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2021年8月1日(日)の説教要旨 [説教要旨]

マタイによる福音書5章1-12節 「平和を実現する人々は幸い」 山下 智子

◆ ちちをかえせ ははをかえせ / としよりをかえせ / こどもをかえせ 
わたしをかえせ わたしにつながる / にんげんをかえせ 
にんげんの にんげんのよのあるかぎり / くずれぬへいわを / へいわをかえせ

◆ キリスト者でもあった詩人の峠三吉さんは、今からちょうど70年前の1951年8月、自身の広島での被爆体験をもとに『原爆詩集』を自費で刊行しました。その冒頭には「――1945年8月6日、広島に、9日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ」として、「序」と題する前述の有名な詩が収められています。

◆ 日本の終戦から6年、この詩が発表された1951年当時は、朝鮮半島の主権をめぐり隣国韓国と北朝鮮の間で起こった朝鮮戦争が難しい局面を迎えておりました。峠さんは再びそこで原爆が使用されるかもしれないとの危機感から、病身に鞭打ちこの『原爆詩集』を世に送り出しました。ご存じの方も多いでしょうが、実は朝鮮戦争は現在も続いています。休戦中であるだけで、また終わってはいないのです。日本は平和な国だといわれることも多いですが、本当にそうだろうかと考えさせられます。

◆ 毎年私達は8月第1日曜日を「平和聖日」として大切にしています。この夏、日本は戦後76年の節目を迎えます。特に平和を覚え、平和を祈り求めるこの時にあって、私達は主イエスが示した平和を実現するために今何ができるのかという事を改めてご一緒に考えたいと願います。

◆ 本日の聖書箇所は有名ない主イエスの幸いに関する教えです。山の上で弟子達に教えられたので、「山上の説教」などと呼ばれる一連の教えの冒頭にあります。この幸いに関する教えは、ルカ6:20-26に並行する箇所があります。マタイとルカの大きな違いは、マタイが幸いについてのみの教えであるのに対し、ルカは幸いと不幸についての教えであり、「貧しく、飢え、泣いている人々は、幸い」などだけでなく「富み、満腹し、笑っている人々は、不幸」などとあることです。ルカによるならば、私達は、イエス様の示す幸いと不幸のはざまに生きる存在かもしれないと気づかされます。

◆ 自分にはどうにもならない苦しみの中で、貧しく、飢え、泣く人々に対して、イエス様は神の一方的な憐みと救いが確かに与えられるとの幸いを約束されました。もし今、私達の中に自分には手も足も出ない苦しみの中で、貧しく、飢え、泣いておられる方があるなら、主の約束される幸いは間違いなくそんな皆さんのものです。神があなたと共におられ、あなたは決して見捨てられることはありません。

◆ とはいえ、多くの私達は今現在、虐げられ、自由や尊厳を奪われ、身悶えして苦しんでいるわけではないかもしれません。それでも私達がいつかそんな状況に陥ることもありえることを思えば、この主の幸いの約束は、とても心強くうれしいことです。しかし同時に主イエスは、もし私達が貧しく、飢え、泣いている隣人達を忘れ、自分本位な目先の幸いばかり考え、自分だけ富み、満腹し、笑うならば、それは神の与えて下さる真に豊かな幸いを自ら拒むような大きな不幸であると厳しく示しています。私達はともすると、この主の示す不幸な状況に陥ることも大いにあり得るわけです。

◆ このようにルカで主イエスの示す幸いと不幸のはざまを右往左往しながら生きている場合の多い私達ですが、マタイを見てみると、そんなはざまを生きる私達にも、イエス様はさらなる幸いを約束して下さっていることに気が付かされます。具体的にはマタイにのみある「柔和な人々、憐れみ深い人々、心の清い人々、平和を実現する人々は、幸い」が、そんな私達に約束された幸いといえるのではないでしょうか。ここから私達には今できること、今すべきことがあると気づかされます。それは隣人に対する愛の行為を積極的に行う事で、主の約束してくださった素晴らしい幸いのただ中を生きるという事です。この幸いは私達が貧しく、飢え渇き、悲しむ隣人達を覚え、その隣人と共に生きることを選ぶときに、約束される幸いだと言えるでしょう。平和聖日の今日、特にこれらの中でも「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」との言葉を大切に受け止めたいと思います。

◆ 最近「トリガー」という言葉を耳にします。もともとは「銃の引き金」を指しますが、引き金を引くと、弾が出て、的に命中、という一連の出来事が起こることから、最近では物事を引き起こす「仕掛け」を指す言葉として使われています。8月第1日曜日を平和聖日とするのも、私達が「平和を実現する人々は、幸い」であるとの主の約束を忘れずにいるための一種のトリガーと言えるでしょう。しかし年にたった1日平和を覚えるだけでは、残りの364日も平和を実現するために歩み続けるための仕掛けとして十分ではないように思います。今日の平和聖日を機に、私達が毎日平和を覚えそれを実現する歩みを忘れることがないように、ぜひ自分なりのトリガー、仕掛けを考え工夫できればと願います。

◆ 例えば私達は毎日おいしくご飯を頂きます。その一方で戦中、戦後には日本の人々が本当に飢えており、小さな子ども達などそのことが原因で亡くなられた方もたくさんいらしたわけです。また現在でも世界の中で、日本の中で、経済的な貧しさにより、あるいは精神的なつらさや、肉体的な病を抱え、おいしく安心してご飯を食べられない人々がいます。みんなが楽しく分かち合って食べ、心身満たされるということは、イエス様の5000人の給食の奇跡をみても、イエス様が社会から疎外された人々と積極的に食事を共にしたことを見ても、主の目指した平和につながる第1歩と言えるようなことです。 ですから日に1回、食前の感謝の祈りの中で、様々な事情で食べられない人のことを思い起こし祈るといったようなことが、私達が平和を実現するための日々の取り組みとしては考えられないでしょうか。これはコロナ禍にあっても、私達が誰かと食事を分かち合い共にする事にもなるでしょう。

◆ キリストの平和とはどのような平和でしょうか。世界に戦争がないこと、日本の私達が戦争の悲劇を二度と繰り返さないことは絶対でしょうが、キリストの平和はさらに完全な平和です。すべての命が尊重され、大切にされ、安心して共に生き生きと過ごせるそんな平和です。主イエスはそのような平和な世界を、天の国という言葉で示しました。天の国は、天国、神の国ともいわれます。イエス様のいう天の国、天国は死後の世界だけをさす言葉ではありません。むしろ私達が生きているこの世の事です。私達が生きる現実は、戦争はもちろん、思いがけない災害や出来事によりたちまち生き地獄のような悲惨な状況に陥ります。76年前、広島や長崎がたちまち悲惨な生き地獄となったように…。生き地獄があの世の事をさすのではないように、イエスの示す天国は、私達が生きている今の事であり、いわば生き天国のことです。私達の生きるこの世界を、神の愛の支配が隅々まで行き渡り、すべての人々が立場や考えの違いを乗り越え、互いに愛し合い、大切にし合うことのできる天の国とすること、真の平和を実現することがイエス様の目指したことです。

◆ そのためにも私達は今、戦争につながりうる、ありとあらゆる危険な萌芽、とくに命の軽視に注意深くありたいと願います。過去の戦争の悲惨さに学び、現代において人間の尊厳が踏みにじる様々な事柄にそれを重ね、理解する想像力や共感力、再び力ある者達により非人道な暴力が正当化され繰り返されないために、祈りつつ「にんげんをかえせ」と声に連帯する行動力が求められているのではないでしょうか。このことを日々心にとめつつ、主が示された平和を実現する豊かな幸いのただ中を、共に歩みたいと願います。

2021年8月15日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

2021年8月15日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第13主日
説 教:「親と子」
            牧師 望月修治
聖 書:マタイによる福音書 12章43-50節
招 詞:コロサイの信徒への手紙 3章23-24節
讃美歌:29, 165(1,2節), 543(1,3節), 524(1,2節), 91(1節)
礼拝場所:栄光館ファウラーチャペル
◎聖餐式を行います。

(オンライン礼拝視聴申し込みフォーム)
https://forms.gle/JnJshLvcWuMekSFR6
(礼拝式順序(週報)ダウンロード)
https://sites.google.com/view/doshisha-church/

※オンライン礼拝への参加(視聴)には、事前にお申し込みが必要です。上記フォームからお申し込みいただきますと、以降、毎主日(日曜)の礼拝配信URL(毎回異なります)をお送りいたします。
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※当日の配信は午前10時25分ごろから始まります。ご視聴の準備をしていただき、礼拝の始まりをお待ちください。
※お手元に聖書・讃美歌集をご用意の上、礼拝にご参加いただけましたら幸いです。同志社教会では、聖書は日本聖書協会『新共同訳聖書』を、讃美歌集は日本基督教団讃美歌委員会『讃美歌21』を使用しています。

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