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2022年8月7日(日)の説教要旨 [説教要旨]

エレミヤ書3章19~4章4節 「主に立ち帰る」 菅根信彦

★ ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂(伊: Cappella Sistina)は、サン・ピエトロ大聖堂の北隣に位置する建物で、そこには、ルネッサンス時代の最盛期を代表する芸術家たちが描いた数々の装飾絵画があり世界的に有名な礼拝堂です。とくにローマ教皇ユリウス2世の注文でミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画は、旧約聖書の「天地創造」から「ノアの洪水」までの物語を描いたフレスコ画です。天上中央のラインに人類の創造と堕落と刑罰が描かれ、さらに、天井の両脇には旧約の預言者と異教の巫女が描かれています。預言者ダニエル、イザヤ、ゼカリヤ、ヨエル、エゼキエル、ヨナ、そしてエレミヤの7人の旧約聖書の預言者が天井画に描かれています。

★ その天井画の中で、「預言者エレミヤ」は極めて印象的に描かれています。ミケランジェロは、白髭交じりで、髭も長く白く、右手で口元を塞ぐようにして目を伏せて、うな垂れて下を向くエレミヤ像を描いています。沈思黙考している姿で表現されています。エレミヤの生涯が示すように、余りにも深い嘆きの経験を重ねていったことからこのようなポーズをとらせたのだろうと言われています。このミケランジェロが描くエレミヤ像こそが、南ユダ王国が滅亡へと向かう時代の中で、神から託された言葉を民衆に語り続けたエレミヤの苦悩の人生を示しています。

★ エレミヤが預言者として神の呼びかけを受けたのは「ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世第13年であった」(1章2節)と記されています。紀元前627年の頃でした。この時代は、古代イスラエルを含めて、西アジア・中東地域の古代オリエント世界全体が激動する時代と重なり合います。北イスラエルを滅亡させた北方の大国「アッシリア帝国」が分裂し、「新バビロニア帝国」や「メディア王国」が形成される時代、大国が滅亡・勃興する激動の時代にエレミヤは「諸国民の預言者」として立てられていきます。エレミヤはまさに「神の御旨」とオリエント世界が激動する「歴史状況」との狭間で、神の想いと現実社会との軋みを一身に受けた「苦悩する預言者」であったようです。

★ 本日の聖書個所であるエレミヤ書の3章19節以降は、預言者として立たされたエレミヤの「初期の預言」(2~6章)の言葉です。この初期のエレミヤの預言の内容は、エレミヤより100年ほど溯る北イスラエル王国の預言者ホセアの語った内容を受け継いでいると言われています。カナンの地にあった「農耕の神バアル」へと傾斜していったイスラエルの民に対して偶像崇拝に警鐘を鳴らしたのが預言者ホセアでした。このバアルの神は、土地や生産力を求めて働く農耕民であるカナン人の信仰の対象でした。「多産の神」「豊穣の神」としての自然宗教的な神であり、いわゆる「習俗的な宗教」としての神々の一つでした。エレミヤはホセア同様にバアル礼拝に向かう民衆に対して、ヤーウェの神に立ち戻ることを強く訴え続けていきます。それは、「習俗化した信仰体系」から「神と人との人格的応答的信仰体系」に戻ることを指していました。出エジプトの出来事やシナイ山での契約を交わす物語のように、また、神の言葉を信じてアブラハムがまだ見ぬ約束の地を目指して旅立っていく物語のように、先ず神の言葉と招きがあり、その働きかけに対してイスラエルの民が応え選び取るという、この人格的応答関係こそが聖書の示す神への信仰体系でした。確かに、人格的応答関係は一つの決断を伴う故に、必ず自己の在り様が問われていきます。エレミヤは単なる習俗化したバアルの神への信仰体系と真っ向から対決するのです。その言葉が「立ち帰れ」(3章22節)という言葉です。

★ 「立ち帰れ」の「帰る」は「シューブ」といいます。悔い改めや回心を表す言葉です。自分の中にある頑なな心が砕かれて、神を愛する心が生まれるような転換を言います。心の底まで変わるとの意味です。深いところでの「イスラエルの民」と「神との関わり」を根本的に改善する言葉が「シューブ」です。さらに、エレミヤは「あなたたちの耕作地を開拓せよ」(4章3節後半)と語ります。以前の口語訳聖書では「新田を耕せ」と訳されていたところです。ここでエレミヤは本心に「立ち帰る」こと、心の奥底まで変えていくこと、生き方が変わることは、まさに「自分の心を掘り返すように、自分の心の耕作地を耕していくことである」ように促しています。ただ神から賜る恵みとしての信仰に生き直せとエレミヤは自分の命を賭けて語っています。

★ さて、私たちはどのようにこの「立ち帰れ」「新田を耕せ」とのエレミヤの言葉を聞くのでしょうか。本日8月第一主日は、日本基督教団では「平和聖日」として設定されています。私たちは、今年の8月15日で敗戦後77年目を迎えます。77年というのは、1868年の明治維新から1945年の敗戦までが77年。そして、アジア太平洋戦争後から今日までが77年。その意味では国の形成の分岐点に当たります。教団は、「戦争責任告白」(1967年)で表明したように、アジア・太平洋戦争下、預言者的働きをせずに、戦争協力をした歴史を反省し、二度と戦争による惨禍が起こらないように平和を祈り求める主日としてこの日を制定しました。それこそ、戦前の絶対的な天皇制の支配の中で、思想・良心・信教の自由も制限され、国家神道という巨大な習俗化された疑似宗教の中にキリスト教信仰も組み入れられていきました。それこそ、エレミヤの時代のバアルの神に傾斜していった状況と重なり合うものでした。しかも、それは単に過去の問題ではなく、今日においても、私たちの周りには習俗化した宗教や儀式は沢山あります。また、旧統一協会のような霊感商法・マインドコントロールで多額の寄付を強要する宗教が政治利用されるような現状があります。日本の多重な宗教環境は歪な状況です。その中で「立ち帰れ」との言葉が強く響いてきます。

★ しかも、エレミヤはただ「立ち帰れ」と悔い改めを求めるだけでなく、「私は背いたあなた方をいやす」(3章22節)と赦しの招きを加えて、神の思いを伝えています。エレミヤは大きな神の赦しの恵みの中でこそ、初めて自分の奥底までの「悔い改め」ができること、「自分の心を耕していくこと」ができると明らかにしています。しかも、私たちにはイエス・キリストの十字架によって示された神の絶対的な恵みが与えられています。その神の恵みの上に私たち全ての人間存在の基盤があることを覚えて行きたいと思います。神ならぬ神を求めたり、崩れない自我に固執したりするのではなく、常に「主に立ち帰り」、「心を新たにするような」営みを続けて行きたいと思います。

2022年8月21日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2022年8月21日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第12主日
於:栄光館ファウラーチャペル
説 教:「時代への眺望」
              牧師 菅根信彦
聖 書:エレミヤ書6章16〜21節
招 詞:コロサイの信徒への手紙3章14〜15節
讃美歌:24,205(1・3・4・5節),551(1・2・4節),91(1節)

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://www.doshishachurch.jp/home/weekly

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
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※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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