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2015年10月4日の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2015.10.4 フィレモンへの手紙8-25 「派遣の添え状」

◆ フィレモンへの手紙はパウロが書いた手紙の一つです。この手紙は聖書に収録されている手紙の中で一番短い手紙です。手紙の主旨はいたって明瞭です。フィレモンの元にいたオネシモという奴隷が逃亡したのですが、このオネシモも、逃亡先でパウロに出会い、導かれてキリスト者となります。そしてパウロの身の回りの世話をしていました。当時は奴隷制度が存在し、社会の中で機能していました。奴隷が逃亡するのはよくあったことなので、特別に訓練された逃亡奴隷捕縛団が組織されていて、彼らにつかまると鞭打ちの刑か、場合によっては十字架で処刑されるケースもあったようです。そのような追っ手から逃れるためには、逃亡奴隷は強盗集団に身を投じるか、大都市の下層社会に身を隠すか、神殿に避難してもっとましな主人に使える可能性を探すか、あるいは労働力が不足しているもっと遠くの外国へ行くかなどの身の処し方がありました。ただどの選択をとったとしても身の安全や生活の保障はありませんでしたから、非常に不安定な生活を強いられました。おそらくオネシモもそのような状態で逃亡していた先でパウロに出会い、回心してキリスト者となったのです。しかしながら奴隷が逃げ出して見つかった場合には、主人のもとに送還することが義務づけられていましたので、パウロもオネシモを主人フィレモンのもとに送り返すことに決めました。その際にオネシモを丁重に扱うように願う手紙を書きました。それがフィレモンへの手紙です。

◆ パウロが伝えたキリストの福音に説かれている自由と、奴隷制度とは相容れないものだと思いますが、少なくともこの手紙ではその点に踏み込んだ記述は見いだせません。当時の奴隷制度という枠組みを批判するとか、崩すとか、乗り越えるという方向を明示しているのではなく、あくまで奴隷制度を前提として、その制度の中で、オネシモを主人であるフィレモンのもとに送り返さなければならないとパウロは考えています。ただその際に、逃亡奴隷に対して一般的に行われていた厳しい処置をとらないで受け入れてほしいと執り成しているのです。

◆ このような申し出は「聞いてもらいにくい願い」であったはずですが、そのことを承知の上で、なぜパウロはオネシモのことをここまで思いを入れて執りなそうとしたのでしょうか。それはオネシモがキリストの福音を受け入れたことで大きく変わった、そのことを主人であるフィレモンにも伝え示すことで、フィレモン自身の福音理解が一層深められると思ったから、あるいは願ったからではないかと思うのです。

◆ 福音を受け入れたオネシモは獄中にあるパウロの大きな支え手となったことが文面から伺えます。例えば10節では「監禁中にもうけたわたしの子」とオネシモのことを呼んでいます。彼を信仰に導いたのはパウロですから、その意味でパウロはオネシモの信仰上の「父」となったという意味です。この点ではオネシモの主人であるフィレモンも、パウロの導きでキリスト者となったのですから、彼もまた同じ意味でパウロの子ということになります。ということはフィレモンとオネシモは主人と奴隷という関係だけではなく、パウロを信仰上の父とする兄弟ということになるという筋立てをこの手紙に記して、フィレモンを説得しようとしています。15節・16節でオネシモを「愛する兄弟として」あなたのそばに置くとフィレモンに言っているのはそのことを念頭に置いているからです。

◆ オネシモについての評価をパウロは更に続けています。11節では「彼は、以前はあなたにもわたしにも役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。」とあります。さらに12節では「わたしの心であるオネシモ」とまで言っています。「心」と訳されている「スプランクナ」というギリシア語は、もともとは「内蔵」を表しています。ユダヤの人々は精神活動や感情の座が内蔵にあると考えていました。ですから「わたしの心である」とは「わたしの分身である」と言い換えてよいほどの表現です。

◆ ここまで踏み込んだ言い方をする理由何なのでしょうか。それは12節の言葉に暗示されています。「わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。」と書かれています。「送り帰す」と訳されているのは「アナペンポー」というギリシア語です。この言葉は「アナ」(上へ)という言葉と「ペムポー」(送る)という言葉が組み合わされています。「ペムポー」という言葉には「遣わす、派遣する」という意味があるのです。ここがこの手紙のポイントです。オネシモは主人であるフィレモンのもとから逃げ出してきてパウロと出会い、パウロのもとにいるのですから、フィレモンのもとに行くことは「送り帰す」ということになります。しかしそれは単に送り帰すというだけではなく、パウロのもとからオネシモをフィレモンのもとに「派遣する」という意味合いが「アナペムポー」には込められているのです。

◆ つまりパウロは、オネシモと出会ったことを思い返して、この出会いは備えられたもの、つまりオネシモは神がパウロのもとに派遣したのだと受けとめていたということです。オネシモは獄中のパウロを本当に親身になって支えてくれました。それゆえパウロはオネシモのことを「わたしの子」「わたしの心」と最大級の表現で評価しています。そのオネシモを神は、今度はフィレモンのもとに派遣するのだという受けとめがパウロにはあったのだと思います。オネシモは獄中にあるパウロを支え、役立っていてくれる。その働きに免じて、逃亡奴隷である彼を厳しく扱わず受け入れてほしい、という次元で執り成しの手紙を書いたのではなく、「神による派遣」、神がオネシモをパウロのもとに遣わし、そして今、フィレモンのもとにも派遣するのだから「愛する兄弟として」オネシモを迎えてほしいと書いたのです。いやそういうふうに書くことが出来たと言うべきです。「神が派遣する」という根拠があったから、「もはや奴隷ではなく、愛する兄弟であるはずです」と書くことが出来たのです。

◆ 自分のもとから逃げ出したオネシモが帰ってくる、そのことをパウロが言うように「主にある出来事」すなわち神による派遣なのだと、フィレモンが受けとめるまでには、時を必要とするかも知れません。しかしパウロはフィレモンにこのオネシモが逃げだしパウロに出会ってキリスト者となって、そしてまたフィレモンのもとに帰って行くという出来事を見つめながら、神による派遣ということを深く受けとめてくれることを願ったのだと思うのです。だから丁寧な、へりくだった姿勢でこの手紙を書いたのです。そしてそれが、この短い手紙が新約聖書の中に納められた大きな理由ではなかったのかと思っています。

◆ 教会という場で私たちはいろいろな人たちと出会っていきます。しかしそれは単に人間同士の行き交い、あるいは出会いとして済まされてしまうものではなく、その一つ一つに「神による派遣」という働きが宿っている。神がその人をその教会に派遣されたのだという・・・・出会いの出来事がもつこの深い意味をパウロはオネシモを送り帰すということに託して、フィレモンに書き送ったのだと思うのです。

2015年10月18日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2015年10月18 日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第22主日
説 教:「イエスを見つめながら」
 田名 希神学生
聖 書:ヘブライ人への手紙
11章32~12章2節(新約p.416)
招 詞:マラキ書3章1節
讃美歌:27、483、383、513、91(1番)
交読詩編:121(p.141上段)


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