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2021年3月7日(日)説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2021.3.7 マタイによる福音書16:13-28 「岩の上の教会」   望月修治

◆ 東日本大震災から10年目の3月11日を迎えます。10年前の津波で、当時12歳、小学校6年生であった長女小晴さんを亡くした平塚真一郎さんがテレビのインタービューに応えておられました。「10年を節目だと言われるが、家族を亡くした者にとって節目などないのです」と語られた言葉が心に刺さりました。悲しみや辛さとどう向き合うのか、どのような折り合いのつけ方があるのか。聖書は見つめ、向き合うことを示し続けます。神は悲しみや辛さをよけるのではなく、忘れるのでもなく、見つめさせ、向き合わせる、そしてその一人ひとりに寄り添う、一緒に悲しみや辛さを引き受ける方なのだと語ります。そのことを聖書は「十字架を背負う」という言葉で語ります。イエスの生涯を物語る福音書にはいずれもイエスの受難と十字架の死という極限の苦しみと痛みが詳しく書かれています。イエス自身の受難だけではありません。今日の箇所には弟子たちにも自分の十字架を背負えと述べられています。わたしについて来たいと思うのなら、自分を捨て、自分の十字架を背負ってついて来なさいとイエスが語ったと記されています。

◆ 「十字架を背負う」ということから、二つのことを思います。一つはイエスが背負った十字架です。イエスが十字架を背負うとはどういうことか。
 星野富弘さんの初めての詩画集「風の旅」の中に、なずなの絵にそえて詩が記されています。「神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/母の肩をたたかせてもらおう/風に揺れるぺんぺん草の/実を見ていたら/そんな日が本当に/来るような気がした」星野さんは詩画集「いのちより大切なもの」の中に、この詩を再録され、そしてこの詩に込めた思いを綴っておられます。この詩に歌われているのは、大けがをして入院した星野さんをひたすらに介護してくれた母への深い思いです。1970年6月、中学校の体育教師になって間もなく、星野さんは放課後のクラブ活動で空中回転の指導中、誤って頭部から落下、頸髄を損傷し、手足の自由を奪われました。24歳のときです。入院し、人口呼吸器につながれ、高熱にうなされていた時、「わが身を切り刻んででも生きる力を富弘の体の中に送り込みたい」と思ったと、お母さんはあとで星野さんに語られたといいます。その母の肩を、「神様がたった一度だけ/この腕を動かして下さるとしたら/たたかせてもらおう」と星野さんは詩に歌い、そしてこう記しておられます。「私は、それほどの愛に応えるすべをもっておらず、何も言うことができませんでした。」イエスが十字架を背負われた、それは文字通り「わが身を刻んで生きる力を人に送り込んだ」ということです。しかし私たちはそれほどの愛にこたえるすべをもってはいません。

◆「十字架を背負う」ことのもう一つは、私たちが背負う十字架です。私たちが自分の十字架を背負う」とはどういうことか。私たちに十字架が背負えるのか。イエスという人は、自分が十字架を背負ったのだから、あなたも同じように背負って血を流して私に従えと言われる人なのでしょうか。自分の十字架、それは自分の破れであり、至らなさであり、弱さであり、苦しみです。そしてそれを背負うということは自分の破れ、至らなさ、弱さを自覚し、苦しみを味わうということでしょう。つらい思いを味わいます。そのような苦行がイエスに従う道なのか。

◆ イエスが十字架を背負ったということと、私たちに十字架を背負ってついてきなさいと言われることとは、その意味が異なっているのではないか。もう少し星野富弘さんの詩画集の旅を続けます。「神さまが私たちに贈ってくださる幸せのほとんどは、最初からいい顔をしては近づいてこない。むしろ私たちにとって、拒みたくなるような姿でやってくる」と星野さんは語っておられます。脊椎を損傷し、手足の自由を失っての入院生活は9年間に及びました。その期間、「あれがなかったら俺の人生は違っていた」と何度も思い出した。あの日、1970年6月24日、生徒たちの前で宙返りをしなければよかった、いや器械体操などしなければよかったのだ、大学の入試に落ちていればよかった、むしろ病弱であればよかった、と過去を遡って後悔を繰り返しました。いやいっそのこと生まれてこなければよかった、来る日も来る日も病室の天井を見上げ、後悔を繰り返していつも行き着くのはその思いでした。人間にとっていちばんの苦しみは「今が苦しい」ということよりも、この苦しみがいつまでも続くのではないかと不安になることです。「その時の私は、先行きが見えない日々に心が疲れきっていたのです。最新の医療でも治せなかった自分の身体、助けてくれる人なんているわけがない、それが正直な気持ちでした」と星野さんは書いておられます。

◆ そのような日々の中で「あの時から、空が変わった」と表現される気付きが訪れます。入院して間もない頃、大学時代の先輩が病室を訪ねてきてくれて「ぼくにできることは、これしかありません」と言って聖書を届けてくれた。しばらくそのままにしていた聖書を、ある日お母さんに開いてもらうと、そこにこう書いてあった。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ福音書11:28) 星野さんがこのマタイ福音書11章のことばに出会ったのは、このときが初めてではありませんでした。高校2年生の春、家の裏の土手に十字架の墓が建ちました。そこには「労する者、重荷を負う者、我に来たれ」と書かれてありました。星野さんの家は農家でした。星野さんは豚小屋から堆肥が入ったかごを背負って坂を上ってきて、この十字架の墓に刻まれた言葉に出会いました。そしてそのときには「このことばは、俺のように重い荷物を背負った人のことだ」と思った。ただどうしても分からなかったのが「我に来たれ」とある「我」とは誰かということでした。それからも時々その十字架の墓のそばを通ったのですが、ずっとそのことを疑問に思っていました。その言葉に病室で再び出会います。そして「我」とはキリストのことであったのかと、気づいたというのです。「あの時から、空が変わった。私は独りではなく、空が、神さまが見ていてくれると思うようになった。満たされた日々の中で、人はなかなか神を感じることはできない。信仰をもった後でさえ、なぜこんなことが起こるのだと、思うことがたくさんあった。でも最近、ほんの少しわかってきたことがある。」 それは「神さまが私たちに贈ってくださる幸せのほとんどは、最初からいい顔をしては近づいてこない。むしろ私たちにとって、拒みたくなるような姿でやってくるのだ」ということだと星野さんは記しておられます。

◆ イエスがわたしたちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われるのは、そうすることではじめて与えられる気付きの体験にひとりひとりをいざないたいと思っておられたからだと思うのです。神が私たちに贈って下さる幸せは、最初からいい顔をしては近づいてこない。星野さんはそのような表現で、十字架を背負ってイエスに従うということの意味を語っておられる。ご自身の闘病と首から下が動かなくなってしまわれたという体験の中から、そしてその中でなお与えられた命を歩み続ける日々の体験のすべてを通して、この不思議な神の働きの深さを語っておられると思いました。わたしたちが自分の十字架を背負うというのは、眉間にしわ寄せてつらい思いをあえて引き受けて生きることに意味があるのではなくて、そういう体験を通して神が私たちに贈って下さる世界に出会うために、その世界を本当に深く味わい、わが命の糧とするためにイエスは自分の十字架を背負ってわたしに従いなさいと語られた方でした。

2021年3月21日(日)主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2021年3月21日(日)
復活前第2主日・受難節第5主日
説 教:「愛の故に」
    牧師 髙田太

聖 書:マタイによる福音書20章20〜28節
招 詞:ローマの信徒への手紙8章1〜2節
讃美歌:25, 3(1節・3節), 469(1節・4節), 91(1節)

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※上記のフォームへの申し込みは、1回のみで構いません。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まりますので、視聴の準備をして礼拝のはじまりをお待ちください。
※可能であれば、お手元に聖書・讃美歌集を用意して礼拝にご参加ください。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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