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2017年10月22日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2017年10月22日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第21主日
説 教:「涙拭われる日、もはや飢え渇きなし」
牧師 髙田 太
聖 書:ヨハネの黙示録7章9-17節
招 詞:イザヤ33:20-21a節
交読詩編:36;2-10
讃美歌:213(6番),230,576,580,91(1)

2017年10月22日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨 2017.10.22 ヨハネの黙示録 7:9-17   「涙拭われる日、もはや飢え渇きなし」(髙田)               

◆ 望月先生と説教を交代した本日に与えられた箇所は、ちょうど先頃、京都復興教会で行われたわたしの祖父の記念会の時に選ばれていた箇所であった。もちろん記念会に死後の生の可能性を示唆するこの箇所が読まれる理由はわかる。また、本日は聖霊降臨節の終わりの日であるから、伝統にしたがって死者に思いを向けるこの箇所が選ばれているというのもわかる。ただ、死後の生について、わたしには前史というべきか、因縁というべきかがあり、それゆえに不思議な偶然に驚かされた。

◆ その因縁とは、連れ合いとわたしの天国を巡る議論に関わるものである。当時のわたしは、新約聖書の最古の文書であるパウロの記した第一テサロニケ書の記述(4.15)を引き合いに出して、「死者は眠りにつくのだ」、「これが一番古い新約聖書の見解だ」と言った。天国という語はマタイによる福音書だけの用語で、他の福音書ではイエスが「神の国は近づいた」と言ったり、あるいは「神の国はあなたがたの間にある」と言われているものではないか、と。連れ合いはこれに対して、ルカによる福音書でイエスと共に十字架にかけられた犯罪人の一人が「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい」と言い、これにイエスが「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた場面を引いて、反論したように記憶している。

◆ わたしが上記のように言ったのには、さらに一つの背景があった。 それは、関西学院大学の中道基夫先生の天国を巡る博士論文である。そこで先生が問題としておられるのは、死後にすでに死んだものと再会できるというイメージは、日本だけに見られる特殊なものであって、例えばドイツにおいては葬儀の際に表だって語られることはほとんどないということである。対して、日本におけるそうしたイメージは、なにもキリスト教に限ったことではなくて、無宗教を自認する様な方においても、相当に根深く抱かれていると指摘されている。むしろ日本人の近代以降のそうした特殊な死生観が、逆にキリスト教の葬儀にも影響を与えてきたのではないかというのである。

◆ それでは、天国や死後の再会をキリスト教として、聖書としてどう考えるのか、という問いが生じてくる。先に述べた通り、パウロは第一テサロニケ書4章13節以下で、また、第一コリント書15章12節以下でキリスト者の死後のあり方について語っている。これらの記述によれば、キリスト者は死と共に眠りにつき、そして終わりの日に最後のラッパが鳴ると共に復活するというように理解できる。

◆ しかし、ヨハネ黙示録の今日の箇所の記述はこれとは異なっている。そこに描かれていたのは天における礼拝である。その礼拝の場面には24人の長老と4つの生き物がいて、神を讃美し続けている(4章)。そして7章になってその礼拝に「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から」「だれにも数え切れないほどの大群衆」が集まってきて、そして先の長老と生き物を囲んで、また神を讃美する礼拝を捧げるのである。この大群衆は「大きな苦難を通ってきた」者だと言われている。これに従えば、わたし達も死後に天に召されてそうした礼拝の輪にくわえられる可能性があると言えよう。

◆ こうした問題は、教会において人の死をどう表現するかというところにも表れている。天国があり、死後そこに呼ばれるのであれば「召天」というのが相応しく、終わりの日までの眠りにつくならば「永眠」というのが相応しいはずである。ある解説によれば、プロテスタントでは一般に「召天」を用い、カトリックでは「帰天」を用い、正教会では「永眠」を用いるとのことである。永眠はパウロ的で、召天や帰天はヨハネ的だと言えるかもしれない。

◆ 一方、ヨハネのイメージは、例えば頌栄29番に表れている。わたし達は「天のみ民も、地にあるものも」と言って、わたし達の地上の礼拝と共に、黙示録に描かれた天上の礼拝に想いを向けるのである。ヨハネ黙示録の描く死後の生のイメージは、パウロのそれに比べて、強くわたし達の礼拝に影響を与えているように思われる。

◆ しかし、召天と永眠という言葉が、わたし達の教会の営みにおいて混在しているということは、それらが、現在のわたし達の生のあり方を強力に規定しているわけではないということを意味する。一般に宗教が有する重要な機能として、死を何らかの形で位置づけて、そのことで生きる者に励ましを与える機能があるが、しかしこれは場合によっては、「宗教は民衆のアヘンである」というような問題にも結びつく。あるいは例えばヒンドゥー教の世界観、死生観が、カースト制度という身分制を位置づけ、差別的な社会を正当化する方向に働いているように思われることとも関連するかもしれない。

◆ 今年500年の記念の日を迎える宗教改革においても。こうした死の理解が問題であった。当時のカトリック教会の死生観は、「苦難を通ってきた」聖徒たちは天に召されるが、一般の信徒はそれほど苦難を通ってきたわけでもないし、罪も犯しているのだから、死後に天に召されるために、煉獄でなお歩みを続けねばならないとしていた。そして死者のその煉獄での歩みを、生きる者は免罪符/贖宥状を購入することで助けることができるのだというのであった。プロテスタンティズムはそうしたかつてのカトリック的死生観を、聖書の記述に照らして批判するところからも出発したわけである。

◆ わたし達にとっては高すぎること、理解の及ばないこと、証明も検証も反証もできないことについて、聖書の記述から一つの定まったイメージを作り上げて確定し、それによって自らを正当化したり、他者を弾劾したり、あるいは何らかの社会を正当化したり、教会の権威を作り上げたり、そのことで脅しの形で人を教会に縛り付けたり、場合によっては金儲けをする、そうしたことが問題なのである。そもそも聖書の記述自体、一様のものではなかった。聖書が死後の生のあり方について語っていたことは確かだが、その語り方は多様だったのである。そしてこれは、4つの福音書を並列して収める聖書の、証言の多様性を重んじるという基本姿勢である。そうであれば、わたし達はそれぞれの文書や報告の著者に最大限敬意を払いつつ、その著者の状況を推測しながらそれらにその都度思いを向けねばならない。

◆ 他方で、それら証言が描き出すイメージは食い違ってはいるものの、それでもそれらに託されている、死後の生を思い見る場合の本質的な信仰の意義とそのあり方は共通していると言える。ヨハネ黙示録もまたそうした希望について語っていた。「彼らは、もはや飢えることも渇くことも」ない。「神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである」。こうして殉教者に投げかけられた希望の言葉は、黙示録の最後、世の終わりの描写において再び繰り返される。その日には「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」(黙示録21.3-4)。キリストの十字架が、そこで流された血が、わたし達の衣を白く清めてくれるからこそ、わたし達は死を越えてなお、その日を待ち望むことができるとヨハネは言うのである。

◆ なおもこの地上での使命を与えられているわたし達であるが、聖書記者たちがそうして示してくれた希望を抱きつつ、共に歩むものでありたい。

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