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2022年5月8日(日)の説教要旨 [説教要旨]

ヨハネによる福音書21章15~19節 「主の赦しなくば」 菅根信彦

★ 今日は「母の日」です。日本基督教団の教会暦でも設定されている記念日です。「母の日」は1907年5月10日にウエスト・バージニア州の日曜学校の教師をしていたアンナ・ジャービスが、亡くなった母を記念して教会に白いカーネーションを贈り飾ったことから始まります。「母の愛」は「神の愛」の相似形であると言われていますが、本日は母だけとは言わず、養育者の働きを通して示される神の「無償の愛」、イエスの「十字架の執り成し」を覚えながら礼拝を守りたいと存じます。

★ さて、イエスの死後、第一使徒として位置づけられていくシモン・ペトロ。彼はベトサイダの出身の漁師。イエスの招きを受けて、「最初の弟子」となった人です。フィリポ・カイサリア地方で、イエスを「メシア(キリスト)」と告白し、イエスに従っていく覚悟を表明します。しかし、エルサレムでのイエス逮捕に当って、鶏が鳴く前三度「イエスを知らない」とイエスを否認する大きな躓きを負ってしてしまう人物です。福音書では「剛毅で一途な人」、「直情的で人間的な脆さをもつ人」として描かれています。いわゆる、強さと弱さの両面、「両義的な要素」をもつ存在として描かれています。私は聖書の登場人物の中で、最も愛すべき人物の一人だと思っています。なぜなら、人はそう強い存在ではないからです。

★ イエスの復活の出来事を経験した後、ペトロはヨハネ福音書21章15節・16節・17節の3回にわたり、イエスに「わたしの羊を飼いなさい」との命令を受けます。このイエスの招きの言葉のように、ペトロはイエスの兄弟ヤコブ同様に成立間もない初代教会(原始教会)の重要な指導者となっていきます。ペトロはパウロの行った異邦人伝道にも理解と支持を示し、ユダヤ主義的なエルサレム教会と異邦人伝道の拠点となったアンテオケア教会を始めとする異邦人教会との掛け橋となる働きを担っていきます。晩年、ローマに滞在中の紀元64年頃、ローマ皇帝ネロによるキリスト教徒迫害の際に、殉教の死を遂げたと言われています。ローマ・カトリック教会ではこのペテロが初代教皇として位置づけられています。

★ 今日の「イエスとペトロの物語」はペトロの生涯の内、いわば、人生の後半部分との関係が示されている個所です。その中に「あなたは、若い時」(18節)との記述のように、ペトロは言葉にせよ、行動にせよ、信仰にせよ、自由気ままに生きていた、そんな人生前半の在り方が先ず語られています。しかし、「年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯びを締められ、行きたくないところに連れて行かれる」とイエスの言葉が続きます。まさに、ペトロの後半人生を示すかのようです。特に「両手を伸ばし」は十字架刑を意味する言葉です。ペトロの殉教を暗示しています。

★ しかも、ペトロへの派遣命令の前に、イエスは「ヨハネの子シモン、わたしを愛するか」と三度問いかけています。この三度の「愛するか」との問いは、明らかにペトロがイエス逮捕後、イエスを三度知らないと否認した出来事に対応していると言われています。その意味からすれば、この個所は、イエスの十字架を前にして躓いた者への再度の招きであるのです。重大な挫折と躓きを経験した者が再び、イエスへの「信頼」の世界を取り戻していく、言わば、「復活の命」に生きることの意味を示した物語となっています。

★ しかし、このイエスの赦しを伴う招きの中には、ある種の厳しい要素も含まれています。イエスはペトロに対して「この人たち以上に愛するか」と尋ねています。これは単なる比較ではなく「この世の他のもの、何人にも勝って本当にわたしを愛するか」との主体をかける問いとなっています。特に、三回目の最後の問いかけの「愛するか」は、「フィレイス」というギリシア語が用いられています。どちらかと言えば「わたしが好きか」と言う意味合いを込めて尋ねているのです。「愛する(アガパース)」ことと「好き」は、同種の意味を持って使われることがありますが、「好きか」との言葉の背後には、告白や信条やドグマのような形式化されたイエスへの思いを越えた、イエスの「人格」や「人間性」、「イエスの生き方」、「振舞い」、「語り口」、そのイエスへの「親密さ」「思い」全てが含まれているのではないでしょうか。

★ 明治の後半から昭和の初期まで(1898年~1927年)の間、29歳の短い生涯を送ったクリスチャン詩人に八木重吉という人がいます。師範学校の教師で茅ヶ崎で結核で亡くなるまで2000余りの詩を残しています。『聖書』という作品があります。八木重吉はそこで「・・・今、私は聖書に就いて言いたいことはあんまり多すぎて、取り止めがありません。何を言っていいかわから位です。しかし、つまりは自分の気持ちは一つです。イエスは好きだ。世界中で一番好きだいうことです。好きだから、イエスの言ったことにもはや嘘はあるまいと思う。もしかりに嘘があってもかまわないと思うのです」と語っています。彼にとって、イエスに対して「信じる」「愛する」ではなく「好き」という言葉が、イエスに対する純粋な信仰を言い表す適当な言葉であったのでしょう。

★ 一番大事な時にイエスを三度裏切っていった大きな躓きをしたペトロに、復活したイエスはそのあなたの弱さを十分に分かっているように、「わたしを好きか」と語りかけます。それは、イエスによる深い赦しの言葉であったのです。その執り成しを受けたペトロは、イエスの宣教命令に「はい」と答えます。彼の胸中には選ばれた者という自負があったのではなく、この挫折せる者になお招きがあるとの思いを強くしたはずです。イエスの招きの中にある赦しと慰めを信じつつ、主に託された使命に生きる者でありたいと思います。

2022年5月22日(日)の主日礼拝  [主日礼拝のご案内]

2022年5月22日(日)午前10時30分
復活節第6主日礼拝
於:静和館4階ホール
説 教:「喜びで満たされる」
             伝道師 大垣友行
聖 書:ヨハネによる福音書16章12〜24節
招 詞:詩編104編29〜30節
讃美歌:24,338(1・2節),403(1・2節),91(1節)

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://www.doshishachurch.jp/home/weekly

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
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※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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