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2022年2月20日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2022年2月20日(日)午前10時30分
降誕節第9主日
於:栄光館ファウラーチャペル
説  教:「易しさを見誤るな」
              牧師 望月修治
聖  書:マルコによる福音書2章1〜12節
招  詞:ヤコブの手紙5章15〜16節
讃 美 歌:24,156(1・2節),445(1・2節),524(1・2節),91(1節)
◎聖餐式を行います。
◎礼拝後、聖歌隊による「庭上の一寒梅」の合唱が行われます。

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
※メールアカウントの種類によっては、こちらからのご連絡を受信いただけない場合があります。お申し込みの際にGmail等のアドレスを用いていただきますと、上述のトラブルを回避できる可能性があります。他にも、こちらからのご連絡が「迷惑メール」フォルダ等に振り分けられる場合があります。メールが届いていない場合、ご確認をよろしくお願いいたします。
※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

2022年2月13日(日)の説教要旨 [説教要旨]

ルカによる福音書15章1〜7節 「間抜けな羊飼い」 工藤 弘志

◆「流れに棹さす」という言葉があります。人間、何事も世の中の動きに逆らうよりは、流れに乗ってグイグイと、棹をさすほうが気分がよいものです。そのせいか、昭和十年代の日本のキリスト教徒は、ほとんどが、「天皇陛下万歳」あと大声で叫んで、「天皇を現人神」と拝む天皇制軍国主義の激流に、棹をさしてしまった。
◆ 今になって、戦争中のクリスチャンたちが書いた文章を読んでいますと、信じがたい気持ちになるのですが、私もあの時代を二十代、三十代の元気盛りで生きていたら、力まかせに流れに棹をさして、同じ道をたどったかも知れません。そう思うと、先輩を軽々しく批判することはできない、という気持ちがありますが、そのことを心にとめつつ、当時のあるがままの姿を、もうすこし皆さんに、紹介してみたいと思います。
◆『基督教世界』という、小さな新聞のことはすでにご紹介しましたが、今でこそタブロイド版4ページのペラペラの薄い、それも月1回発行の月刊誌なのですが、明治から戦前までの長い間、毎号12ページ、ときには16ページで毎週発行。ですから牧師が一人、教会を担当しないで、これに専任で当るというほど、組合教会は熱をこめて、この週刊誌を発行してきました。全国紙です。ひじょうに活発な言論活動をくりひろげていました。
◆ 同志社大学人文科学研究所の研究グループの中で、私は昭和前半の、戦時中の十年あまりの『基督教世界』を担当して調べたのですが、その期間だけでも資料は六百冊をこえ、1年かかりました。その中からまず、天皇崇拝や戦争礼賛の、論文や記事をのこらず、ワープロで抜き書きしたのですが、この作業はたいへんでした。抜き書きしながら、愕然としました。その内容が私の予想をはるかに超えていたからです。
◆ たとえば昭和15年、1940年ですが、この年は紀元二千六百年の年でした。国中がお祭り騒ぎで、そのころ私は、東京の本郷に住んでいたのですが、当時5歳でした。おたふく風邪でその祭りに参加できなくて、お神輿の大行列を歩道で見物していた記憶がありますが、『基督教世界』をひもといてみると、その年の1月中旬、組合教会が動き出している。紀元節は2月なのですが、ひと月早く組合教会(会衆派)が乗りだして、「紀元二千六百年記念大修養会」を開催しています。日本基督教団が誕生する一年前のことです。「大修養会」は2泊3日で参加者は三百名。全国から牧師、信徒が集まった。会場はなんと奈良の橿原神宮で、キリスト教徒がここに大集合して、祭りごとをしたのです。
◆ その記事は誇らしげに書いてありました。一同はまず、しずしずと砂利道を踏みしめながら参道を歩いていきまして、三百名のクリスチャンが、神宮の前に立ちまして、祭神である神武天皇にパーンパーンと厳かに柏手をうった。その様子を『基督教世界』が、巻頭の特集記事で数ページにわたって、つぶさに伝えております。
◆ そのときの説教は、ヘブライ人への手紙2章1節から4節がテキストで、説教題がまた仰々しい。「神武天皇の御雄図に答え奉るべき我等キリスト者の道」という長い題名で、今では想像もつかないような説教題です。その説教のなかで、天照大神と、ヤハウェがとけあって、一つになっている。よく読むと天照大神が主役の、独特の信仰世界について、牧師が熱をこめて説教している。今になっては非常に珍しい文章ですが、その文面から、キリスト者が軍国主義の急先鋒に立って、得意になっている表情が見えてくるようでした。その頃の論文やエッセイがまた凄い。今の私たちには書けないような文章が、ぞろぞろ出てきます。
◆ たとえば「天照大神の直系に在す、陛下は実に現人神にてあらせられる」という。これが牧師の手になる文章です。こういうのが何十、何百と出てきます、ページをくるごとに。「天皇の存在は神の摂理である」と断言する牧師もいました。さらに「大君のために祈れば心は燃える」と、一句したためている。私の想像ですが、感涙にむせぶ牧師の表情が、見えるような感じがしました。キリストはどこを探してもなかった。神道にかぶれているというものではない。神道そのものです。
◆ しかし、みんながそうだったわけではありません。当時の軍部を真っ向うから批判した人々も、ほんの一握りですがおりました。キリスト教世界には、柏木義円という人が戦争反対の論陣をはっておりました。一歩もひかない姿勢を貫いています。あるいは戦争を批判して東大教授の職をおわれた、矢内原忠雄という人もおりました。キリスト教の外の一般世間では、ジャーナリストの桐生悠々や、石橋湛山といった人々が、弾圧をうけても屈せず、発禁処分を受けても、抵抗の手をゆるめなかったという、人々が結構いたのです。キリスト教の人たちの姿とは、対照的です。
◆ さらに一般庶民のなかにも、天皇を冷ややかに見ている人々がいました。いわゆる「非国民発言」で検挙された人々です。記録が残っています。それによりますと、ある職人が「戦争なんて陛下が、勝手にやっているのだ」とつぶやいた。それを誰かに聞かれ密告されて捕まった。ある女性は、「子供を育てても、天皇陛下の子供だといって、(戦地に)もっていかれてしまう」と嘆いた。ある農家の人は「天皇陛下はごくつぶしだ」とつぶやいた。これがすべて密告されて、特高に締め上げられて、獄にぶちこまれた。権力はやりたい放題で、庶民はみんな、夫も、息子も、娘も奪われて、仕事も命も奪われた。天皇にたいする悪口は、じつは庶民の悲鳴でありました。
◆ しかし、流れに棹さすキリスト者たちは――もちろん、あの時代は知識人も作家も芸術家も、ほとんど全員が――流れに棹さして熱に浮かされて、威勢のよいことを口走っていましたが、作家の石川達三なんかも、「もはやペンをもって小説なんか、書いているときではない」と、作家が口走るような時代でした。キリスト教徒も、大半が半狂乱でした。
◆ こういう人たちは、戦争反対の声にも、庶民の悲鳴にも、耳を貸そうともしなかった。それどころか『基督教世界』の紙面は、まことに調子がいい。六百数十号分のすべてを、隅から隅まで、広告のはてまで、シラミ潰しにあたりましたので断言できますけれども、戦争反対の論陣を張る者は、一人も登場しておりませんでした。
◆ そういう少数派の声は編集者が、いっさい無視したのだと思います。戦争に反対する仲間にたいしては、これを見下して、ある紙面で、ある牧師が、啖呵を切っている。「この国家非常時にあたって、冷然と対岸の火災視している者ありせば、そは日本国民として望ましき態度ではない」と。さらに、「軍人は武器を以て、新聞記者はペンを以て、労働者はハンマーを以て、学者は知識を以て国に報いつつあるとき、吾らキリストにつける者は信仰を以て、国家に報いんとの覚悟は当然である」と、気炎を上げていました。「報国」ということばがさかんに使われています。「信仰を以て国家に報いる」。当時の牧師たちは、なにを考えていたのでしょうね。
◆ 読んでいると、もう紙面の興奮がとまらないのです。「命を捨てて十字架を負え。それが天皇の恩に報いる道だ」と絶叫するありさまです。「このご時世に、戦争に反対することは、十字架を拒むことだ。グズグズ言ってるときではない。今すぐ立ち上がれ」と、どなり声が聞こえてきそうな文面です。信じられないでしょう、みなさん。しまいには「参加するか、しないか、道は二つに一つ。参加しない者は、人力車夫の貧困に甘んじるしかない。あるいは時代おくれの低能武士にでもなるか」。東京の大教会の牧師が、毒づいていました。
◆ 人力車夫だの、低能武士だのと毒づいて、半狂乱のていたらくです。これが戦争の時代に、平和と正義の理想に燃える日本人キリスト者の、とくに組合教会の牧師たちの姿でした。もっとも他の教派も似たり、寄ったりでしたが。大東亜共栄圏、つまりアジアの平和、世界の平和をさけぶ、いわば九十九匹の大合唱に加わって、戦争大賛成の道をつっ走りました。平和を求めて、人殺しに加担してしまった。皮肉です。一匹のことなど、見向きもしなかった。
◆ 今日とりあげた譬え話は、皆さんもよくご存じの譬え話ですが、私は「間抜けな羊飼い」と、名づけてみました。じっさいイエスは、羊の間抜けぶりを描いているのです。つまり、この譬え話の主役は、羊飼いなのです。羊ではない。なのに昔から、みんな迷子の羊が主役の譬え話だと思いこんで読んできました。間違いです。それは聖書の見出しのせいでもあるのですが、今日とりあげた、ルカの見出しは、「見失った羊」となっていますし、マタイ(18:10〜14)も「迷い出た羊」となっています。どちらも羊が主役であるという印象を与えています。今日はルカの解釈だけを取り上げますが、ルカはなんと、「羊が悔い改めた」という話にしてしまった。素っ頓狂な解釈です。いくら譬えでも、羊はメエー、メエーと鳴くだけで、悔い改めたりはしません。聞いてる方だって、羊が悔い改めるなんて、誰も思いません。
◆ この「見失った羊」のあとにつづく、二つの譬え話は、「失くした銀貨」、そして「放蕩息子」。すべて悔い改めがテーマです。ルカはそういうふうに解釈した。羊が悔い改め、銀貨が悔い改めたという。いくら譬えでも無理です。銀貨など、チャリンと音はするけど、悔い改めるというイメージはわかない。「放蕩息子」ぐらいです、悔い改めに結びつけやすいのは。しかし主役は父親なんです。第一、この道楽息子は本気で悔い改めたのかどうか、すこぶる怪しい。父親もこの息子が、あらかじめ練習してきた改悛の情を示すセリフなんか、半分も聞いていなかった。息子の「悔い改め」ではなく、父親の「無条件の愛情」を描いているわけで、ここがポイントなんです。悔い改めというのは、ルカが強引に作り上げたテーマなんです。
◆ イエスの譬えには、すでに福音書の書き手たちが、勝手気ままに解釈していたわけですが、イエスご自身は、主役である羊飼いの間抜けぶりを描いて、聴衆を笑わせた。笑わせながらメッセージを伝えようとなさった。つまり、話の作りは笑い話なんです。いくらなんでも、九十九匹もの羊をほったらかして、たったの一匹を追っかけ回すような、そんな間抜けな羊飼いは、イエスの時代にも存在しなかった。羊飼いならば例外なく、一匹を捨てて九十九匹を守る。ノコノコ一匹を追っかけまわすような、アホな羊飼いなんていなかった。九十九匹が狼に追い散らされては元も子もない。明らかにこの部分はイエスの創作です。
◆ イエスの時代、羊飼いなんていうのは、まともな親なら息子にやらせようなどとは考えもしない職業だったという。なぜ軽蔑されたか。羊を一日中、あちこち連れ回して、遠出して、人の目を盗んで、人さまの土地の草を食べさせたりしたからです。羊の通った跡は、荒れ果てている。羊飼いは困った連中だと、社会的にはまるで信用がなかった。イエスとほぼ同じ時代の、あるラビの言葉にあるのですが、「自分の息子に、ロバ引き、ラクダ引き、羊飼いになれと教えてはならない。この連中のやり口は盗賊のやり口と同じだ」と、タルムードにあります。さらに、これも、あるラビの言葉ですが、「羊飼いは一般に、(法廷における証人には)不適当である。徴税人は一般に適格である」と。羊飼いは嘘つきで、徴税人よりも始末が悪いという。人々から毛嫌いされていた徴税人よりも、羊飼いは信用がなかった。
◆ しかし遠い昔は、アブラハムもイサクも、ヤコブもエサウも、みんな沢山の羊を飼っていた。創世記の物語に、頻繁に出てきます。カインに妬まれて、殺された弟のアベルも羊飼いでした。中には、羊三千匹、山羊千匹も持つ金持ちもいたという。あるいはモアブの王が貢ぎ物として、イスラエルの王に十万匹の小羊と、十万匹の雄羊を納めたという話が列王記にあります(下3:4)。ソロモン王は十二万匹もの羊を、神殿に捧げたという(列王記8:63)。そういえば、ソロモンの父ダビデも、若き日は羊飼いでした。
◆ しかしイエスの時代は、「主はわが牧者なり」と詩篇に歌われたような(23:1)、羊飼いが社会や経済を支えていたような、遊牧民の時代ではなくなっていました。イエスの頃の羊飼いは、被差別の民でした。その羊飼いを主役にして、イエスはこの譬え話をなさった。笑い話とはいえ、挑戦的なんです。人々の差別感情に切り込んでいます。
◆ 羊飼いが、九十九匹と一匹の損得勘定を忘れて、思わず一匹を追いかけてしまったという。聞いていた人々は、「やっぱり羊飼いはアホやなあ」と思ったはずです。「もしも九十九匹が狼に襲われでもしたら、どうするんだ、このアホが!」と誰もが笑う。そこがこの譬え話の仕掛けです。一匹の尻尾を捕まえようとして、夢中になって追っかけていく羊飼いの、間抜けな姿が、滑稽で笑いを誘う。初めは馬鹿にしてクスクス笑っていたが、聴いているうちに、そういうアホな羊飼いの純な心根に気づいて、聴衆はホロッとする。羊飼いを卑しい奴らだと見下している、そういう世間の偏見をたしなめるように、イエスは無欲な羊飼いの、「愚直の美」というものを讃えて見せた。
◆「神は、この愚直な羊飼いのような方なんですよ」と、イエスは言う。一匹とは、世間が振り向きもしなかった人々のことです。九十九匹を大切にして、一匹を見捨てる。それが人間というものです。しかし九十九匹を守って、もっと大事なものを見失う。人間を見失う。命を見失う。しかし、神は違う。一匹を大事になさる。「神は、この間抜けな羊飼いのような方なんですよ」と、イエスは教えておられます。
◆ 須賀敦子さんという人の書いた『地図のない道』というエッセイ集があります。そのなかに、心に残る逸話が紹介されています。ファンの方もおられるかもしれませんが、とくにエッセイストとして知られる方で、人生の後半は、東京の上智大学で教鞭をとっておられましたが、若いころは留学中のイタリアで長く過ごし、ペッピーノというイタリア人と結婚します。そしてミラノで長く暮らすことになるのですが、そのころ一人の若き建築家に出会う。ユダヤ系イタリア人で、マッテオという。華奢な体つきの青年だったそうで、その青年が結婚した。相手もやはりユダヤ系の女性で、ルチッラという名前で、ブロンドの長い髪の毛をうしろで束ねた、物腰のやわらかい女性だったそうです。二人はキリスト教徒なので、教会で式を挙げた。ユダヤ人なのに、なぜカトリックなのか、あとで分かりますが、とにかく二人は貧乏だった。お金がない。お祝いに駆けつけてくれたみんなに、「新婚旅行は、ミラノの都心から終点まで、地下鉄に乗ります」といって、みんなを笑わせた。
◆ そして1年後に赤ちゃんが生まれ、男の子だった。須賀敦子さんの夫のペッピーノさんが、頼まれて名付け親になって、ジャコモと命名した。さらに二人目の男の子が生まれた。こんどは須賀敦子さんが頼まれて、ジョヴァンニと名づけた。そのジョヴァンニの幼児洗礼のお祝いの席で、須賀さんは初めて、マッテオのお父さんを知った。見れば白髪の紳士だった。あまりにも見事な白髪なので、思わず「おいくつですか」と聞いた。聞いてみれば、白髪ほどの年ではなかった。マッテオのお父さんは、自分の頭を指さしながら、「これは戦争の名残なんですよ」と言って、昔のことを語りはじめた。
◆ 戦争も末期のころ、「ナチスのユダヤ人迫害が激しくなりましてねえ」という。その頃ドイツとイタリアと軍事同盟を結んでいた日本では、さきほどお話しましたように、牧師も信徒も「天皇陛下万歳」と、熱狂的に叫んでいたわけですが、その頃マッテオさん一家は、ユダヤ人狩りに追われて、三人の子供をつれて逃げまわり、「スイスの国境近くを山から山へ、村から村へと、長居は危険なので移動しつづけました」という。
◆ ある晩、息を殺して隠れていた山小屋に、とつぜん人がやってきた。自分たちのことを知る人はいないはずなのに、いったい何者かと思い、恐る恐るドアを開けた。すると村の神父さんだった。「今晩、ナチがユダヤ人狩りにやって来ますよ。危ないから逃げなさい」と、神父さんが忠告してくださった。しかし、「逃げようにも、もうみんなくたくたで疲れている。もう逃げるのは無理です」と言うと、神父さんはだまって外を指差した。見るとなんと、そこに1台のトラックが用意してあった。「お陰であのとき、九死に一生を得ました。逃げて逃げて、夜があけたとき、幼い息子が『パパの髪の毛、真っ白』と言って泣き出しました」という。
◆ 戦後になっても、あのとき命を助けられたことを、このお父さんは、かたときも忘れることはなかった。あの神父さんにぜひお会いしたい。会わなければならない。お会いして、是が非でもお礼を申し上げたい。そして遂に、あの山小屋のある、ふもとの村を訪れました。村の人に「あのときの神父さんは、今どちらにおられるのでしょうか」と尋ねると、「ああ、あの神父さんなら、あの夜、ドイツ軍に射殺されましたよ」と。聞いてみれば、それは私たちを逃したためだった。「そうと知ったときは、体中から血の気が引いていくような思いがして、髪の毛がまた、一段と白くなりました」と、そう言って、お父さんは目に涙をためていたそうです。
◆ この神父さんは、一匹を追いかけた羊飼いそのものです。損得をこえて、おっかけた間抜けな羊飼いです。神父さんは、神の代理人ともいうべきローマ法王が、ユダヤ人皆殺しをさけんでいたヒットラーと握手をしていた時代に、それに逆らうような行動に出てしまった。恐ろしかったはずです。それでも神父さんは、深夜わざわざ山小屋を訪ねていって、名もないユダヤ人家族の命を救った。一匹をおいかけて、人間の命を大事にする間抜けな羊飼いです。この愚直の美しさを、私たちは心に留めたいものだと思います。

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