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2018年6月17日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2018.6.17 こどもの日合同礼拝
ルカによる福音書5:27-32 「お医者さんに行ったことがありますか」    望月修治

◆ 皆さんはお医者さんに行ったことがあると思います。かぜをひいて熱が出たとき、怪我をしたとき、皮膚がかぶれて腫れ上がったとき、小児科、外科、皮膚科、眼科、それぞれの症状によって病院に行ってお医者さんに見てもらったことがあると思います。それでは入院したことがある人はいますか。私はこれまでに4回入院したことがあります。そのうち、一番長く入院したのは10日間ですが、3年前の2月のことです。

◆ 突然、目が霞んで周りのものがボヤーとしてはっきり見えなくなったのです。夕方でした。お医者さんに電話をしました。明日診察を受けに来てみてください、ということで翌日、土曜日の朝、病院に行きました。念のため脳も調べておきましょうと言われて、MRIによる検査を受けました。MRIというのは電磁波で体の中を調べる検査です。だいたい20分くらいの検査でした。検査が終わって、これで帰れるかなと思っていたら、すぐに入院してください、とお医者さんから言われました。脳梗塞という病気が起きていたのです。そして10日間、毎日朝3時間、夕方3時間、点滴でお薬を投与するという治療を受けました。無事に退院できたときには本当に嬉しかったです。入院中は毎日、看護師さん、そして主治医のお医者さんも様子を見にきてくださいました。病院にはいろんな人が入院しています。その一人一人に向き合って声をかけ、話を聞き、治療をしてくださる看護師さんやお医者さんの働きをあらためて感じました。

◆ イエスさまもいろいろ人に出会い、病気を直したり、話を聞いたり、一緒に食事をしたりされました。今日の箇所では、その働きをイエスさまはお医者さんと患者さんの関係にたとえて語っておられます。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。」 イエスさまがこのことを言われたのは、レビという人の家で一緒に食事をしていたときでした。ご飯を一緒に食べるって、楽しい時間です。そんなときなぜイエスさまは「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である」と言われたのだろうか、その食事の席に重い病気の人がいたのではなさそうです。だったらどうして、と思います。それはレビが徴税人だったからです。徴税人というのは税金を集める仕事をしている人です。大事なお仕事です。でもイエスさまの時代の徴税人は嫌われ者でした。というのはその頃ユダヤの国を支配していたローマ帝国に収める税金を取り立てていたからです。同じユダヤ人の仲間からローマへ納める税金を集めているだけならまだ人々も仕方ないねと思ってくれたかも知れなません。でもそれだけではなかったのです。余分なお金も取り立てて、それを自分のものにしていました。みんなも分かっているのですが、ローマ帝国の力があるので文句を言えませんでした。言ったら捕まえられて罰を受けることになるかも知れないからです。

◆ ユダヤの人たちはそんな徴税人たちを「罪人」だと言って嫌っていました。そして罪人に関わると汚れると考えていました。レビもそのように思われていた1人です。ところがイエスさまは事もあろうに、そのレビの家に行って食事を一緒に食べておられたのです。それを見たファリサイ派の律法学者たちは「なんであんな人たちと一緒に飲んだり食べたりするのか」とイエスさまを非難したのです。それに対してイエスさまが言われたのが先ほどの言葉です。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。」それだけではなく「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」とも言われました。

◆ イエスさまは自分のことをお医者さんに譬えました。お医者さんは、診てほしいんですと病院にやって来た人は誰でも診療してくださいます。お金がなさそうだからとか、意地悪そうだからとか、怪しそうだからとか、あるいは本当に悪いことをして刑務所に入っている人でも、病気になったら、お医者さんはちゃんとその人を診察して治療をしてくださいます。

◆ わたしは3年前に病気をしてから毎年、脳のMRI検査を受けに病院に行っています。2週間前にも1年ぶりで検査を受けました。検査を受けた後、お医者さんの問診があります。今日の検査結果はどうでしたか、こうでしたよとお話しを聞きます。お医者さんのパソコンの画面には、わたしの脳の様子が立体的に映し出されます。脳の血管もくっきりと映し出され見ることができます。1年前の脳の画像と比べながら、見せて下さいます。わたしの主治医の先生は、「新しい梗塞はありません。特に変化はありませんね」ととても嬉しそうに説明し、お話しして下さいました。わたしの脳の状態が安定しているのを確認して「よかったね」と思ってくださっているのが良くわかりました。

◆ イエスさまも同じなのだなと思うのです。今日の聖書の物語の最初のところに「レビという徴税人が収税所(税金を集める役所)に座っているのを見て」とあります。これはレビという人がみんなから嫌われ「罪人」だと蔭で言われ、ひとりぼっちでとてもさみしい人だったのだろうなということを表しているのです。そのレビに「わたしに従いなさい」「わたしと一緒に来ませんか」と声をかけてくれた人がいた。それがイエスさまでした。レビはとっても嬉しかったと思います。本当に嬉しかったと思います。今まで誰も「一緒に来ませんか」と声をかけてくれる人などいなかったはずだからです。そうであったからこそ、「わたしに従ってきなさい」と呼びかけてもらえることがどれだけ嬉しいことで、大切なことかをレビはその時弾けるように分かったのです。心から嬉しいと思えたとき、私たちの生き方は変わります。誰かから「友達になろう」と言ってもらえたら、「一緒にあそぼ」と言ってもらえたら、どんなに嬉しいか分かります。嬉しさが心に広がったら、自分も誰の友達になろう、誰かに「一緒にあそぼ」って声をかける勇気を持つのです。

◆ イエスさまは、わたしたちがそのような生き方が大事だなって発見して、気がついて、わたしもそんなふうにやってみようと小さな決心をするのを待っていてくださるのだと思うのです。

2018年7月1日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2018年7月1日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第7主日
説 教:「自由の処方箋」
牧師 望月修治
聖 書:ガラテヤの信徒への手紙
5章2〜11節
招 詞:エレミヤ書23章23-24節
交読詩編:52;3-9
讃美歌:29,19,401,394,524,91(1番)
第1編273A(1番)
○聖餐式を行います。

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