◆ 心を育てる教育、見えないところを大切にする教育、それは人生の土台を作る営みです。土台は上に建物が建てば見えなくなってしまいます。しかしその人の一生を支えます。作った土台の価値が分かるのは後になってからのことです。見えないものを感じ、大切にして生きる生き方は、命に注がれている深い視点があることに気づく体験によって育まれます。
◆同志社教会の栄光館での礼拝には、同志社女子部の卒業生の方で20年ぶり、30年ぶりに京都に来て「本当になつかしくて」と、出席される方が少なからずおられます。卒業後歩んだ人生をふとたどり直しながら、学生時代を同志社女子部で過ごし味わい知ったリベラル・アーツの伝統が与えてくれたものを、しみじみと思うときなのではないかと感じています。

2013年4月28日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年4月28日(日)午前10時30分
復活節5主日
説 教:「その道」
牧師 望月修治
聖 書:ヨハネによる福音書
14章1~11節(新約p.196)
讃美歌:24、12、515、446、91(1番)
交読詩編:98(p.107下段)
招 詞:ヨハネの手紙Ⅰ 2章7~8節

※ 栄光館ファウラーチャペルで礼拝は行われます。礼拝後に教会総会が開催されます。
総会に出席できない会員の方は委任状を忘れずに受付にお渡しください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。