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2015年1月18日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2015年1月18日(日)午前10時30分
降誕節第4主日 
説 教:「漁師の仕事」
         牧師 望月修治
聖 書:ルカによる福音書
 5章1~11節(新約p.109)
招 詞:使徒言行録16章9~10節
讃美歌:28、7、418、401、91(1番)
交読詩編:101(p.109上段)

※次週の礼拝は、同志社大学神学館3階チャペルにて行われます。場所がいつもと異なりますのでお間違いないようにご注意ください。
※こどもの教会も同志社大学神学館3階チャペルにて行いますので、そちらにお越し下さい。

2015年1月4日の説教概要 [説教要旨]

説教要旨 2015.1.4   ルカによる福音書2:21-40 「救いを見た日」             

◆ ルカによる福音書に記されているイエスの誕生物語は、二人の老人と生まれて間もないイエスとの出会いを描くことで締めくくられています。イエスの誕生物語は毎年、教会そしてキリスト教主義の学園で、降誕劇、ページェントとして演じられます。ただ、わたしはこれまで、シメオンとアンナ、この二人の老人が登場する降誕劇を見たことはありません。あるいはクリスマスカードを作るとき図柄としてシメオンとアンナのことを思い浮かべることはまずありません。わたしたちはこの二人の物語をクリスマスの物語の付け足しのように思ってしまっていることはないでしょうか。

◆ しかしルカは、シメオンとアンナ、この二人の老人が登場しなければ、クリスマスの物語は終わらないと考えているのです。クリスマスを締めくくるのは、年を重ねた者たちです。深くしわが刻み込まれ、多くの人生の苦しみ、悲しみ、痛みを知っている人たちです。その老人たちがしわだらけの手に小さな赤ん坊を抱いて「主よ、今こそあなたは、そのお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」とうたったというのです。救いを待ち望んでいる人たちに救い主が誕生したことを話したというのです。そのことを語ってはじめてクリスマスの物語を終えることができるとルカは考えたのです。

◆ シメオンとアンナの物語は、イエスが誕生して一ヶ月ほどたったある日のエルサレム神殿を舞台にしています。ヨセフとマリアは幼子と共にエルサレム神殿にやって来ました。それは律法に定められた清めの期間が過ぎたので、幼子を主に献げるためであったとルカは記しています。「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」とされていたからです。ヨセフとマリアが幼子といっしょにエルサレム神殿にやって来た時に、まるで弾かれるように近づいてきたのがシメオンとアンナです。シメオンは幼子イエスのもとに歩み寄ると、その子を抱き上げ、誕生をたたえて神に祈りました。つぎにやって来たのがアンナという女預言者です。彼女はアシェル族のファヌエルの娘で、84才になっていたとあります。アシェル族というのはイスラエルの12部族のひとつです。彼女もイエスのもとにやってきて、神を讃美し、人々にこの幼な子こそ皆が待ち望んでいた救い主であることを話して聞かせたというのです。 

◆ シメオンに関して福音書記者のルカは「この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルが慰められるのを待ち望み、聖霊が彼の上にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。」と記しています。彼は「メシアに会うまで決して死なない」と神から告げられていたというのです。

◆ 私たちの人生には、それぞれに寿命があります。しかし誰もその「時」の長さを知ることは出来ません。シメオンもその点では同じです。ただ彼には「メシアに会うまでは」という、はっきりとした目安が与えられていました。そしてその時が訪れたのです。幼子を伴ったヨセフとマリアが神殿に入ってきたとき、シメオンは霊に導かれて、その幼子が救い主であると分かったというのです。幼子を腕に抱いたシメオンは神をたたえて、こう歌いました。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」
シメオンは、この幼子を見いだしたことによって、自分が死ぬときが来たことを知りました。そして感謝と喜びに満ちて、この歌を歌ったのです。この日、この時、エルサレムの神殿には多くの人たちが礼拝を献げ、儀式を執り行ってもらうためにやって来ていたはずです。その中でまだ幼い「救い主」が両親に抱かれてきていることをはっきりと悟っていたのはこのシメオンと、そしてもうひとり女預言者アンナだけでした。

◆ シメオンにとって、メシアとの出会いは彼の死期を告げる出来事でもあるわけです。それでも彼はそれを喜び、心から納得して受けとめました。この時彼が歌ったこの歌は、キリスト教会において神への讃美として長く受け継がれることになりました。この言葉にあわせて様々な曲も作られ、歌われてきました。その中には、教会での礼拝が終わり、会衆がそれぞれの生活に戻っていくときの歌として歌われる場合もありました。すなわちこの歌はシメオンのように人が「人生を去る」ときだけではなく、私たちが礼拝を終えて教会から日々の生活の持ち場にもどっていって、そこでひとりひとりが主を証しし、主に従って働くことを応援する歌、励ます歌としても用いられてきたのです。

◆ しかしながらこの物語を読んでいて、ひとつ疑問に思うことがあります。それは、シメオンが「わたしはこの目で神の救いを見た」というそのしるしが幼子であった、赤ん坊であったということです。「この幼子はイエスだったからではないか」とおっしゃるかも知れません。しかしその相手はたかだか赤ん坊にすぎません。それなのに「この目で神の救いを見た」となぜ言えるのでしょうか。ルカはこの場面でいったい何を言いたいのでしょうか。

◆ 赤ん坊の姿は、人生の出発点を示しています。人がどういう姿でこの世に生まれてきたかを示しています。福音書記者のルカは、シメオンの姿を通して、私たちにもこの赤ん坊の姿に「救いを見る」ことを促しているのでないでしょうか。赤ん坊の姿は、私たちが神の前にあっては赤ん坊のように弱く、小さな存在であり、神の恵みと憐れみの中でしか生きていけない存在であることを示すのです。生まれる前から死の後に至るまで、徹底して神の取り計らいの中に置かれているにもかかわらず、そのことに気付き感謝することの少ない存在であること、にもかかわらず神によって愛され続けている者として、今この時を生かされ生きている、それが私たちであることを、赤ん坊は示しています。

◆ シメオンは幼子を腕に抱いたと記されていますが、ルカはこのシメオンの姿を信仰的な経験を写し取る姿として描いているのです。それは神もまたこのようにして、私たちを抱きかかえていて下さるということを示すのです。赤ん坊を抱くとき、私たちは力の加減とバランスに注意を払いながら抱きかかえます。同じように神の腕の中で私たちは守られ、支えられ、愛されているのだということ、そのことを腕の中に赤ん坊を抱くという行為は教えているのだとルカは言っているのだと思います。
だからシメオンは幼子を腕に抱いて「わたしはこの目であなたの救いを見た」と歌ったのです。そしてこの神の働きを、私たちが今もなお語り伝えていくことを、この歌は求めているのです。シメオン、アンナ、またそれに続く数知れぬ多くのキリスト者たちは、救い主の誕生を待ち望み、それが成就したことに感謝し、そして立ち上がって宣教のわざを担うために、歌い、語り、祈り、行動してきました。その恵みをクリスマスに新たに神から受けたことを覚えつつ、クリスマスからの日々を神の招きと御心に応える者として歩む者でありたいと思います。クリスマスまでの私たちは御子の誕生を待つ者として歩みます。基本的には受け身ですが、クリスマスを迎えたら、その後は神の招きに応答することを求められます。

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