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2022年12月18日(日)の説教要旨 [説教要旨]

ルカによる福音書1章26〜38節 「恐れることはない」 大垣 友行

★ アドベントも第4週を迎えました。いよいよ、次週はクリスマスです。聖書は、クリスマスの出来事をわたしたちに語り伝えていますが、最初に書かれた福音書とされるマルコ福音書には、イエスの誕生物語が記されていません。すでに成長したイエスが、ガリラヤのナザレから来たということが書かれているだけです。他方で、マタイ、ルカ、そしてヨハネは、それぞれの仕方で、イエスの誕生について扱っています。ヨハネは独自の関心から物語を描き出していますが、マタイとルカは、誕生の出来事にスポットライトを当てています。

★ ルカの場合は、先週のザカリアのエピソード、洗礼者ヨハネの誕生物語と対をなすものとして位置付けられています。構造的には、イエスの誕生の告知、マリアの賛歌、その母マリアと、洗礼者ヨハネの母エリサベトの出会いを間に挟み込んで、イエスの誕生の出来事を語った物語が、一連のエピソードをなしており、福音書の冒頭には幼少期の姿までが描かれています。

★ ヨハネの誕生物語と、イエスの誕生物語との間には、多くの共通点が見られます。天使によるお告げがあること、お告げを受ける者が恐れを感じること、恐れることはないという言葉、いわゆる受胎告知、そして命名です。反対に、相違点もあります。ヨハネが生まれるのは祭司の夫妻の間のことで、彼らの社会的な地位は低くなかった一方で、イエスが生まれたのは、マリア自身が語っているところによると、「身分の低い」、「はしため」でした。また、告知を受けたザカリアは「恐怖を感じた」と明記されていますが、マリアは「戸惑い」、「考え込んだ」とあります。ザカリアは、結局のところ天使ガブリエルの言葉を素直に受け入れられず、しるしを求め、誕生・命名まで口がきけなくされてしまいます。他方でマリアは、天使の告げる言葉を受け入れていきます。

★ ルカがこのような形で、二つのエピソードを並べているのは、イエスとヨハネを対比し、イエスがヨハネにまさる存在であることを暗示しようとしている、と言われています。告知の時点で、マリアが従順に神様の言葉を受け入れていくのに対し、ザカリアは疑いを捨てることが出来ませんでした。その後、マリアとエリサベト、二人が告知を受けてから出会う場面では、「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった」と記されています。このような形で、イエスとヨハネの位置付けを、その誕生の時点にまでさかのぼって定めようとする意図を見て取ることができます。

★ これらの物語の中には、「恐れ」ということが、いずれの場合にも含まれています。喜ばしい出来事について告げられているにもかかわらずです。どうしてなのか、少し考えてみますと、わたしたちの場合でも、ある程度予想のつく範囲内のことであれば、思いがけない小さなよい知らせを、サプライズとして、多少の驚きはありながらも、素直に受け取ることができるのではないでしょうか。ですけれども、たとえば、宝くじで一億円が当たったから取りに来なさい、などと言われますと、これは詐欺かもしれません。たとえ本当のことであったとしても、疑いを差し挟まずにはいられませんよね。証拠を見せてください、ということになります。もともと望んでいながらも、あまりにもその望みが大きすぎる時は、それがかなうということになると、どこか怖気づいてしまうものです。ザカリアやマリアの場合も、恐らくそうだったでしょう。

★ だからこそ、天使ガブリエルは、二人に「恐れるな」、「恐れることはない」と語りかけました。実は、この言葉は、旧約聖書の中で、神様の救いのはじまりを告げる言葉でもあるのです。調べてみますと、イザヤやエレミヤなどの預言者たちが、困難の只中にあるイスラエルの人々に対して、やがて神様の救いがやって来るから、だから、「恐れることはない」よと語りかけています。ルカもまた、このような語りのパターンを用いることによって、救いの出来事が、それも決定的な救いの出来事がはじまっていくということを伝えようとしているのです。

★ それでも、たとえこのようなことが分かっていたとしても、素直に受け止めることができないのが、人の常というものでしょう。どうしても、証拠がほしくなるものです。ザカリアとマリアを分けた、この素直さ、従順さは、どこから来ているのでしょうか。申命記の10章12節を見ますと、「神が求められること」という小見出しが付けられています。それはちょうど、律法の再授与の場面にあたります。モーセは、神様が求められていることとして、次のように語っています。「イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか」。

★ ここでモーセは、やはり畏れることも必要であると述べています。あらゆる意味で、恐れは人間の基本的な感情ですから、これを抑えることはできません。だからこそ、そんな恐れの気持ちに対して、「恐れるな」という語り掛けがなされるわけです。でも、それだけではいけない、ということではないでしょうか。モーセは、恐れることだけではなくて、神様を愛すること、そして従っていくことをも勧めているからです。このことは、少し言い換えれば、神様の愛に対して、愛をもって応えていくこと、とも言えるのではないでしょうか。神様の愛が出発点なのだとしたら、その神様を愛する気持ちをもっていれば、それが素直な態度や言葉につながっていきます。もし、神様の愛を受けるのだとしても、そこに愛をもって応える気持ちがなく、心が驚きや恐怖に支配されていたのだとしたら、柔らかな態度や言葉は生じてきません。恐れのみならず、愛することもまた、同時に必要なものであるはずなのです。

★ クリスマスが間近に迫っているこの時も、わたしたちもまた、わたしたち自身の様々な恐れや悩み、不安にさいなまれて、神様の愛を愛として素直に受け止めることができず、ただおびえてしまうところがあります。ですが、そんな時だからこそ、恐れのために小さくなってしまっている自分のことを見つめ直して、「恐れるな」というメッセージをしっかりと受け止め、いつも想像を超える形で働く、神様が示してくださる愛を見過ごすことなく、応えていこうとする心を大切にしていきたいと思います。

2022年12月25日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2022年12月25日(日)午前10時30分
降誕節第1主日・クリスマス礼拝
於:栄光館ファウラーチャペル
説 教:「今日、イエス来たり給う」
               牧師 菅根信彦
聖 書:ルカによる福音書2章1〜14節
招 詞:ヨハネによる福音書3章16節
讃美歌:24,255(1・2・4節),262(1・2・3節),
    510(1・4節),524(1・2節),91(1節)
◎聖餐式、洗礼式、転入会式を行います。
◎聖歌隊による「ハレルヤ」コーラスが行われます。

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://www.doshishachurch.jp/home/weekly

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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