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2013年9月22日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年9月22 日(日)午前10時30分
聖霊降臨節19主日
説 教:「労働の手本」 牧師 望月修治
聖 書:テサロニケの信徒への手紙Ⅱ 3章6~13節(新約p.382)
招 詞:コヘレトの言葉3章10-12節
讃美歌:28、55,417、561、27
交読詩編:90;13-17(p.101上段)

※礼拝は、同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行われます。どなたでもお越しください。

2013年9月15日の説教概要 [説教要旨]

聖霊降臨節第18主日礼拝  2013.9.15
説教:「神と人への戒め」 望月修治
聖書:出エジプト記20章1~17節

◆ ある人が自分の母について次のように書いています。「私の母の口癖は『アンタの親なんだから』だった。これは妙に迫力のある言葉で、これを言われると自分に正義がある(としか思えない)場合でさえも口をつぐむほかなかった。以来20数年の月日が流れた。私には現在娘と息子がいる。子供は親の言うことを聞かないものだ。年老いた母は言う。『アンタも親だろうが!』。そうだ親だからあきらめるわけにはいかない。けれども人はいつか親を離れる。そこで再び親の声を聞く。それは天からの声である。『わたしは主、あなたの神である』。この声に反論など出来ないし、逃げられない。何しろ自由を下さった方なんだから」。

◆ 「わたしはアンタの親なんだから!」この母の前では、それが理不尽であろうと何だろうと、ただ聞くしかないという。これは反発を感じながら、しかし深いところで納得して聞こうとしているのだと思います。「この人のいうことはやっぱり聞くしかないな」という、そういう納得がここにはあるのです。

◆ それは信頼です。この母は自分のことを受けとめていてくれるということへの信頼です。いい子だからではない、嘘をつくだろうし、いたずらもするだろう。どこかでちょっと悪いことをすることもある。それはちゃんと知っている、そしてそれはいけないことだ。でもそういうアンタを私は受けとめ続けるよ、わたしはアンタの親なんだから。言葉に宿っているこの母の思いを感じたのだと思います。子供は親にいろいろな信号を送って来ます。時には嘘をついたり、悪いことをしたりもする。それをちゃんと見抜いて、本気で叱ってほしい、本気でわたしを見てほしい、受けとめてほしい、心にかけてほしい。ドロドロしている自分を見てほしい。本当のわたしを見て、抱きとめてほしい。人はそういう信頼を確かめ得たときに、はじめて自分の落ち着き場所を見出して行くのだと思います。

◆ 「わたしは主、あなたの神である」。それは「わたしはアンタの神なんだから」ということです。本日の聖書箇所には、この言葉が繰り返し語られています。「十戒」という見出しが付けられています。遠い昔、エジプトの地からイスラエルの民を導き出したと伝えられるモーセに、旅の途上で、神が示したという「十の戒め」「十戒」について記されています。「わたしをおいてほかに神があってはならない」「いかなる像も造ってはならない」「主の名をみだりにとなえてはならない」「安息日を心に留め、これを聖別せよ」という戒めに続いて、「父と母を敬え」「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」「偽証してはならない」「隣人の家を欲してはならない」という戒めが示されています。この十の戒め、特に「父と母を敬え」から後の6つの戒めは、聖書だけの特色だというわけではなく、どんな時代の、どんな文化であっても、同様の生活規範や法則を見出すことが出来ると思います。またこの戒めをその通りだと承認するために、人はユダヤ人やキリスト者や回教徒である必要はありません。私たちの毎日の生活にもあり続けている法則であり、戒めです。しかし神はこれらの戒めを一般的な戒めとして語ったということではありません。そうではなく「わたしは主、あなたの神である」ということから語り始められています。ディーリッヒ・ボンヘッファーは十戒について面白い提案をしています。十の戒めのそれぞれの前に「わたしはあなたの神である。それゆえ」という言葉を補って読んでみなさいという提案です。「わたしは主、あなたの神である。それゆえ、いかなる像も造ってはならない」。「わたしは主、あなたの神である。それゆえ、あなたの父と母を敬え.」「わたしは主、あなたの神である。それゆえ、殺してはならない」・・・という具合に読んでご覧なさいというのです。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷に家から導き出した神である。」もっと平たく言えば「わたしはアンタの神なんだから」、このことが確認された上で、いやこのことが基盤にあって、その上で示されているのが十の戒めなのです。この組み合わせは重要なポイントです。

◆ イスラエルの人たちは、祖先の時代から長年にわたって旅人として生きてきました。そしてエジプトを出た後に長く続く荒れ野の旅での体験も加わり、そこで味わったさまざまな体験を通して、思い知ったことがありました。それは「人は、自らの力で自らの社会をまとめ、人の力で一つになることはできない」ということです。人間同士が向き合えば、必ず争いが起こる。けれども、互いに向き合うとことに加えて、同じもの、同じ方向を見るならば、思いを一つにして行くことが出来ることを学び取ったのです。同じもの、同じ方向を見る、それが「わたしは主、あなたの神である」「私はアンタの神なんだから」と語りかける神に他なりません。そういわれて納得させられるのは、神がたくさんの理不尽さを味わい、引き受けさせられているのに、なお足らずに理不尽なことをこれでもかと引き起こしてしまうこの私に、私たち一人一人に「わたしは主、あなたの神である」「私はアンタの神なんだから」と言って下さる神だからです。

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