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2021年7月11日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2021年7月11日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第8主日
説 教:「ニコデモに思う」
牧師 工藤弘志

聖 書: ヨハネによる福音書19章38-42節
招 詞: ヨハネによる福音書3章19-21節
讃美歌: 27, 521(1・2節), 288(1・5節), 91(1節)
礼拝場所:栄光館ファウラーチャペル

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※上記のフォームへの申し込みは、1回のみで構いません。
※各学校で配布されているメールアドレスでは、セキュリティー的にこちら側からのメールをお送りできない場合があります。そのため、gmail、yahoo mail、などのメールアドレスをお送りくださりますと助かります。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まりますので、視聴の準備をして礼拝のはじまりをお待ちください。
※可能であれば、お手元に聖書・讃美歌集を用意して礼拝にご参加ください。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

2021年7月4日(日)の説教要旨 [説教要旨]

テモテへの手紙Ⅰ 2章1〜8節 「すべての人々のために」 髙田 太

◆ 聖書日課に従って第一テモテ書の言葉が与えられた。難しい聖書箇所である。「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」とあるからだ。いやそれだけならいいが、そこに「王たちやすべての高官のためにもささげなさい」と続く。日本であれば天皇のために祈るべきか、高官との類比で総理大臣やその他の大臣などのために祈るべきかという問題がでてくる。

◆ 権力者が問題になっているが、今回、お金持ちはどうなんだろうと考えさせられた。Amazonの創業者で世界長者番付1位の、つまり大金持ちのジェフ・ペゾスという人が宇宙に行くのだという。ペゾス氏が宇宙に行ったなら、もう宇宙から戻ってくるなという署名活動がなされて、十数万人がそれに署名していると報じられていた。そういう億万長者のために祈るべきだろうか。

◆ どう聖書を読んだらよいのか。答えは簡単で、この手紙の著者は特定の歴史的状況において特定の意図を持ってこれを主張しているのだが、それが今そのまま通用するわけではないし、聖書に書いてあるからわたしたちがそうすべきだとは言えないということである。これは聖書を文字通りに信じ、聖書に描かれた倫理や生き方が今日もそのまま規範となるべきだとする原理主義を退けるものになる。

◆ なぜそうせねばならないか。それはおかしいことが書いてあるからだ。本日の箇所の最後のところには「男は清い手を上げて祈れ」とあった。その後に、「同様に」として、女は静かに従順に学ぶべきだし、教えたり男の上に立ったりするのを許さないと続く。その理由として、アダムが先に作られたからだし、女がだまされて先に罪を犯したからだと説明する。この書の著者は聖書を利用して自らの教えを正当化している。そうして15節、「女は信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば子を産むことによって救われる」と言うのである。言葉を失う。

◆ この手紙はパウロが書いたという体裁をとって、別のものによって書かれたとされている。その人はどういう仕方でか、パウロをよく知っていた。著者は実にパウロ的な考えとしてこの女性蔑視の思想と倫理を描いている。女性蔑視の思想や権力者に阿る思想が気に入らない人々は、パウロやパウロ系のこうした教えに厳しい批判を向けてきた。聖書にこういうことが書いてあるかぎり差別はなくならない。だから聖書もキリスト教もなくならねばならないと主張しておられた牧師もいた。しかし、キリスト教や教会が健全に存在し続けて、歴史や認識の進展と共に、正しいというと語弊があるが、比較的正しく健全な聖書の読み方を探求して、これを世代を超えて保っていくことが必要ではないか。それが聖書という宝を神から託された教会の役割ではないか。

◆ さて、テモテ書の女性蔑視の思想に批判を向けるこうした価値観、現代的認識は、2015年の国連総会で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記された「持続可能な開発目標」、通称SDGsにも示されている。SDGsは17の目標からなっている。その5つ目は「ジェンダー平等」で、これは性別・性差によらない平等を実現しようということで、テモテ書の姿勢の否定となっている。また、4つ目は「質の高い教育をみんなに」で、男女の隔てなくすべての人がよい教育を受けられるようにすることが目標とされており、これもテモテ書の姿勢を否定する。

◆ 現代の視点や認識からテモテ書の主張が退けられるべきだということについてはこれで十分だが、その他の目標もみておきたい。17の目標が「すべての人々」に関わるものだからである。まず、2030年までに世界が達成すべき目標の1つ目は貧困を無くすこと、2つ目は飢餓をゼロにすることになっている。そして3つ目が「人々に保健と福祉を」。すべての人に貧しさは不要であり、そして誰も飢えて死ぬ必要はない、また、すべての人は健康である方がよいという価値観が表現されている。そうして4つ目に来るのが先述の質の高い教育、5つ目がジェンダー平等である。いずれも、啓蒙主義や人権思想から出てきた価値観かもしれないが、例えば明治初期の宣教師達が、あるいはキリスト者が担おうとしてきた事柄である。彼らは学校を建て、女学校を建て、病院を建て、貧困や飢餓と向き合った。

◆ 続く6つ目は「安全な水とトイレを世界中に」。綺麗で飲める水があり、衛生的であることが、すべての人々に大事だということである。京都教区でもネパールにトイレを掘りに行くプロジェクトがあった。そうしてみれば、1つ目から6つ目までは教会がかつて取り組んで来たこと、その価値観と重なるところがある。これらが「すべての人々」において達成されるべきだという信念が教会を動かしてきたはずである。

◆ 7つ目に来るのが「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」。クリーンなエネルギーをすべての人が安価に用いられることが大事である。8つ目は「働きがいも、経済成長も」。すべての人は働かねばならず、またそこに働きがいを見出すべきで、それが経済成長を促さねばならない。また同時に資本主義を肯定して人類は成長を続けなくてはならない。9つ目に「産業と技術革新の基礎をつくろう」。技術とイノベーションが生活を豊かにして貧困や飢餓をなくす。そのためのインフラストラクチャーには価値があるということである。テクノロジーがすべての人々を豊かにして、ここまでの目標の達成に寄与するという判断と価値観がある。このあたりから教会の手を離れていく感じがする。

◆ 10個目の目標は不平等の是正である。差別の撤廃が含まれている。なおその説明には「年齢、性別、障がい、人種、民族、出自、宗教、あるいは経済的地位その他の状況にかかわりなく」とある。これもよいことに思われるが、宗教が相対化されているところが少し気になる。11番目は「住み続けられる町づくりを」となっている。すべての人がよい住環境をもち、弱い立場の人々も安全に暮らせる街作りが求められ、文化遺産や自然遺産の保全がここに含まれる。教会や神社仏閣は文化遺産として、すべての人のために文化的多様性を表すよい町作りに寄与できるかもしれない。

◆ そうして12番目は責任ある消費と生産、13番目は気候変動への対応、14番「海の豊かさを守ろう」、15番目は「陸の豊かさも守ろう」、16番目が「平和と公正をすべての人に」、そして最後の17番目が「パートナーシップで目標を達成しよう」となっている。

◆ では、そのような社会や世界の動きにキリスト教は、あるいは教会はどう関わっていったらよいか。このような世界においてどういう役割を果たしていくことができるのか。同志社教会として教育に携わって行くべきは当然だろうが、しかしかつて教会がそれを担い、そのことで教会が社会の信頼を得、人を惹きつけ、キリスト者が誇りを感じることもできた領域は、いわば世俗化されて、宗教を離れた世界の、「すべての人々」の目標となっているようにも思われる。

◆ そうした目標を達成するために経済成長やイノベーションが必要だとするなら、わたしたちはそのためにも祈らねばならないだろうか。イノベーションとインフラストラクチャーによってこうして礼拝をライブ配信して共に恵みに与ることもできている。とはいえ、わたしたちは資本家や億万長者のために祈るべきだろうか、という問いは変わらず突き付けられているだろう。簡単には答えの出ないさまざまなことを考えさせられる。そして、教会が持続可能なコミュニティーとして存続するためには何が必要だろうか。共々にこうした問題に向き合っていくことができたらと願う。

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