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2020年8月9日(日)説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2020.8.9 コリントの信徒への手紙1 11:23-26 「わたしが伝えたこと」 望月修治   

◆ 平和への思いを深くする8月を今迎えています。8月6日は広島。9日は長崎の75回目の原爆の日です。「平和を実現する人々は,幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)とイエスは語りました。私と妻は,娘と息子が学生である間に、「平和を実現する」ということを一緒に感じ、考える旅をしようと決めました。それは日本が行った戦争の歴史を辿り直す旅です。夏ごとにその旅を重ねました。私たち家族が4人で長崎を訪ねたのは2004年の8月10日でした。前日は長崎の原爆の日でした。長崎市松山町の原爆落下中心地・グラウンドゼロは記念公園になっています。そしてこの公園に隣接して長崎原爆資料館があります。資料館には原爆の爆風と放射線と熱線の物凄さが刻み込まれた遺品や資料、写真が展示されていました。被爆後撮影された映画フィルムもビデオ化されてモニターに映されていました。ナレーションと合わせてテロップも流れていました。「もはやこの惨状に対して、今日限りあらゆる語彙(言葉)が私にとって無力となった。どれもこれも燃える、燃える。悲しみに限りがなかった。」戦争は国と国が,あるいは民族と民族とが引き起こす愚かな分派行動です。戦争は国が人に死ぬことを強制することです。人を殺すことを強制する行為です。戦争は、国が己は人の命の主人公だと思い込み、見誤ることで引き起こす行為です。

◆ 長崎原爆資料館に1枚の写真が展示されていました。左のほほにやけどを負った若い母親が顔と腕にやけどが広がる赤ちゃんを抱き左の乳房を含ませている写真です。それは原爆が投下された翌日、1945年8月10日に爆心地から北へ3.6キロの臨時救護所で手当の順番を待つ母と子の写真です。生後4ヶ月の幼児はもう乳を吸う力もなく、約10日後に亡くなったといいます。私は2004年・59年後の8月10日の長崎でその写真の前に立ち尽くしていました。戦争という愚かな行為をこの国が起こさなかったら、この子はどんな人生を歩んだのだろうか。元気に生きて私より5歳年上で、私が立っている長崎の街のどこかで、あるいはこの国のどこかの街で暮らしを営み、笑い、語らい、時には涙を流し、そしてまた笑い、今を生きていたはずなのだと思いました。この子の母親も子どもを育てる喜びを失うことはなかったのだと思いました。

◆ 長崎原爆資料館で、叫びを私は聞く思いがしました。生後4ヶ月の幼な子の命が失われたことを正当化しうる理由などどこにもないと思いました。いたしかたなかったのだと思う自分がいたなら、自らに問わねばなりません。お前はこの小さな命をもう一度作り出せるのか、この子が歩んだであろう人生を贈り直すことが出来るのかと。神は命が理不尽に奪われることを決してよしとはされません。どんな命も理不尽に失われて良い命などあり得ません。

◆ 私は1950年(昭和25年)戦後の生まれですから、自らの体験としての戦争体験はありません。歴史で習った戦争も自分の体験として入っていたかと言えば、それはどこか抽象的であったことを否定できません。しかし実際の戦争体験を聞き、証言に出会うとき、それは自分の戦争体験となります。

◆ 人が神を信じるという生き方を選択するのもまた他者との出会いの中に自らの働きを示す神との出会いの体験によっています。今日の箇所には「主の晩餐の制定」という小見出しがつけられています。聖餐式の時に「制定の言葉」として読まれます。聖餐式はキリスト教の大切な礼典です。礼拝の中でパンを食べぶどう酒を飲みます。パンはイエスの体、ぶどう酒はイエスの血を象徴しています。イエスの体、イエスの血の象徴として、パンを食べ、ぶどう酒を飲む。なぜこのようなことをキリスト教会は行うのでしょうか。その源流はイエスと弟子たちとの最後の晩餐です。イエスはこの食事の後、逮捕され、形だけの裁判をへて、十字架にかけられました。最後の食事の時にイエスが弟子たちに語ったこと、それが今日の箇所に記録されています。「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われた。また食事の後で、ぶどう酒の入った杯を手にして『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われた。

◆ 最後の食事となった席にいたのはイエスと十二人の弟子たちだけです。彼らはこのイエスの言葉をその時、確かに聞いたのだと思います。しかしこの言葉が弟子たち一人一人の体験となったのは、イエスの十字架の出来事が起こった後のことです。食事の後、イエスを捕らえられた時、弟子たちは恐くなって逃げ出しました。イエスを見捨て、関わりを否定し、裏切り、逃亡しました。「これは、あなたがたのためのわたしの体である」とイエスが語った「あなたがた」は、裏切った後の「あなたがた」であったことに向き合わされます。それは悲痛な体験です。取り返しのつかないことをしてしまった後悔に打ち沈んでいく体験です。その彼らの中で、イエスの言葉が立ち上がるのです。「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。」イエスが十字架にかけられ、手足に釘打たれ、血を流して息絶えた、それはイエスを裏切り見捨てたこの自分を、そのどん底からなお生かし用いるという神の決断、神が差し伸べた新たな約束なのだという、とんでもない赦しを弟子たちは体験したのです。この体験がキリスト教の出発点となるのです。弟子たちはこの体験を繰り返し人々に語ったのです。それは知識を語るのではなく、証しを立てることです。彼らの証しを聞いた人々も、一人一人、自分の体験として味わったのだと思います。ペトロの、アンデレの、ヨハネの、ヤコブの体験が人々のなかに我がこととして刻印されていったのだと思います。

◆ イエスは命への神のこだわりを「神はこんな石からでもアブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(ルカ福音書3:8)、「石が叫び出す」(ルカ福音書19:40)と語りました。それはどういうことなのか。 人は無念を味わいます。晴らせない無情に涙します。かき消される訴えに心が傷つけられます。社会での存在の小ささの故に、無名さのゆえに、一人の人間の訴えが顧みられず側らに押しやられ踏みにじられます。石が叫び出すとは、そのような無念さを抱えた存在を、その人の声を神は消さないということなのではないか。そういう声をかき消して、なかったかのように扱ってしまうことを神は決してなさらないということではないのか。人が生きていく上で大切なのは、そのような叫びや訴えを聞くことであり、向き合うことなのだということ、それが「石が叫び出す」ということではないのか。そのことを忘れたら、人は命の尊さ、かけがえのなさをぞんざいに扱っても平気になるのだと思いました。例えば数の多い少ないで判断してしまうということです。死者の数が少なかったからよかったという言い方、受け止め方を私たちはしがちです。神はモーセにこう語りました。「イスラエルの人々にこう言うがよい。わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」(出エ3:15)イスラエルの人たちを全部まとめてあなたたちの神とは言わない。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神だと言う。アブラハムはイサクではない、イサクはヤコブではない、またヤコブはアブラハムではない。その一人一人と神は向き合い、その声を受けとめるのです。

◆ 「平和を実現する」それは戦争の歴史の中に生き、命を奪われた一人一人の声を聞き直し、思いを辿り直すことによって根を張る営みとなるのだと思うのです。

2020年8月23日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2020年8月23日(日)
聖霊降臨節第13主日
説 教:「協働の報酬」
    牧師 望月修治

聖 書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章1-9節
招 詞:ヨブ記28章27-28節
讃美歌:27, 552(1番・2番), 403(1番・2番), 91(1番)

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※上記のフォームへの申し込みは、1回のみで構いません。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まりますので、視聴の準備をして礼拝のはじまりをお待ちください。
※可能であれば、お手元に聖書・讃美歌集を用意して礼拝にご参加ください。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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