SSブログ

2016年8月14日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨2016.8.14  ローマの信徒への手紙7:1-6 「縛る言葉」       望月修治    

◆ 新約聖書において「律法」という言葉は肯定的な文脈の中に出てくることは多くありません。ですから私たちは律法についてあまり好ましい印象をもってはおりません。それどころか、イエスの福音に横やりを入れ、待ったをかける勢力の代表、悪玉の大元締め、あるいは福音の敵対勢力の代表のように思っている面があります。パウロ自身も、このローマの信徒への手紙を見ただけでも、何カ所か、そのように読める表現をしていますので、律法に対するよい印象やプラスのイメージを持つことはまずできません。それではパウロは律法を無意味なものとして捨て去るべきものと見なしていたのかというと、そうではありません。7節では「律法は罪であろうか。決してそうではない」と述べています。10節に「命をもたらすはずの掟」とありますが、本来律法とはそのようなものでした。神の意志を指し示す。神のもとに生きようとするとき、具体的にどのように生きることが神の意志に沿うことなのか、それを文字に記したのが律法です。パウロもそのことを踏まえて「律法は罪であろうか。決してそうではない」と語っているのです。

◆ ユダヤ人の生活は律法を抜きにしては語ることができません。なぜユダヤの人たちは律法を重要だと考えるのか。それは彼等が歩んだ歴史、その中で味わってきた体験と深く関係しています。ユダヤの人々は遠い祖先の時代から長年にわたって旅人として生きてきました。旧約聖書の創世記に記されている祖先たちの物語、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの物語、続く出エジプト記のモーセの物語、いずれも旅人とし歩んだ彼等の物語です。その経験は「人は、自らの力で自らの社会をまとめ、人の力でひとつになることはできない」ことを学ぶ体験でした。人間同士が向き合えば、必ず争いが起こる。けれども互い向き合うことに加えて、同じ方向を見るならば、思いを一つにしていくことができることを学び取ったのです。紀元前6世紀に起こったバビロンの捕囚という出来事は、国が滅び、神殿が崩壊し、しかもユダヤから2千キロ以上離れた異国の地に囚われの民となって連れて行かれるという事態をもたらしました。それは神の民としての指針を見失うという危機の到来でもありました。その中でユダヤの人々は共に生きるために「律法」を基盤とし、指針とすることを選び取ったのです。律法は神の意志とそれに相応しく生きる指針であるから、それを一緒に見ることで同じ方向を向いて歩むことができると考えたのです。

◆ イエスは「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と問われてこう答えました。「わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、想いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」。「隣人を自分のように愛する」とはお互いを見つめること、思い合うことですが、同時に「神を愛する」つまり一緒に同じものを見つめることが大事なのだということです。

◆ 律法の源流はモーセが荒れ野の旅の途上で神から示されたという「十戒」です。それは極めてシンプルな10項目の掟です。しかし時代を重ねる中で、人々の生活が変化し、多様化するのに合わせて次々と解釈され、新しい掟が加えられて行きました。掟というのはひとり歩きするのが常です。当初、一緒に生きていくための指針であった律法も、その掟が解釈され増えて行く中で、指針ではなく、人々の生き方、人々の暮らしを「縛る言葉」に変わっていきました。「これを守らなければ神から、よしとは言ってもらえない、神の救いに預かれなくなると見なされ、人々を幾重にも縛るものとして機能していきました。パウロはその道を全うすることに実に熱心であった人です。そしてその熱心さはキリスト教徒への迫害という行動へと彼を駆り立てることにもなりました。

◆ ところがその生き方が180度変わります。キリスト教徒を迫害するためにダマスコに向かう途上で復活のイエス・キリストと出会ったパウロは、キリストからの呼びかけに応じて回心します。その時点からパウロにとっての主人は「律法」から「イエス・キリスト」になりました。迫害の対象であったキリストが、主人になる。これは驚きという以外にありません。今まで律法が主人であった生き方が、排除すべきだと見なしていたキリストを主人とする生き方へと変わるというのは驚くべきことです。このような転換が人には起こることに抵抗感や違和感を感じてしまわないでしょうか。その理由はそこに飛躍があるからです。人間の体験を押し進めて行けば誰でも味わい、納得できる、そのようなものとしてそこにあるとは言えはないからです。

◆ 先週お届けした「京都教区ニュース」に掲載されていましたので、ご紹介してもよいかとも思ったのですが、今年4月から宇治教会の担任教師に就任された徐珊珊先生の就任にあたって書かれた一文に、なぜ自分が教団の教師になったのかを書いておられます。「私は中国の北京で生まれ育ちました。以前から教区、教団関係の集会に出ると、よく聞かれるのが『神学の勉強のために日本に来ているのですか』と。答えはそうではないのです。神学の勉強のために来たのではなく、日本に来て初めてクリスチャンになり、神学を勉強すると決意しました。日本に来る直前までは、共産党員を目指すため努力していました。それでも、このような全く神様を信じない、神様を知らない者が日本に来て、たった1度の説教で変えられたのだと、今でも不思議に感じます。同志社の日文センターにいるとき、気まぐれで同志社教会に行って、初めて説教というものを聞き、あの説教で胸を打たれて、一人でこそこそ涙を流したことを今でも覚えています。それがきっかけで神学部に入り、宇治教会の神学生になって、それと同時に大塚先生から洗礼を受けました。神学生として3年間宇治にいて、准允を受けて、伝道師として教会に奉仕するが、あの日に同志社教会に行かなかったら、いまここに私はいないのかもしれません。私を受け入れてくれる宇治教会がなかったら、日本での伝道活動もなしえることができないかもしれません。・・・・」

◆ この文章を読んで神様は本当に不思議なことをなさるのだと改めて思いました。5月に開催された京都教区総会で、准允式の決意表明で徐先生はこのことを語られたのですが、そのことを聞いたときに私が思ったのは、ガリラヤ湖の漁師をしていた、ペトロやヨハネやアンデレがイエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われて、即網を捨てて従ったという記事でした。人は「わたしに従って来なさい」と言われてこんなふうに間髪入れず従う、生き方を変えることが果たしてできるのだろうか、そういう疑念をどこかに持っていたからです。しかし神様はこの不思議さ、すなわち私たちの側からずっと突き詰めて行ったら分かる、そういう招き方だけではなく、飛躍が起こる。人間の側から突き詰めて行っても分からない、しかし結果として、その漁師たちはイエスに従いました。徐先生は日本で神学を学んで、日本での伝道という志を持った。同志社教会でただ1度だけ出席した礼拝がそのきっかけになったという。聖書に書いてある弟子たちの、あるいは旧約の時代の預言者たちの召命の物語は、決して絵空事ではない。もし絵空事だと思うなら、それは神様の働きに疑いを差し挟むことに他ならないのだということを私は改めて学ばされました。

◆ 律法は本来人を縛るのではなく、人がどう生きるか、神様のもとで生きることがどれだけ深いものであるかを人々に伝えるのが役割であるということをパウロは気付かされ、掟に縛られて生きることから自分は解放されたことをパウロは伝えたのです。

2016年8月28日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2016年8月28日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第16主日
説 教:「わたしたち、神に属する者」
牧師 髙田 太
聖 書:ヨハネの手紙Ⅰ
5章10~21節
招 詞:ローマの信徒への手紙5章5節
交読詩編:65:6-14 
讃美歌:29、4、393、566、91(1番)

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。