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2017年8月27日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2017.8.27 ローマの信徒への手紙12:9-21「福音の働き-ラオスの教会」 原 誠    

◆ わたしは、8月13日の聖日礼拝をラオスのヴィエンチャンの教会で守りました。わたしにとっては14年前の2003年に続いて2度目のことです。わたしの神学部での専門は、日本のキリスト教の歴史なのですが、同時に東南アジア、東アジアのキリスト教の歴史にも深く関心を持って学んできました。わたしたちは、多分、特別なことがないかぎり東南アジア、またラオスについて、そしてそれらの国のキリスト教について関心を持つことはないでしょう。日本では1945年8月に戦争が終わって平和になったと思っていますが、インドシナ半島ではベトナム、ラオス、カンボジアを植民地としていたフランスが1954年に撤退し、そのあとにアメリカが介入して独立のための戦争か始まりました。そして1975年にベトナムは南北統一し共産主義の国になり、同時にラオスも共産主義の国になりました。ラオス人民民主共和国です。政府は宗教に関しては厳しい政策を取り、仏教寺院も非合法となりました。それまで教会が持っていた学校、病院などを含めてすべてが国有化されました。現在の人口は約700万人、海がない内陸の国で、一般的にはタイと同じく南方上座部仏教の信徒が60パーセントで、民族としてはラオ族が60パーセント、それ以外にモン族やラフ族などの少数民族が40パーセントです。特にベトナム戦争の時代、多くのモン族はアメメリカ軍の傭兵として戦い、その中にはキリスト教化した村も大勢あったことから、戦後、多くのモン族の人々は報復を恐れて海外に亡命しました。ベトナムやラオス、カンボジアからの難民があふれました。ボート・ピーブルと言われた人々です。またこのとき、すべてのプロテスタント教会の牧師は亡命しました。たった一人残った牧師がいましたが、彼は刑務所に入れられました。資料によりますと、この時に450家族、2500人がタイに逃げたとされています。

◆ 共産党政権が安定したのでしょうか、1990年、政府は宗教の活動を認めました。この政策変更は同じ年にベトナムでもなされました。政府はキリスト教のうちカトリックとセブンスデー・アドベンチスト、そしてラオ福音教会の3つの教会の活動を認めました。つまり共産化したことによって、一度、死んでしまったキリスト教がこの時に活動を再開したのです。とはいえその活動は厳しい制約のもとにあります。牧師は教会の敷地、境内のなかでは説教をすることができ、また聖書の学びを指導することはできますが、一歩、外に出て町中での宣教活動、伝道活動をすることは認められていません。また厳しい監視と統制の下に置かれ、すべて政府に報告しなければなりません。

◆ 驚くべきことはそのような社会でありながら、毎年、5000人の人々が洗礼を受けてくクリスチャンになっているという事実です。14年前は1つの教会でしたが、今はヴィエンチャンに3つの教会があり、それぞれの教会のなかには信徒のリーダーシップによる、いわゆる家の教会が10~15あり、ここで信仰の養いと交わりがなされるのです。信徒のリーダーがその地域の人々を自分の家に集めて、そこで聖書の学び、交わりのときをもちます。つまりここでは牧師が出かけて行って聖書の話をすることができないからです。14年前に会ったラオ福音教会の議長のカンポン牧師、今回、話を聞くことができた副議長のカムデン牧師が強調しているのは、ラオスの仏教寺院は人々に対して働きかけるプログラムを持っていないといいます。町のなかではタイと同じく僧侶が托鉢をして回っているのを見ることができますが、仏教寺院は人々の思い、訴えに対して宗教としての答えを出していないのだと言うのです。14年前、ラオスのGDPは年500ドル程度という貧しい国でした。その貧しさの中にあっても、やはり家庭のなかでの飲酒によって起こる家庭内暴力、夫婦の不和、子どもの虐待など、現実の厳しさ、苦しみ、これらは思うに経済的貧困であるばかりでなく、まさに人間が生きているその出来事の只中で、だれが、何に対して、どのように答えようとするか、という基本的な課題だといえると思いますが、ラオスの仏教寺院はそのような人々の魂の飢えに対してメッセージを発していないと言うのです。それに対して教会の中にある、家の教会、つまり地域の信徒の活動のことですが、いわば「井戸端会議」のようなものといえそうですが、そこで現実にさまざまな困難に向き合っている人々が、そこで自分が自分として受け入れられ、仲間がいる、というそのことが、教会の活動の基礎になっているといいます。そして牧師は教会には活動のプログラムがあることと、何よりも大きいことはそこでなされる「仲間の連帯」(フレッドシップ・ランチョン)であるといいます。こうして現在は900の教会と家の教会があり、現在の信徒数は20万人ということです。因みにわたしたちが属している現在の日本基督教団の統計では1700の教会と伝道所があり、信徒数は17万人です。

◆ 8月13日の礼拝は9時15分から始まるからと言われて、9時までに教会に到着していましたが、礼拝が始まるまでの時間、ギター、ドラムス、ピアノとボーカルによって讃美歌の練習をかねて繰り返し歌い、また祈りを重ね、そして礼拝が始まりました。OHP によってスクリーンに聖書の箇所や讃美歌が投影されます。聖書は一人1冊というわけではありません。また讃美歌も製本されて出版されているわけでもありません。説教題は「永遠の命の水」(ヨハネによる福音書4章1~14節)でした。説教は約30分でしたが礼拝が終わったのは2時間後でした。礼拝と説教の基調は、「招き」「慰め」「癒し」「希望」、そして「愛」ということのようでした。礼拝に出席していた人々は約400人でした。その中では中国語と英語の同時通訳がなされていました。

◆ 牧師によれば、自ら信仰を言い表して洗礼を受けるのは個人の回心によるもので、家族のなかでクリスチャンは一人だけというケース、あるいは家族の力関係などによって洗礼を受けることはできないが確かな信仰を持って教会の礼拝に参加している人も数多くいる、といいます。以前、国立ラオス大学の教授で共産党員、そして家の教会のリーダーである信徒に会いました。またさまざまな礼拝や集会には警察官が当然入っているのですが、牧師によればその警察官が信仰を求めて教会に来るようになり洗礼を受けたとも言っていました。

◆ 14年前、カンポン牧師からさまざまな状況について説明を受けていたとき、わたしがこのラオスの教会の置かれた政治的、社会的状況をふまえて「羊飼いが羊を生むのではなく、羊が羊を生み出しているのですね、羊飼いは羊を生めませんから」、つまり伝道は信徒が行うということですが、彼は本当にその通りだと言いました。ラオスの置かれている状況のなかで、福音が語られ、その力によって生きている人々がいます。神との「和解」、人々の暮らしのなかでの「和解」です。ラオスの教育レベル、経済状況、政治の制度は厳然としてあるものの、それらを超えた福音の出来事が実現しようとしています。一度、死滅したかのような状況のなかで、イエス・キリストの福音の力は多くの制約のなかにありながら、実に生き生きと働いています。神の言葉は制約されないのです。「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。(イザヤ書40章8節)」。「言葉はつながれていません。(IIテモテ2章9節)」。日本とラオスの置かれた事情や歴史的背景は違いますが、わたしたちの使命は何かということについて、強いインスピレーションが与えられました。福音は生きる力なのです。


2017年9月10日(日)の主日礼拝 [主日礼拝のご案内]

次 週 の 礼 拝
2017年9月10日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第15主日
説 教:「最初のアダム・最後のアダム」
牧師 望月修治
聖 書:コリントの信徒への手紙Ⅰ15章35-52節
招 詞:列王記上3章10-12節
交読詩編 :104;24-35
讃美歌:25、208、224、196、91(1番)

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