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2013年7月28日の説教概要 [説教要旨]

聖霊降臨節第11主日礼拝  2013.7.28
説教:「回心の次第」  望月修治
聖書:使徒言行録9章26~31節

◆ 人の心が変わるとき、そこには深い出会いがあります。人は一人で変わることは出来ません。人の生き方を変える力は外から訪れます。使徒言行録9章には、正反対の立場に立つ二人の人間の物語が記されているのかと思わず錯覚しそうになる程に、生き方が激変した一人の人物の物語が記されています。その人物はサウロです。13:9で「パウロとも呼ばれていたサウロ」と紹介されています。9:1-2に次のように記されています。「さて、サウロはなおも弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」「サウロはなおも弟子たちを脅迫し」とあるのは、8章の1節以下に記されている事態をうけているからです。そこには、エルサレムの教会に対して、大迫害が起こったこと、そしてサウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送り込んでいたことが記されています。

◆ キリスト者たちにとって、サウロは恐ろしい男でした。次々と教会を襲い、キリスト者たちを片っ端から縛り上げ、連行し、牢に入れていったからです。彼の行動は過激さを増して行きました。8章では「縛り上げ、連行する」となっていますが、9章では「脅迫し、殺そうと意気込んで」となっています。そしてそのためのお墨付きとするために「大祭司のところへ行って、ダマスコの諸会堂あての手紙」を書いてくれるように求めました。

◆ ところが、9章20節には、そこまでの過激な行動をとっていたサウロが、ダマスコのあちこちの会堂で、イエスのことを「この人こそ神の子である」と宣べ伝えたということが記されています。さらに9章26節によれば、サウロはエルサレムに着くと、弟子の仲間に加わろうとしたというのです。サウロが見せた落差のありすぎる変化に周りの者はついて行けずに戸惑っています。弟子たちはサウロの言葉を信じられないで逆に恐れたとあります。

◆ 戸惑う弟子たちとの仲介の役目を担ったのはバルナバという人物です。バルナバは地中海のキプロス島の出身で、エルサレムの教会に多額の献金をした信徒でした。バルナバは、ダマスコに向かう道でサウロに起こった出来事が、彼の生き方を激変させたのだと弟子たちに説明しました。その出来事は、9章の前半に記されていますが、サウロがダマスコという町にいるキリスト者たちを捕えるために道を急いでいた時に起こりました。天から突然光が射して、サウロを照らし出したというのです。この状況は決して尋常なことではありません。天からの光とは特別な光ということです。選びの光といってよいかも知れません。そしてその光によって目が見えなくなってしまいました。目が見えていたのに見えなくなる。この状況の激変に示されるのは、今での価値観、今までの考え方、今までの生き方がそのまま続くのではなく、1度ストップさせられたということではないでしょうか。

◆ 考えさせられることがあります。なぜ光なのかということです。見えなくさせるというのであれば、サウロを闇で覆えばよかったのではないか。しかし闇ではなく光が使われています。サウロは闇の中で歩みが止まったのではなく、光に包まれて、今までの歩みがストップさせられたのです。よく人を密かに排除し、亡き者にすることを「闇に葬る」と表現しますが、サウロは闇に葬られたのではなく、光に包まれたのです。光に照らされて見えなくなったということは、彼は葬られたのではなく、新たに生まれ変わらせられるということなのです。

◆ 光によってうたれることも一つの審きであることは確かです。しかしこの審きは人を生かす審きです。キリストは光によって人を打ち、サタンは闇によって人を打つ、そう表現したらいいかも知れません。ユダヤ主義に凝り固まり、キリストを憎み、教会を躍起になって迫害した一人の男を天の光が照らし出すのです。このような者に光を当てるのが神の働き方なのだと、今日の箇所は告げています。

◆ サウロはそのあと、人に手を引かれながらダマスコに行きました。教会迫害のために意気込んでエルサレムを出た時とは大違いです。全くの敗北者の姿です。しかしそれが彼の本当の姿だったのです。この惨めに見えるサウロに向かって一つの声がかけられます。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と。自分の力ではなく、手を引かれて歩き始めた時に、サウロは新しい人間として息づきはじめていくのです。

2013年8月11日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2013年8月11日(日)午前10時30分
聖霊降臨節13主日
説 教:「家族の日常
牧師 望月修治
聖 書:マタイによる福音書12章43~50節(新約p.23)
讃美歌:28、57,542、544、91(1番)
交読詩編:128(p.144下段)
招 詞:コロサイの信徒への手紙3章23-25節

※次週の礼拝は、同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行われます。冷房が苦手な方は、上に羽織るものをお持ちいただければと思います。

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