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2016年7月10日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨2016.7.10 使徒言行録27:33-44 「食事の間合い」   望月修治           

◆ 西暦58年の秋、パウロは囚人として船でローマに護送されました。しかしこの船旅は実に難儀で危険なものとなりました。暴風にあって船は流され、「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」と20節に記されています。27節に「十四日目の夜になった」とありますから、漂流は14日間続いたことが分かります。この夜、船員たちは船が陸に近づいていることに気付きます。船の中の人々は「助かるかも知れない、いやこれで助かる」思ったとたん、浮き足立ちました。船員たちが抜け駆けして小舟を降ろし、自分たちは助かろうとします。船員たちの抜け駆けに気づいたパウロは百人隊の隊長と兵士たちに「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と告げて、この抜け駆けを止めさせます。早くあの陸地に着きたいとみんなの気持ちは先走り、浮ついて、自分に思いが集中し、お互いのことは視野から外れかかっています。

◆ この時にパウロはみんなに食事をすることを勧めました。大きな危機から脱する時こそ、実は一番危険な時です。14日間の漂流生活からやっと解放される、その思いが「一緒に」という連帯感を崩そうとしていました。パウロはその状態を見て、一同に食事を勧めて、一呼吸の間を取ろうとしました。35節に「パウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた」と記されています。パウロは一呼吸の間をおくためにパンと感謝の祈りを捧げました。食べることと祈ること。パンを食べることは現実に向かうことです。そして祈りは神に向かうことです。パンだけではなく祈りを、しかし祈りだけでもなくパンも、それがパウロの示した方向性でした。

◆ ところでこの記事の中に面白い記述が出てきます。37節です「船にいたわたしたちは、全部で276人であった。」 「船にいたわたしたちは276人」とルカは大変具体的に書き記しています。このことに興味を引かれました。おそらくルカはこの「わたしたち」という表現に何か思いを込めているのだと思ったからです。実はこの船旅の様子を記した27章の書き出しにも「わたしたち」と記されています。「わたしたちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき、」と書かれています。使徒言行録を書いたのはルカですから、27章で「わたしたち」と書いているということは、この時イタリアへと向けて船出した船にはルカも乗っていたということになります。さらに申しますと、使徒言行録の25章までは、文章の主語はパウロです。さらに前に戻りますと21章18節までの文章の主語は「わたしたち」です。この主語の変化はパウロがエルサレムにやってきた時期と重なり合っています。

◆ 少し説明が必要だと思いますが、大筋で申しますと次のようになります。パウロは3回目の伝道旅行をうち切って、エルサレムを久しぶりに訪ねました。ところが彼ら一行がエルサレムに着くやいなや、パウロに対するユダヤ人の迫害が始まり、パウロは幽閉されてしまいます。エルサレムのユダヤ人から見ればパウロはユダヤ教を捨てた裏切り者ですから、彼らの怒りは激しいものがありました。パウロの幽閉生活は場所をエルサレムからカイサリアへと移しながら期間は2年にも及びました。したがってルカや他の同行者たちは、パウロから引き離されてしまったのです。したがってその間のことは、あとでルカがパウロから聞いたことや、人づてに聞いたことをもとにして書いたことになります。ですから21章の19節以下がその箇所に当たりますが、この箇所の主語は「わたしたち」ではなく「パウロ」になったのです。

◆ 幽閉された2年間、パウロは一人で迫害と闘っていました。誰もパウロを支える者はいませんでした。幽閉の身ですから、助けたり支えたりすることも出来なかったのです。ルカたちはこの期間パウロのことをずっと気にしながら、しかしおそらく身を隠していたのではないでしょうか。身を隠してきた2年間は彼らにとっても辛い日々であったでしょうし、自分たちの力のなさ、至らなさと向き合わされた2年間でもあったと思います。パウロに対して何もなしえなかっただけではなく、キリストの福音を宣べ伝えることもせず、ただひたすら身を隠し続けた2年間でした。

◆ そんなある日ルカたちは一つの知らせを聞きました。パウロが囚人としてカイサリアからローマに護送されるという船出の知らせです。そのニュースを聞いたとき、ルカたちは身を隠すことを止めて姿を現し、そしてパウロと一緒に船に乗ってローマまでついて行く決心をしたのです。だから27章から文章の主語は再び「わたしたち」に戻るのです。パウロに同行するこの人たちは、迫害に対してパウロのような峻烈な闘いはしていません。盛んな伝道活動もしていません。パウロが幽閉されている間は身を隠し、キリスト者ではありますけれども、キリストから遠ざかったり、また近寄ったり、逃げたり、また気になってそっと覗いてみたり、そんなことを繰り返している人たちです。そういう人たちが今再び姿を現して、パウロと一緒にローマに行こうとしています。

◆ 私たちはパウロのような劇的で峻烈な生き方は出来ません。ですからもしこの使徒言行録がパウロのことだけを書いていたとしたら、読むのが辛くなるのではないか。パウロの生き方は劇的で峻烈だけれども自分はとてもこのような生き方は出来ない。迫害が迫ってきたらおそらく逃げ出してしまうだろう。こんな生き方は出来ないだろう。そんな自分を思えば思うほど、パウロのことだけであったなら、辛さが増してしまいます。しかしながらこの使徒言行録には「私たち」と表現されるパウロの同行者たちの姿が合わせて書き記されています。ある時には身を隠し、ある時には顔を出す人々である「わたしたち」が登場します。彼らは迫害にも果敢に立ち向かうパウロの峻烈さに比べたら、まことに弱々しい存在です。

◆ しかし見方を変えて言うならば、彼らは自分に出来ることをしていたと言えるのです。パウロがカイサリアからローマへ船で護送されることを聞いたとき、彼らは再び姿を現して、パウロと一緒にローマに行こうとしました。この人達は自分たちに出来ることをしようとしている人たちだと言えます。誰もがみんなパウロのようには生きることはできません。 使徒言行録の著者ルカもパウロのようには生きられなかった人です。しかし、ルカはルカなりの生き方をパウロとの出会いの中でしていった人なのです。人の夢はその人が思い描く通りに実現することはありません。「人は心に自分の道を考え計る。しかし、その歩みを導く者は主である。」(箴言16:9)と箴言に記されておりますけれども、パウロをはじめとする古代の証し人たちの夢はその人自身が抱いた形で実現したわけではありませんでした。人はさまざまな夢を抱きますけれども、夢を実現に導くのは主であるのだと思うのです。だからこそ、パウロのようには生きられなくても、自分に出来ることを担うことでいろんな人の夢をいくばくかでも共に担う者として用いられて行くのです。使徒言行録に記されているそのような「わたしたち」のなかに自分を見出すのです。パウロのように生きられなくても、「あなたに担えることがあるよ」と語りかけて導くのがパウロの神であり、ルカの神であり、私たち一人一人の神なのです。

2016年7月24日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2016年7月24日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第11主日
説 教:「聖餐―主から受けたもの」
牧師 髙田 太
聖 書:コリントの信徒への手紙Ⅰ
11章23~29節
招 詞:ローマの信徒への手紙12章1節
交読詩編:78:17-25
讃美歌:25、19、56、561、91(1番)

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