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2016年10月30日(日)の説教概要 [説教要旨]

説教要旨2016.10.30 イザヤ書44:9-17 「薪と木像」 望月修治               

◆ 聖書の神は「見えざる神」です。この「見えざる神」というのが聖書の信仰の特質です。しかし見えざる神であるが故にさまざまな戸惑いや問いかけや疑問を人は抱いてきました。キリスト教会を知らない人がはじめて教会の礼拝堂、特にプロテスタント教会の礼拝堂に、何も拝むべき像がないことに戸惑いを感じることがあると言います。「見えざる神」とはどういう存在なのか。またどこで人はその神と出会えるのか、人は戸惑います。これは旧約聖書における大きな問題のひとつでありました。

◆ 今日の箇所、イザヤ書の44章にもそのことが語られています。イザヤ書の40以下には紀元前6世紀に起こったバビロン捕囚も末期に捕囚の地で活動した無名の預言者、仮に第2イザヤと呼んでいる預言者の言葉が記されています。44章15-16節にこう記されています。「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き,その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。」「また、木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり、食べ飽きて身が温まると、『ああ、温かい、炎が見える』などと言う。残りの木で神を、自分のために偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う。『お救いください、あなたはわたしの神』と。」
同じ一本の木を用いて、一方ではそれを燃やして暖をとり、パンを焼いたり、肉をあぶったりして、煮炊きするために利用する。他方では同じその木で偶像を彫り、その前にひれ伏して拝み、「お救い下さい、あなたはわたしの神」と祈るという、捕囚の地での日常の人々の姿をこの預言者は浮き彫りにしています。ここには偶像崇拝の本質が端的に描き出されています。自分の体を温めるために、あるいは自分の腹を満たすために、そして自分の利益や欲求を実現するために、一本の木を利用する人間の姿が描かれています。それは自分のためには神すらも造り出す人間の姿です。そこで拝まれているのは、表向きは木を彫り込んで造られた神、木像の神ですが、つきつめて言えば木像の神を造り出した自分自身を拝んでいるのです。

◆ 人間とは限りなく偶像を生産し続ける生き物であると語ったのは16世紀の宗教改革者マルティン・ルターであったと記憶しています。宗教と偶像、人間と偶像とは切り離し難く結び合い、時代によって、場所によって形を変えながらも、なくなることなく現在に至っています。偶像とはひとことで表現すれば「人間が背負う神」あるいは「人間に背負われる神」のことです。旧約聖書の中で印象深く語られている偶像の一つは出エジプト記32章に記されている<金で造られた雄牛の像>です。モーセに率いられてエジプトを脱出した人々が長く続く荒野の旅への不安から、金で若い雄牛の像を造り、「これが我々を導き上る神だ」と言って、その像の回りで飲み食いし、歌い戯れたと伝えられています。その人々の姿は私たちには滑稽に映ります。自分たちで型をつくりそこに金を溶かして流し込んで鋳造した雄牛の像を「我々をエジプトから導き上った神だ」などと拝むとは、何と馬鹿げたことよと思います。古代の人々はこの偶像が何で出来ているのか知らなかったのかと言えばそんなことはありません。人間の手で造られたものであることはよく分かっていました。とりわけ出エジプト記の金の子牛の像は人々の見ている前で造られたのですから誰もがその像の正体は知っています。そこまで分かっていてなぜ、この像を神だと言って拝むのかと申しますと、自分たちが刻んだ像に神は下ってきて宿るのだと考えたからです。逆に言えば、神の像がなければ、神は宿らないのであり、したがって礼拝も出来ないと考えられていたからです。

◆ このような神は人間にとって実に都合のよい神になります。神の像を自分たちの行く先々に携えて行って、困ったことや願い事が出来たら、像を取り出して願いを叶えてもらおうというのですから、この構図は文字通り「人間が背負う神」すなわち偶像の本質そのものです。偶像が消え去らないのは、宗教に対する人間のこのような向き合い方があり続けているからだと思います。自分の都合に合わせて、また願い事が出来たときに、神の像を取り出して、あるいは像が置いてある所までは出かけていって助けを求めるという、人間の都合が優先されて、人間が神の支配者になっていることが偶像の一番根本的な問題です。聖書において刻んだ像が厳しく拒否される理由は、本当の神を単なる金属や石に過ぎない物質と取り替えてしまう愚かさとか、人間が作り出したものを、人間を作り出す神だということは矛盾しているではないかということもありますが、それよりも人間が勝手に動かせる神、「人間が背負う神」ということにあります。

◆ バビロンの捕囚は50年の長きにわたりました。それは世代が少なくとも一世代、あるいは二世代、つまり子供の時代あるいは孫の時代にかわってしまう長さです。イザヤ書の40章にはこの50年に及ぶ捕囚の時代は「若者も倦み、疲れ、勇士もつまづき倒れ」るような時代であり、「わたしの道は主に隠されている」と言う人が多くいた、そういう時代であったと記しています。そしてそうした人々に「慰め」を告げる務めを担う預言者として、神に召し出されたのが第2イザヤでした。

◆ 捕囚の時代、イスラエルの人々はバビロンの町で、毎年4月にはそのバビロンの神々の像の行列を見せつけられました。バビロンの宗教は一時期大変な勢いを持っていましたから、イスラエルの人々は「もう自分たちの信じている神ヤハウェの力は失われてしまったのではないか」と考えて絶望の中に沈んでいきました。その時に第二イザヤは次にように語りかけました。「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いできたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。」(46:1)「ベル」「ネボ」とは、バビロンの神々の名前です。国力が落ちてきて、もうその神々を担いでいくことに疲れ、重荷になってしまった人々の様子が皮肉を込めて語られています。それはちょうど「おみこし」が重すぎて、前に進めなくなった状態に似ています。

◆ しかし第2イザヤはイスラエルの人々に、もう一つの信仰のあり方があることを語りかけます。それは人間が宗教や神を背負うのではなく、逆に神が、重荷を負っている人たちを背負って歩んで下さることを、心深く受けとめるということです。ここに聖書の信仰の中心があります。同じく46章3節、4節の言葉は聖書の信仰の本質を的確に言い表しています。「わたしに聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」・・・・人が神を担う、人が神をかつぐのではない。どこまでも、この自分自身が神によって担われ、背負われている存在であることを第2イザヤははっきりと告げています。バビロンの神々に囲まれ、動揺していた人々にとって、この言葉はまさに救いでした。人が神を背負うのではなく、神が人を背負うのです。

◆ 人間関係に何か意味深いことが起こるとき、それはこちらの側の能力によるのでも、相手方の力によるのでもなく、また両者の力が合わさることによってでもなく、それらを超える何者かの力がそこに共にいる二人の上に働いたからであると思わせられることが多くあります。人間が背負う神ではなく、神が人間を背負って下さることを、そしてその恵み深さを味わい知るのはそんな時です。

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