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2022年11月6日(日)の説教要旨 [説教要旨]

詩編90編1~12節 「人生の四季を刻んで」 菅根 信彦

★ 私たちはよく四季の移り変わりを人生に譬えます。人の生涯全体(ライフ)を春・夏・秋・冬までの巡り行く円環(サイクル)として解釈するときがあります。この「ライフサイクル」という用語は、もともとは人間の「生活周期」をさし、人間の一生にみられる規則的な繰り返し現象に着目する考え方です。この言葉を有名にしたのは、アメリカで活躍した発達心理学者のエリク・H・エリクソンという人です。彼は、人の一生を「乳幼児期」「幼児期初期」「遊戯期」「学童期」「青年期」「成人前期」「成人後期」「老年期」と8つの発達段階に分けて、それぞれの段階においてどのような身体的・精神的成長が起こるか、それぞれの段階で人がどのような課題に直面し、それらを克服して成熟していくかを分析した人です。この8つの発達段階のプロセスをエリクソンは「ライフサイクル」と呼びました。彼は、人間が終わりの時まで成長し続け、成熟していく存在であることを示しました。

★ さらに、エリクソンは、人の成長は、その人個人だけのものではなく、世代のサイクルがあると見ています。それは決して単独者として、孤立の中で営まれる生ではなく、世代間のサイクルの中で、人生は影響され、あるいは、あるものは継承されるものであることを指摘しました。つまり、「ライフサイクル」は、様々な世代が行きかう、様々な人々が集い生きる、共同性の中で関わり合い展開するものだというのです。

★ それは、教会という共同体を考えても言えることです。そして何よりも、教会は、「ライフサイクル」である生涯全体を神との関わりの中で理解し、神の祝福を受けて歩んでいく共同体と言えます。しかも、教会は「春夏秋冬」という4つの季節のサイクルだけでなく、人間の暮らしを常に、一定の「時間」と「空間」の中で営まれるように、いくつかの区切りをつけて歩むように促しています。教会では「教会暦」というカレンダーというものがあります。今年で言えば11月27日から、教会の暦の最初であるクリスマスを待つ「アドベント」、すなわち「待降節」から一年が始まります。そして、クリスマス以後に「降誕節」が始まり、さらに、イースターから「復活節」が続いていきます。この一定の期間をキリスト・イエスの誕生とその生涯、受難と復活を覚える暦があり、それを「主の半年」と呼びます。そして、その後に聖霊を受けた使徒たちや教会の働きを覚える暦が「聖霊降臨節」と言います。それが「教会の半年」として暦が分けられています。一年間、教会の礼拝に出席すれば福音の内容と教会の働きが分かるようになっています。

★ 考えてみれば、私たちは社会に多くの「通過儀礼」があるように、人生のステージを意識的あるいは無意識の中で区切りながら、時間や空間を移動していると言えます。そのような区切りをつけながら、人は深く自分のいのちを見つめるようにされているのかも知れません。人生の春夏秋冬があるように、また、教会の暦が用意されているように、人は必ず「一定の時」に立ち止まり、根本精神に立ち返るという時の刻み方が必要なようです。

★ 本日の聖書個所である詩編90篇の詩人は、「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」と語ります。この言葉は、まさに、人生の時を、区切りをつけて生きるようにとの促しの言葉です。人間の人生のはかなさを思い、自分は無力で罪深い存在であることを一日一日数え覚えながら歩むこと、神を畏れる知恵の心をもって生きることが促されています。特に、過ぎ行くものである「人間の一生の時間」(「一晩で枯れていく花や草」)と、一方に「永遠なる神」とを美しいコントラストをもって歌っています。この詩編の作者については「神の人モーセの詩」と書かれていますが、おそらく、内容から見て老齢の域に入った人生の経験を積み上げたイスラエルの賢人であったと言われています。バビロン捕囚以後の作品と考えられています。

★ 最初に、詩人は「あなたは世々に私たちの宿るところ」つまり、私たちの永遠の住処であると告白します。自分が神の許から生まれ出た存在であることを語ります。これが詩人の信仰的立場です。さらに、神は人を塵に返し、「人の子よ、帰れ」と語りかけてくれる方であることを強調します。土に帰るとは人間の死を表します。「帰る」の原語は「シューブ」という言葉ですが、「方向を転換する」「戻る」「故郷に帰る」というような意味に使われています。つまり、その出で立ちから帰る期間が人生であると詩人は告げています。そして、その期間は「はかない」と語ります。「人生はため息のようだ」(9節)「瞬く間に時は過ぎ、私たちは飛びされます」(10節)との表現となっています。しかし、作者は、その人生のはかなさ、「人間は有限な存在である」こと、「罪を背負い、重荷を背負いながら苦闘していく弱さ」を覚えつつ、なお、神の前にへりくだり、いのちを与えられていることに感謝できることを暗示しています。その思いが「生涯の日を正しく数えるように」との言葉です。

★ 作家であり社会学者のアン・リンドバークは、『海からの贈り物』という素晴らしい作品を書いています。彼女は人生の後半が始まる頃、しばらく独りで島に行き、昼間は海岸の砂浜で過ごし、机の上で毎夜、浜から持って返った貝殻を手にしながら、来し方を振り返り、将来の生き方を考えていきます。彼女は、5人の子どもを育て、世界の中心とも言えるニューヨークに住み、文筆活動を行い、戦争罹災者の救援事業も手がけていきます。しかし、彼女はある時、自己を見つめて、これから外に向かう自己を調整する必要を感じます。「私自身が調和したい。私の生活の中心にあるしっかりとした軸があることを望んでいる」と語り、彼女は様々な責任を負う中で、自分が調和する一つの軸を求めて、自分を取り戻してことを求めていきます。言葉を変えて言えば、神の恵みを自覚的に更新していくことを求めていきます。アン・リンドバーグも「生涯の日を数える」生き方を取り戻していくのです。

★ 今日は永眠者記念式の礼拝を守っています。皆様の心の中にある先に神の許に召された信仰の先達も、それぞれに与えられた命の「ライフサイクル」の中で、神の前に立って、生かされている自分を取り戻し、折々に自分を見つめて生きようとされた方々です。その恵みに応えて、精一杯、神と隣人に仕え生きようとされた方々です。私たちも人生の四季を彩る神の祝福と導きを信じつつ、折々に人生を立ち止まり、生かされてあるいのちの恵みを数えて歩んでいきたいと存じます。

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