SSブログ

2022年12月4日(日)の説教要旨 [説教要旨]

エフェソの信徒への手紙3章12~21節 「人知を超える愛」 菅根 信彦

★ 今日は、私たち同志社教会創立146年の礼拝を守っています。教会のルーツを遡り、「初心」に返りつつ、教会の使命について考えていきたいと思います。

★ さて、『新島襄と同志社教会』(加藤延雄・久永省一著、1987年)によれば、同志社英学校が開設された翌年、「1876年(明治9年)9月に海老名・宮川・徳富らの熊本バンド30名余りが同志社英学校に転校してきて、校内は俄かに活気を呈し、生徒の数も70名に達した」。「新島はここで機運がいよいよ熟したとみて、教会創立に踏み切ったのである」と記されています。そして、1876年11月26日にラーネッド教師宅において、市原盛宏を仮牧師として「第一公会」が誕生。次いで12月3日には新烏丸頭町の新島宅において、新島襄を仮牧師として「第二公会」が設立されます。さらに、同年12月10日に東竹屋町のドーン教師宅を借りて、本間重慶を仮牧師に「第三公会」が発足します。当時は、3つの公会が「同志社の教会」として生まれます。後に、「第一公会」と「第三公会」が一つとなり、平安教会が生まれます。第二公会、すなわち「西京第二公会」が学園教会として現在の「同志社教会」となっていきます。初代牧師の新島襄の「自由教育・自治教会両者併行」という理念が結実していきました。いやむしろ、「そもそも、教育は宗教と密接の関係ある者にして、教育の基本は宗教にありと謂うべし」と同志社礼拝堂の定礎式の式辞で新島が述べたように、礼拝堂すなわち、礼拝こそが同志社の基礎の一つであったことが教会設立によって示されたと言えます。

★ 同志社及び同志社教会の創立者である新島襄は1864年、21歳の時に脱藩。函館からアメリカに密航し、ハーディー家の支援の中で、アメリカのフィリップス・アカデミー、アーモスト大学、さらに、アンドーヴァー神学校で学んでいきます。10年後(明治7年)に31歳で帰国。日本にキリスト教主義大学の設立をその生涯の使命と感じて、宣教師ゴードンや明治政府の木戸孝允の協力で、翌年1875年11月に京都同志社英学校を開校します。その後も人材の育成と教会の設立や学校経営のために全国、また、海外を走り回りその生涯を駆け抜けていきます。心臓病を患いながら、体に無理を重ねて、腹膜炎を併発します。徳富蘇峰の手配で、気候が穏やかで暖かい大磯の百足屋旅館に滞在し、1890年1月23日午後2時20分に46歳と11ケ月で神のもとに召されていきました。

★ 新島が百足屋旅館の別邸で自分の死期をさとり、1月21日に遺言を伝えた後、この日、今日のテキスト、エフェソの信徒への手紙3章を弟子の小崎弘道に読んでもらいます。そして、最後のフレーズである3章20節にきたときに、もう一度12節と20節を読むようにと指示をいたします。その言葉が今日の聖書個所のエフェソの信徒への手紙3章12節以降~21節です。この逸話については、本井先生にお願いし、三冊ほど資料によって間違いないことを確かめていただきました。

★ その中の一冊、森中章光編『新島襄先生詳年譜(改訂補強版)』(同志社・同志社公友会1959年)の明治23年(西暦1890年)1月21日の個所にはこのように記載されています。「1月21日・・・この日、小崎弘道に新約聖書エペソ書第三章を読ましめ、その12節『我等キリスト・イエスに在って之を信ずるにより、臆せざることを得また憚ることなくして神に近くことを得たり』また、二十節『願わくば我らの中にはたらく能力に隨(したが)ひて我らの凡て求むる所、すべて思ふ所よりも甚(はなはだし)く勝ることをなし得る者に』を最も味わい二度読ましめる」とあります。さらに、『新島先生就眠始末』(復刻版 山岡家文書刊行保存会1996年/原書1890年4月刊)の中の「葬儀の模様」の一節に「小崎師の説教中先生の将に眠りに就かれんとするや、小崎師を呼び以弗所(エペソ)書三〇十二、二〇を二回読ませしめしこと・・」と綴られています。新島が最後に聞いたみ言葉が3章12節と20節であったということです。

★ 特に、この20節は頌栄です。『殉教の教育者 新島襄先生に生涯』(教育報国編 森中章光著437頁)によれば、20節に至るや新島は「唯だこの力である。この力ある神によりて御業をなせ」と強く言ったとあります。私の亡き後、人知を超える神の力によって全てを行って欲しいとの思いを抱いたと言われています。新島は学校や教会の行く末を私たちの内に働き神の御力によって、門下や弟子たちに託さざるを得なかったと思います。

★ その胸中は大磯の最後に詠んだ漢詩「庭上の一寒梅」にも表れています。
「 庭上の一寒梅 笑うて風雪を侵して開く 
争わずまた力ず 自ら占む百花のさきがけ 」
新島は大磯の温かい地で、庭(愛松園)にほんのり白くほころんだ寒梅を見て、争わず力まず、自然体を貫くように生きるその姿と自分の病身の姿を重ね合わせているようにも思います。それは、まさにエフェソの3章20~21節にある「人知を超える神の力に」委ねて行こうとする心情に通じるものがあるように思います。自分の力や自分の願いや自分の思いを超えた、その力にただ、委ねていく一人の牧師・教育者の心の表れ、信仰の佇まいを読み取ることができます。

★ ところで、エフェソ書の著者は、人知を超えた神の力を知ることとは「キリストの愛」を知ること、その豊かさに触れることであると言います。もちろん、キリストの愛は、私たちの考えを遥かに超えるものです。その愛を知ること、その愛に触れる時に、12節のように「大胆に神に近づくこと」が許され、20~21節の最後の祝福の祈りの言葉のように、神の力に支えられて生きること、栄光を神に帰していくことに繋がっていくわけです。おそらくエフェソ書の著者は、ゴルゴダの丘に立ったあの一本の十字架、あのイエスの十字架の極みにある愛こそが、人知の範囲での人間的な愛に終止符を打ったこと、そのイエスの姿にいまだかつて知ることのできなかった愛があったことを示しています。この「愛」は、原文ではもちろんアガペーという言葉が用いられています。十字架の出来事に示される「無償の愛」です。そして、このキリスト愛の広さ、長さ、高さ、深さ理解するように生きることを促します。新島もまた、このキリストの愛に触れ、その愛に応え、志をもって、時代を駆け巡り、最後は神に栄光を帰す生涯を終えていったのだと思います。

★ 創立146年記念礼拝において、改めて学園教会として、創立から抱く志を確かめ、その使命に応えていきたいと思います。「人知を超える愛」に支えられ、全ての業を神に栄光を帰していく歩みを続けていきたいと思います。

2022年12月18日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2022年12月18日(日)午前10時30分
降誕前第1主日・待降節第4主日
於:栄光館ファウラーチャペル
説 教:「恐れることはない」
              伝道師 大垣友行
聖 書:ルカによる福音書1章26〜38節
招 詞:イザヤ書40章4〜5節(口語訳)
讃美歌:24,243(1・3節),96(1・3節)
    175(1・3・5節),91(1節)
    ※下線部は旧讃美歌、聖歌隊による賛美です。

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://www.doshishachurch.jp/home/weekly

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。