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2020年11月08日(日)説教要旨   [説教要旨]

説教要旨2020.11.8 創世記13:1-18「争いを起こさず」   望月修治

◆ 創世記12章から、イスラエルの祖先たちが歩んだ歴史物語が記されています。その物語の最初に登場するのはアブラハムです。物語の舞台は紀元前2000年頃の古代オリエント世界です。アブラハムは地味な控えめの人物です。創世記の物語によれば、アブラハムは75歳のときに「わたしの示す地に行きなさい」という神の呼びかけに応えて、妻のサラ、甥のロトなど一族郎党を引き連れて、長く住み慣れたユーフラテス河上流のハランという町を離れ、カナン地方、現在のパレスチナ地方に向かいました。12:9に「アブラハムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った」とあります。約束の地カナンの南の端、ネゲブ地方のベエル・シェバ近くに暮らし始めました。約束の地の一角に住みさえすれば満足だったのだと思います。

◆ この地に遠慮がちに住み始め、これからという時に思わぬ事態が起こります。飢饉です。この土地にきたばかりですから、食糧の備蓄などありません。途方に暮れます。アブラハムは、緊急避難としてエジプトに行くことを決断しました。ただ問題がありました。12章11節でアブラハムが妻に語った言葉が問題の中身を明らかにしています。「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。」 妻サラは大変美しい人であった、そのことがアブラハムを悩ませました。なぜかと言えば、難民の中に美しい女性がいれば、エジプトの役人の目にとまり、女はハーレムに送られ、夫は殺されるか、行方不明となってしまうというのが、日常茶飯事だったからです。そこでアブラハムは妻のサラを妹といつわって、自分の身の安全をはかろうとしました。どう考えてもアブラハムの行為は、身勝手が過ぎると言わざるを得ません。「信仰の父」と呼ばれることになるアブラハムの、思っても見ない一面を見せつけられます。ただサラが妹だというのは、全くの偽りではないのです。アブラハムの父にはもう一人の妻がいて、サラはその子どもであったと20:12に記されているからです。サラは母親の違う妹です。当時は、いろいろな事情で血族結婚が珍しくなかったと言われます。ですから、アブラハムが、妻サラを妹だと言っても必ずしも偽りではありません。しかしだからと言って、アブラハムの行動が正当化されるわけではありません。

◆ 妻サラを妹だと偽ったことから、サラは王宮に召し入れられ、取り返しのつかない事態に至ります。そしてアブラハムは、身代金として、たくさんの羊、牛、ロバなどを手に入れました。しかし報酬としてあてがわれた多くの家畜を見て、アブラハムは腸のちぎれる苦しみを味わったはずです。神はアブラハムに、妻サラによって子供を与える、そして多くの者の祝福の基となる、と約束し、それを信じてハランを旅立ったはずでした。エジプトでのアブラハムは、その祝福の約束を後ろに置き忘れてしまったかのようです。

◆ 取り返しがつかない事態、これが思いがけない形で打開されるのです。エジプトに激しい飢饉が起こり、病気も流行し、王の家でも感染して病気におかされる者が続出しました。王がその原因を調べると、それは王がサラを妻として宮殿に迎え入れたからだと判明したというのです。そこで王はアブラハムを呼び寄せて、なぜサラを妹だと偽ったのかと責め、彼女をアブラハムのもとに戻したというのです。本来なら、捕えられて罰せられても当然と言える状況であったにもかかわらず、アブラハムは妻サラとともにエジプトの地を離れることを認められました。

◆ アブラハム夫妻の悪夢のようなエジプト滞在が終わりました。アブラハムは再びカナンに戻ったのです。13章にはカナンの地にもどったアブラハムとサラに起こった「苦い別れ」の物語が記されています。別れの理由は財産でした。エジプトであてがわれた多くの富を手にしていました。多くの財産を手にしていたのはアブラハムだけではありません。甥のロトも多くの羊や牛を所有して一族の一方の旗頭になっていました。家畜が増えれば、養うための牧草地と水も多くを必要とするようになります。早速に問題が起こりました。アブラハムの家畜を飼う者たちと、甥のロトの家畜を飼う者との間で争いが起きたのです。それは一時な感情のもつれではなく、家畜が増えたことで、限られた土地に共に暮らすことが難しくなったのです。そこで二人は合議のすえ、それぞれ別の土地に分かれて住むことにしました。一種の協議別居です。

◆ ただしかし、驚かされることがあります。そのときにアブラハムが甥のロトに提示した別れの条件の内容です。アブラハムは家長ですから、一切の選択権はまずアブラハムに優先的に与えられ、ロトはそのあとというのが順序です。ところがアブラハムはまずロトに選択権を与え、一番よいと思う土地を選ばせ、自分は残った土地でよいというのです。牧畜を生業とする者にとって、牧草地の善し悪しは家畜の成育に大きく影響しますから、そのためにどの土地を選ぶかはいわば死活問題のはずです。ロトは叔父アブラハムからの土地選びの条件を示されて、高いところから周囲を見回しました。結論ははっきりしていました。東にはヨルダン川が豊かな水量をたたえて流れ、その岸辺には肥沃な土地が広がっていました。そこに住むことが出来れば繁栄と成功が待っていることは誰も思うことでした。それに引き換え、西の方は荒れ地がずっと続いていて、その土地に住み着くには多くの開拓の苦労をしなければならないであろうことは、これまた一目瞭然でした。ロトは東の肥沃な土地を選び、アブラハムのもとから離れて行きました。

◆ この時、アブラハムは一族の長としての力を自分に有利に使うことをしませんでした。エジプトでとった自らの行動への気まずさが、この肝心の場面で自分を押し出すことをためらわせたのかも知れません。アブラハムとロト、それぞれの家族や一族が生きるために住み分けなければならないのですから、致し方ない別れではあります。しかし自らの破れを自覚させられ貧しい土地に生きざるを得ないアブラハムにとっては、一番寂しい、頼りない時であったし、自分の取った行動が失敗ではなかったのかという不安に揺れる時であったに違いないのです。苦い別れでした。

◆ しかしこの場面で、私たちはアブラハムに語りかける神の言葉に出会います。14節です。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地すべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」 長い旅をして、多くの苦労を味わった旅の後にアブラハムが聞いた神の言葉でした。

◆ しかし、もしアブラハムが旅の人生を選ばなかったとしたら、そして旅の生涯を覚悟し苦難を味わいながらなお旅を止めずに生き抜かなかったとしたら、神の働きの奥深さに気づけずに生涯を終えたのではないかと思います。アブラハムは時に悩み、自信をなくし、もう沢山ですと先へ進むことへの疲れを訴えました。にもかかわらず彼の旅は頓挫せずに続いたのです。それはアブラハムが必死の力を振り絞ったからではありません。彼は聞いたのです。「生きよ」と語りかける声を、人間からではなく、どこからか語りかけられる神の声を、彼らは聞いたのです。

◆ アブラハムは元の場所に戻るのに良い機会もあったかもしれません。けれど後戻りはしませんでした。しなかったが故に味わった苦しみ、つらさもあったと思います。しかしそういう状況に置かれたとき、一番支えを必要としているとき「生きよ」と神は語りかけられる。そしてそっと寄り添い、一緒に歩んでくれる誰かを派遣して下さるのです。

2020年11月22日(日)主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2020年11月22日(日)
降誕前第5主日
説 教:「裁きを越えて」
    牧師 望月修治

聖 書:ミカ書2章12〜13節
招 詞:ヨハネの黙示録19章11〜12節
讃美歌:27, 233(1番・4番), 387(1番・2番), 91(1番)

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※上記のフォームへの申し込みは、1回のみで構いません。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まりますので、視聴の準備をして礼拝のはじまりをお待ちください。
※可能であれば、お手元に聖書・讃美歌集を用意して礼拝にご参加ください。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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