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2021年7月18日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2021年7月18日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第9主日
説 教:「焼き物師の本分」
牧師 望月修治
聖 書:ローマの信徒への手紙9章19〜28節
招 詞:創世記21章17〜18節
讃美歌:28、156(1・2節)、403(1・2節)、
    524(1・2節)、91(1節)
礼拝場所:栄光館ファウラーチャペル
◎聖餐式を行います。

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

2021年7月11日(日)の説教要旨 [説教要旨]

ヨハネによる福音書 19章38~42節 「ニコデモに思う」 工藤弘志      

◆ ニコデモはファリサイ派の律法学者。その立場上、ナザレのイエスに強く引かれながら、それを表に出すことができなかった。日本の隠れキリシタンに似たところがあったようです。

◆ ところで、アリマタヤのヨセフもニコデモも、生前のイエスと何の関係もなかったのに、先ほど司式者にお読みいただきましたように、この二人がイエスの遺体の引き取りを申し出たという。許可を得て、墓に埋葬したと福音書にあります。不思議な光景です。

◆ といいますのも、当時の犯罪者、とくに十字架刑に処せられた極悪人の死体は、昔の日本の「打ち首獄門」と同じで、処刑後は見せしめに、さらしものにするわけですから、遺体の引き取りは許されませんでした。「ゴルゴタ」の丘とは「されこうべ(髑髏)」の丘という意味で、エルサレムを囲む壁の外にあった処刑場のことですが、弟子たちはさっさと逃げてしまって、近寄ろうともしなかった。ほんの数人の女性たちを除けば、そこには誰もいなかったという。

◆ 処刑後の、シーンと静まり返った、人気のない寂しいゴルゴタの丘に駆けつけたのは、なんとユダヤ最高議会(サンヘドリン)の、二人の議員だったとあります。

◆ その一人であるニコデモは金持ちで、ファリサイ派の律法学者でした。ある日、イエスに会いたくなった。しかし世間の目がある。そこである夜、人目を避けてイエスのもとを訪れたニコデモは、「新しく生まれるとは、どういうことでしょうか」とイエスに質問していますが、いかに生きるかと悩む人だった。それに答えてイエスが、「風は、思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も、皆そのとおりである」(3:8)と、言われた。

◆ 「風は思いのままに吹く」。風、すなわち霊から生まれた人間もまた、同じように自由に生きるのだと、イエスはお話になった。このひと言が律法学者であったニコデモの心に、突き刺さったのではないでしょうか。

◆ ニコデモが二回目に、ヨハネ福音書に現れるのは7章です。ここではニコデモがイエスを弁護するシーンなのですが、祭司長やファリサイ派の人々が、イエスのことを、「まともな人間なら、あんな男を信じる奴はおらん」と、悪しざまに罵ったときのことです。

◆ ニコデモは待ったをかけた。7章の51節にありますが、「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか」と。しかし彼らは「アホなことを言うな。お前もガリラヤ出身か」。「ガリラヤから、まともな預言者が出るとでも思っているのか」と言って、ニコデモを相手にもしなかったと、記されています。

◆ そして三回目の登場が今日、お読みいただいたゴルゴタの丘の場面です。イエスが処刑された直後、ニコデモは駆けつけた。そしてアリマタヤのヨセフと一緒に、イエスの遺体を埋葬するんですが、その時ニコデモは、没薬と沈香をまぜた、いい香りのする香料を百リトラも運んできたという。百リトラはキロでいえば、30キロ以上の重さになります。そんな重いものを、どうやって、墓まで運んできたのか。

◆ ニコデモが運んできたのは、百年も働かねば手に入らないような高価なものです。それだけにニコデモの、イエスの死を悲しむ気持ちの強さ、深さが伝わってまいります。自ら進んで、「私はイエスの信奉者です」と、人前で言ったという記述はありませんが、イエスその人に寄せる想いの深さが伝わってくる場面です。それなのに、その後の歴史はまことに皮肉です。キリスト教は、怖がって逃げたペテロを、初代ローマ教皇の座に座らせて、反対に世間体を気にもせず、イエスの死体を埋葬したニコデモのことは、軽蔑するようになってしまいました。

◆ 今から五百年前の宗教改革の頃ですが、ニコデモという名前は、「二枚舌を使う男」という意味で使われていました。一種の流行語でした。プロテスタントに共感する人々が続出するんですが、しかし実際には、カトリックを捨てて、プロテスタントに鞍替えする人は、余りいなかったとも言われています。そのために宗教改革者のカルヴァンは苛立っていたそうで、そういう煮え切らない連中に対して「お前たちは、ニコデモか」と言って、軽蔑した。英語でもそういう態度を、ニコデミズムといいます。ニコデミズムとは、「へっぴり腰」という意味です。

◆ ところで、私事で恐縮ですが、私の父は戦後間もないころに、北海道の大雪山の麓の村で、時々どこからかやって来る救世軍の集まりに、中学生の私を連れて行った。我が家には仏壇もなければ、神棚もなかった。皇居や二重橋の写真も、天皇陛下、皇后陛下の写真もなかった。友達の家には必ずあるものが、うちにはなかった。何となく変だなあと思っていたのですが、まさかそれが、父がクリスチャンのせいだったとは、ずーっと後で、知ったことでした。

◆ 戦時中は東京にいました。父は軍服をつくる軍需工場の検閲課長だった。帰りがけはパラパラ降ってくる焼夷弾を避けながら、命がけで帰って来ることも、よくあったそうで、そんな戦争のさなかに、父はホーリネスの教会で、洗礼を受けていますが、ホーリネスは当時の教団の中ではただ一つ、軍部から弾圧の集中砲火を浴びた教派です。

◆ 同志社系の組合派も、その他の教派も、そんなホーリネスのことはみんな知らんぷりでした。それどころか当時、東京のある神学者は、法廷の証言台に立って、「ホーリネスは、国家転覆をねらう危険な集団である」と証言して、仲間であるはずのクリスチャンを、国家権力に売り渡すという有様でした。その時の法廷における証言の一字一句が、記録に残っております。その膨大な記録を、むかし同志社大学の人文研の資料室で、初めて読んだ時は愕然としました。消すことの出来ない過去です。

◆ ニコデモという人の生き方を見ていると、いろんなことを考えさせられます。ニコデモは、すべてをかなぐり捨てて、イエスの弟子になるというような過激な行動、あるいは自殺行為に繋がるようなことはしなかった。一方では、ユダヤ教のファリサイ派に属していた律法学者ですが、イエスの教えに、激しく、強く心惹かれるものがあった。貧しい人々だけを吸い寄せたわけではない。イエスの教えは、ニコデモのような立場の人の、心の琴線にも触れるものがあった。イエスの言葉には思いの外、人の心の深いところまで、届く力があったのではないかと思います。

◆ ニコデモのような生き方をもフワッと受けとめて、「そういう人生もありますよ」と、そう言って下さるイエスの声が、ニコデモの耳に、聞こえていたのではないでしょうか。

◆ 「風が思いのままに吹くように、自由に生きよ」というイエスの教え。それは慰めの声であり、励ましの声でもあったのではないでしょうか。

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