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2013年11月10日の説教概要 [説教要旨]

降誕前第7主日礼拝  2013.11.10
説教:「跡継ぎの選択」 望月修治
聖書:創世記15章1~20節
◆ イスラエルの信仰の父とうたわれたアブラハムが、まだアブラムと呼ばれていた頃の物語です。神が幻の中でアブラムに語りかけるところから物語は始まります。「恐れるな」と神はアブラムに語りかけるのですが、それはアブラムが跡継ぎのことで思い悩み悶々として日々を過ごしてきて、こらえきれずに神に訴え、それを受けとめた神からの応答として語りかけられた言葉です。
◆ アブラムが75歳の時に、「わたしの示す地へ行け」と神から促されました。そのとき神は、もうひとつ約束をしました。「あなたを大いなる国民にし、あなたの子孫にこの土地を与える。」という約束です。アブラムと妻サライに子ども与えられ、そこから孫、ひ孫へと世代がつながって行くと約束するのです。この約束を実現するしるしが与えられない、そのことがアブラムの中で揺らぎを生んで行きました。「あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでした」と悲痛な思いで神に訴えます。
◆ この物語のハイライトイは実はそこから始まります。神はアブラムを天幕の外に連れ出し、「天を仰いでご覧なさい」と語りかけます。神は天を仰いで星を数えるようにとアブラムに語りかけます。彼が見上げた空に、繰り広げられるのは、魂を奪われるような星の世界です。澄み切って、冷気も含んだ大気に包まれながら見上げる空は全て、まるで砂を撒いたように広がる大小の星々のきらめきで満たされます。ここで神はアブラムの子孫が、この星の数のように増し加わることを告げます。そしてアブラムはその言葉をそのまま信じたと聖書は語っています。そこには目に見える保証など何もありません。形ある担保など皆無です。それにもかかわらず、アブラムは神の言、神の約束を自分の中に受けとめたのです。
◆ そしてこのアブラムの対応は、神から「義と認められた」と記されています。義とはどういうことか。今日の物語の中に答えを探すなら、義とは神とアブラムが本当につながったということです。神と人との心がつながること、神の思いが人にきちんと受けとめられることを指しています。
◆ ただし、今日の物語を通して確認しておきたいことがあります。星空を見上げて、神の約束が実現することを確信する。それはアブラハムが信じたことへの報酬として手にすることではなく、神からの賜物として与えられるのだということです。私たちは人間の側の期待や希望やかなえる神の出現を期待します。ときには私たちの欲望ともいえる要求を満たす神の到来を望みます、問題を即座に解決する力ある神のイメージを抱きもします。全ては神のためではなく、私たち自身のために役立つ神の像を描きます。そのような人間の側の都合に合わせて登場し、苦悩、困窮を即座に解決する「機械仕掛けの神」を私たちはイメージしがちです。
◆ 創世記の物語はそのような神理解を否定します。そのためにアブラハムが味わった苦悩や戸惑いや疑いの日々を今日の箇所では2節のアブラムの言葉に集約させて描いています。「わが神、主よ、わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
◆ それから13節以下には、アブラムの子孫たちが、エジプトで寄留者として、また奴隷として過ごさねばならない400年の年月が待っているとも語られています。これは出エジプトの出来事を指しています。創世記の物語は出エジプトの出来事よりずっと後の時代に書かれ編集された物語ですから、神が将来起こる出来事を予告するという形で物語られているわけですが、神から「義と認められた」イスラエルの人たちがなおそのような苦難を味わわなければならないということを語っているのです。それは、神の働きは人間のすべての体験を舞台とするのだということを示します。喜びのときだけではなく、悲しみや辛さや不安や苦悩を味わっているときにも、いやむしろそのようなマイナスの状況の中に、神の働きを深く知る戸口があるというのが聖書の示す道なのです。
◆ 沖縄の喜納昌吉が歌った「花」という作品がある。最近ではコマーシャルソングにも使われたり、他の歌手がカバーして歌ったりしていますが、この歌の歌詞は、ある意味でとても単純です。「泣きなさい、笑いなさい」というフレーズが、繰り返し歌われ、ステージでは何十回と歌うときもあるという。「泣きなさい、泣きなさい」でもなく「笑いなさい、笑いなさい」でもない。泣くということと笑うということ、その二つが大事だというのです。そして聖書はそのいずれの時にも神は寄り添っておられるのだと語っています。

2013年11月27日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年11月24 日(日)午前10時30分
降誕前第5 主日 
法人同志社創立138年記念礼拝
説 教:「神からの宝」
同志社大学神学部准教授 村山盛葦
聖 書:コリントの信徒への手紙Ⅱ
4章7~15節(新約p.329)
招 詞:サムエル記上16章5b-7節
讃美歌:24、54、510、529、91(1番)
交読詩編:89;20-30(p.98下段)

※こどもの教会の礼拝は、9:30から牧師館にて礼拝が行われます。
※主日礼拝は同志社礼拝堂にて行われます。




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