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2015年7月5日(日)の説教要旨 [説教要旨]

説教要旨2015.7.5  使徒言行録20:7-12 「眠りこけた青年」                  

◆ 使徒言行録は、ルカによる福音書を書いたルカが、イエスが十字架に架けられ処刑され、3日目に復活したという出来事を体験した弟子たち、イエスと行動を共にしてきた人たちが、その後どのように歩み、そして教会が生まれ、広がって行ったのかを物語ったものです。

◆ 使徒言行録が伝えるところによれば、教会はごく初めの時期から内部に抗争や対立が起こりました。 イエスを救い主だと信じる、その点は共通していながら、なおユダヤ教の伝統に従ってキリスト者となっても割礼を受けることは必要だと主張しユダヤ教の伝統に従おうとするグループと、イエスはユダヤ人だけではなく全ての民族の救い主であると信じるグループの間との対立です。 

◆この困難な問題に方向を指し示したのがペンテコステ、聖霊降臨の出来事でした。ルカはそう受けとめ、使徒言行録にこの出来事を書き記したのです。2章1節以下の箇所で特徴的なことは弟子たちが「他の国々の言葉で話しだした」ということです。このことは、ユダヤという枠を遙かに超えた世界の広がりを思い描かせます。教会はユダヤの枠を超えて全世界にイエスの福音を宣べ伝える働きへと招かれているのだとルカは言うのです。

◆ 教会の本来あるべき姿として、ルカはもう一つのことを語っています。教会の信徒たちは全ての物を共有し、財産や持ち物を売り、おのおの必要に応じてみんなでそれを分け合ったというのです。教会のはじまりの姿はこうであったと語ることで、ルカは本来あるべき姿を示そうとしています。全てを共有するというのは、ただ物品を共有しているということではなく、「全てのものが共に交わり、参加し、共有する」ということであり、そういう姿こそ教会の本来の姿なのだとルカは言うのです。

◆ 使徒言行録の1章には、さらに弟子たちがイエスを銀貨30枚で売り渡した裏切り者のユダの跡継ぎ選びをし、マティアという人物を選んだことが記録されています。何故、弟子たちはあえて裏切り者の席に座る跡継ぎを選んだのか。それは、イエスはユダも選ばれた、神はユダをも受け入れられた。教会はそのことを受け入れて、そこから出発しなければならなかったからです。人間の弱さ、醜さ、情けなさ、不信仰があらわになって、それが自分だと分かって打ちひしがれるほかなくなった時、その時にこそわたしはあなたに向かって働くのだ、あなたを受け入れ、支えるのだというのがイエスの十字架を通して明らかにされた神の決意であり、意志なのです。だからユダの席を空席にしておくことは出来なかったのです。そのことを基としてしか教会は生まれ得なかったし、もしそのことを忘れたら教会は、そこに集う者を新しい人間へと変える天の風、聖霊と呼ぶ神の働きを受けとめる窓を閉じてしまうことになるのです。

◆ 使徒言行録の前半部1章から12章には、ペトロを代表格とするイエスの直弟子たちが使徒として試行錯誤しながら教会という群れを形成して行く姿が記録されています。そして13章から26章の後半部では、パウロが担った異邦人への宣教、小アジアからギリシア・ローマというヨーロッパ世界において、3回にわたって行った宣教旅行のことが語られています。前半部は、教会のあるべき姿としてルカが描いた二つのうちのひとつ、全てのものが一緒に参加し、つながり合い、共に働く「交わり」としての教会を形づくる、そのために苦闘した使徒たちの活動が物語られています。

◆ 一方後半部はユダヤという枠を越えてイエスの福音が世界に伝えられ広がって行った、そのことがパウロの活動に焦点をあてながら語られています。今日の箇所は、3回目の宣教旅行が終わりに近づいた紀元55年の後半、パウロが小アジアの港町トロアスに滞在していた時に起こった出来事が物語られています。ギリシアで三ヶ月ほど過ごしたあと、地中海を船で小アジアのシリアに渡ろうとしたのですが、妨害にあって、陸地沿いに旅をして小アジアに少し入った位置にあるトロアスに到着します。そこに7日間滞在したパウロとその一行は、いよいよエルサレムを目ざして明日出航するという日、みんなと一緒に集まって礼拝をしました。「週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは人々に話しをした」(7節)とあります。これは当時の礼拝です。説教とパンを裂くことが初期の教会の礼拝の内容であったことが分かります。そして、この時の礼拝はある家の3階で行われていました。今日で言えば少し人数の多い家庭集会のようなイメージでしょうか。そのような雰囲気でこの日も人々は集まり、パウロの話を聞いていたのです。

◆ パウロはトロアスに1週間滞在して、しかしもう2度と来ることはないと分かっていたので、自分が伝えたかったことをすべて話そうという気持ちになっていたのだと思います。話は延々と夜中まで続きました。パウロは一人で語り続けたのでしょうか。9節に「パウロの話が長々と続いたので」とありますが、ここで「話す」と訳されている言葉は「語る」あるいは「レクチャーする」「講義をする」という意味ですので、ペトロは熱く語っていたということです。それから11節にも「夜明けまで長い間話し続けて」とありますが、この「話し続ける」というのは「会話をする」「話し合う」という意味の言葉です。ですからこの日話が長々と続いたという、その経過は、パウロがまず熱く語り、そしてそれを聞いていた人々も、熱っぽくパウロと語り合って、時間がいつの間にか経っていって、気づいたら夜明けだったということだったではないと思います。当時の家の教会、初期の教会の人たちの熱気が伝わってくる場面です。

◆ ただしかし、少し気張り過ぎたかも知れません。ひとりの若者が居眠りをしてしまいました。その場の熱気に魅かれつつ、しかしふと意識が遠のき、うとうとと心地よく眠りに入ったのです。ただ、運悪く彼は窓枠に腰をかけていました。バランスを崩して階下に転落してしまいました。「起こしてみると、もう死んでいた」と書かれています。礼拝中に、あるいは説教中に誰かが亡くなってしまったとしたら、それこそ一大事です。対応に追われて礼拝も終了、普通はそのような経過を思い浮かべます。しかし20章の記事は実に淡々と書かれています。ちょっとしたトラブルが起こったので対応しました、といった書き方です。10節、11節です。「パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。『騒ぐな。まだ生きている。』 そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。」というのです。

◆ ルカはなぜエウティコという青年のエピソードをここに描き込んだのでしょうか。その理由を読み解く鍵は10節の「騒ぐな」というパウロのことば、そして12節の「人々は生き返った青年を連れて帰って、大いに慰められた」と記されていることにあるかも知れません。今日の箇所はパウロが第3回目の宣教旅行を終えようとしていた時の出来事です。彼はイエスの十字架の出来事とそして復活されたことを繰り返し人々に語りながら宣教の旅をしてきました。十字架というどん底の出来事をイエスは味わいました。しかしそこから事態は180度変わる。そのことを示したのが復活という出来事でした。神は人が生きるということに寄り添い、そのように具体的に「騒ぐな、大丈夫だから」ということを示し、生きよと促して下さる。パウロはそのことを深く味わい、思い、知り、受けとめた。その神からの生きることへの「だいじょうぶ」をパウロは伝えたかった。そしてトロアスで、たまたま起きた転落事故があって、パウロが「騒ぐな.まだ生きている」と言い、青年は生き返った。トロアスで一緒に礼拝していた人たちも神の「だいじょうぶ」をそこで納得した。だから夜明けまで熱く語り明かしたのではないか。そして「大いに慰められた」のではないかと思うのです。

2015年7月19日(日)の説教要旨 [主日礼拝のご案内]

2015年7月19 日(日)午前10時30分
聖霊降臨節第9主日
説 教:「真実の協力者」
牧師 髙田 太
聖 書:フィリピの信徒への手紙
 4章1~7節(新約p.365)
招 詞:エゼキエル書36章26-28節
讃美歌:25、3、51、479、91(1番)
交読詩編:97(p.106下段)


※次週の礼拝は同志社女子大学栄光館ファウラーチャペルにて行われます。どなたでもお越しください。

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