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2018年12月16日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2018年12月16日(日)午前10時30分
降誕前第2主日・待降節第3主日
説 教:「深まる闇に輝く希望」
牧師 髙田太
聖 書:ゼファニヤ書3章14〜18節
招 詞:ルカによる福音書1章19節
交読詩編85;2-14
讃美歌:25,230,237,233,91(1番)

2018年12月9日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2018.12.9 イザヤ書55:1-11 「異なる思い・異なる道」      望月修治     

◆ キリスト教は「道の宗教である」と言った人がいます。例えばヨハネによる福音書(14:6)には「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」とイエスが語ったと記されています。教会でも「求道」とか「伝道」というように「道」という言葉が使われます。旧約聖書には、この「道」という言葉が600回近く出てきます。旧約聖書の信仰もまた「道の宗教」です。イザヤ書の40−55章には第二イザヤと呼ばれる預言者の言葉が記されています。ここでも「道」という言葉がキーワードになっています。40章の冒頭には「主のために、荒れ野に道を備えよ」、「荒れ地に広い道を通せ」と語られており、そして今日読んでいます55章にも8節と9節に「わたしの道」ということが記されています。これ以外にも、第二イザヤに帰せられる文書には「道」という言葉が重要な意味で使われています。それは第二イザヤと同時代の人々がどう生きるべきなのか、どの道を歩むべきなのか迷い、逡巡し、揺れ動き、混迷を深めていったからです。紀元前6世紀の後半のことです。

◆ イスラエルの人々にとって紀元前6世紀という時代は国が滅びるという苦しみを味わった時代でした。紀元前597年、イスラエルはバビロニヤとの戦いに敗れ、エルサレムの町も神殿も破壊されました。そして主な指導者たちや技術者は砂漠を越え、遠く一千キロ近く離れたバビロンの地まで連れて行かれ抑留されました。これがバビロンの捕囚と呼ばれている出来事です。捕囚の時代は紀元前538年にペルシャ王キュロスによってバビロニアが滅亡するまで半世紀を超えて続くことになります。捕囚期という時代は、イスラエルの人々にとってすべてがはぎ取られてしまった時代でした。ただしかし、それは物質的な荒廃を必ずしも意味していたわけではありません。パレスチナに残留した大部分の人々のうちには旧地主の土地を手に入れた者もあり、知的・宗教的生活も継続されました。捕囚民にしても、居住地域を与えられ、家を建て、家庭を営み、宗教行事も許されました。

◆ 問題は心の退廃、心の砂漠化にありました。バビロンの町へと移送された人々は、そこでバビロニアの異教の神々を見せつけられ、自分たちの神ヤハウエには、もはや力はないのではないか、自分たちの信仰は過去の遺物ではないかという絶望感にうちひしがれたのです。50年以上に及ぶ捕囚の生活の中で、疲れ果て、自分たちが進むべき道を全く見いだせないで、異国の空のもとで「乾ききった」荒れた生活をしていたのです。その人々の中に、のちに第二イザヤと呼ばれることになる人物もいました。彼もまた長く続く苦難の中で語るべき言葉を失っていました。神はその彼を預言者と召し出しそして言葉を与えたのです。その名前は今日に至っても不明です。ですから私たちはこの預言者を「第二イザヤ」という仮の名で呼んでいます。イザヤ書40章から書き起こされたこの無名の預言者の言葉の最終章が今日読んでいる55章です。

◆ 50年を超えたバビロンでの捕囚の生活からの解放はペルシャの王キュロスがバビロニアを滅ぼすという外圧によってもたらされることになりました。しかし多くの同胞たちはエルサレムに帰ることに同意しようとはしませんでした。エルサレムが荒れ果てていることはバビロンにいるイスラエルの人々が以前から聞いてきた情報でした。加えてその荒廃したエルサレムに行くまでには長く危険な沙漠の旅をしなければなりません。そのことを思うとき人々の心は萎えて行ったのです。

◆ 6節に記された「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに」という預言者の呼びかけはこの危機の中で発せられた叫びです。バビロンから解放されたのに、どうしたらいいのか迷い間違った道へと歩みを進めようとする人々に「こっちだ」と道を示す案内人の声です。人々が神を見失なおうとしている時こそ「神を見いだしうるとき」であり、この危機こそが「神に立ち帰る」チャンスなのだと第二イザヤは確信したのです。「立ち帰る」、それがキーワードです。聖書に語られている信仰はたえず「立ち帰り」としての信仰なのです。それは背くか背かないかではなくて、「後で考え直して」信じるか信じないかが大事なのだということです。どれほど間違った道をさまよってきた者も、「後で考え直して」立ち帰ることが出来るということこそ、神の招き方なのです。

◆ 加えて55章はもう一つ重要なことを語っています。「後で考え直して立ち帰」ったら、それでいいよと赦し受け入れてもらえる、その神と人間との関係はすべて神の招きからはじまるということです。前半の1〜5節には「来るがよい」という神の招きの言葉が繰り返されています。神と人間との関係は、すべて神の招きから始まるのであって、人間が神を招くことから始まるのではありません。神がアブラハムを、モーセを、あるいは預言者たちを招き用いたのです。そしてイエス・キリストは「罪人を招くために来た」と語りました。イエスはその言葉の通り、自分から出かけ、ガリラヤ湖畔で、収税所で、あるいは道端で、そこにいる人に目をとめ、呼びかけ「わたしに従って来なさい」と招きました。決してその逆ではありません。

◆ さらに付け加えますと、この55章1節以下の呼びかけは、市場の物売りの威勢のよいかけ声を真似た表現なのだと言われます。だとすれば冒頭の「渇きを覚えている者は、水のところに来るがよい」という表現は、「さあさあ、のどの渇いた者はいないか!よっといで!」というかけ声のようになるかも知れません。しかしその後に続く言葉は物売りの言うこととは違っています。なぜなら「銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、値を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」というのは「お金がない者も来て、穀物を買ってたべるがよい。来てお金を払うことなく穀物を求め、代価なしでぶどう酒と乳を買え」と言っていることだからです。お金を払わずにもらうことを「買う」とは言いません。代価を払わないで買えというのは明らかに矛盾しています。けれど「お金がなくても来て穀物を買って食べるがよい」と言っているのです。ここで言われている「水」「穀物」「ぶどう酒」「乳」というのはいずれも神のもとにあるもの、神の恵みを表しています。

◆ では神の恵みは無償で私たちに与えられるのか、確かに私たちは代価を払わずにその恵みを受けることが出来るというのです。しかしそれは無償だから、ただだから代価を払わなくてもいいということではありません。なぜならあくまで「買え」と言われているからです。ということは代価を誰かが払っているのです。第二イザヤはその誰かについて53章で語っています。「苦難の僕」と私たちが呼ぶひとりの僕の存在が55章の「代価を払わないで買え」という表現の矛盾を解き放つのです。この僕は「自らをなげうち、死んで、多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをした」のだと語られています。それは私たちの思いを遙かに高く超える神の思いを伝えてくれるのです。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なる」「天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」

◆ 第二イザヤの時代から500年余り後、ユダヤの人々は第二イザヤの残した言葉を闇の中に輝く光のように読み直すことになるのです。イエスの十字架の死の意味を探し求める中で、このイザヤ書の言葉を見いだし、十字架のイエスこそ救い主なのだという告白に立って生きる者となっていったのです。そして私たちもまたそのイエスの誕生を祝うために今、待降節・アドベントの時を歩んでいるのです。

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